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画家という仕事、そして生き方②

こちらの記事の続きです。


画家の想いが詰まったマチエール

3月個展風景①

こういった話を聞いて実際に作品を鑑賞すると、やはり今までの加茂くんの絵より更に強いものを感じられる気がしました。

彼の作品は油絵具をかなり重ねて出来上がる厚みのあるマチエールが特徴的ですが、今回の作品はそのマチエール部分に使われているのが自作の油絵具の為、その意味合いが更に増しているように感じられ、非常にやるせない悲しい風景であるにも関わらず、そういった画家の意図からくるエネルギーが画面から放たれているように思えました。

「ここからまた始まるんだよ」という声が聞こえてきそうな、希望の風景のようにも見えました。

「循環型社会」ではなく「堆肥化」という考え方

3月個展風景②

堆肥化という言葉の意味はWikipediaによると、「人の手によって堆肥化生物にとって有意な環境を整え、堆肥化生物が有機物(主に動物の排泄物、生ゴミ、汚泥)を分解し、堆肥を作ることである。」ということだそうですが、加茂くんは、奈良の里山で自然農をしながら生活を営んでいる東千茅さんや、アメリカの思想家ダナ・ハラウェイ氏が言及している「堆肥化」という考え方がこれからの社会の中でとても重要なキーワードになると感じているそうです。

私はその言葉を聞いたとき、最近メディアなどでよく言われている「循環型社会」のようなことかと思ったのですが、それは「循環型社会」とは似て非なるものでした。

加茂くんの説明によると、「循環型社会」は、結局今の社会の延長上でしかないというか、今の自分の生活や行動を担保した上での考え方である。「堆肥化」というのはもっと積極的に自然のどろどろとした生き物臭いサイクルに自分からまみれにいくような、よりしっかり自分の身体を伴って参加していくような考え方であるということでした。

身体が伴うとやはり気持ちが良い!という感覚があるそうで、それが持続化にも一番大切であると実感しているそうです。
(だからこそコンポストトイレでの排泄をを二年も継続できたということです!すごい!)

この考え方を私も加茂くんから教えてもらい、確かに循環型社会の考え方を頭で理解はしていても、楽しいとか気持ち良いとか、ポジティブな感情を伴わないと、生活の中で継続していくのは難しいだろうなと納得しました。

固定化されたものやシステムをどのように分解して循環させていくのか?それを日常でどう行なっていくのか?

「堆肥化」は今はまだ大多数の人にとっては少し先鋭的な考え方かもしれませんが、それが既にしっくりきているところがまた加茂くんらしいなとも思いました。

発芽するかもしれない絵画

作品と加茂くん

加茂くんは今後、キャンバスに油絵具で描くという方法と別の展開として、コンポストトイレの堆肥を元にして絵の具ではなく土をつくり、それに植物の種を混ぜたものを壁画のようにして作品を作るという方法を構想しているそうです!

発芽するかもしれない絵画。固定化させない絵画です。

それは前述の「堆肥化」という考え方の中で絵画を考えたときに、ひとつの答えとして浮かんできたものだそうなのですが、どのような形になっていくのかすごく楽しみだなと思いました。

画家という仕事、そして生き方③へつづく。

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