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自死遺族が大阪の自殺で思ったこと

先日、久しぶりに心が辛いなと感じる事がありました。

大阪梅田で飛び降り自殺があったというニュースをSNSで知ったのですが、何でもその様子をスマホで撮影している人がかなりいたというのです。

自死遺族としては自殺のニュースだけでも苦しくなるのですが、それを撮っている人がいた、しかも一人や二人ではないとの話で、その状態を想像してあまりの恐ろしさに辛くなってしまったのです。

テレビなどのメディアでもいまだにこうした自殺報道への注意点が守られていないと感じるのですが、それがSNSとなると野放しの状態なのでショッキングな映像や画像が出回ってしまいます。しかもそれがものすごい勢いで拡散されたり事実と異なる情報が付け加えられたりするので、目にしてしまった人への影響が懸念されます。

強烈な映像は心に残ります。次々と新しい事や楽しい出来事などがあってすぐに流れていくという人もいますが、今いじめにあったりうつ状態であったりと様々な不安を感じている人にとっては、そうした映像はずっと自分の中に繰り返し流れ続けてこびりついていきます。


その場で騒然として人が集まっていたら「何があったんだろう」と思う事はあるでしょうが、その様子をずっと撮影するという行動に走らせるのはいったいどうしてなのか、そしてそのような映像を撮っていったいどうするのでしょう。何か日常と違う場面に遭遇した時に深く考えずにスマホで撮影、そしてSNSにUPするという流れが出来上がっているような気がします。

カメラモードの画面越しに見ると目の前の景色が他人事のように見えるのか、自分が撮っているのに現実とは違うと感じる状態に陥ってしまうのかもしれません。

さらにそれをSNSにあげる気持ちと言うのは、ショッキングな映像ほどSNSでは話題になって再生回数も伸びるから、それに伴って自分の気持ちが満たされるからなのかもしれません。こういう世の中ならば、それは生きづらいだろうと感じました。

そう言えばいじめでもその様子を撮影して、SNSなどにUPするという事が過去に報道されました。最近でも千葉で起こった虐待の事件で、その様子を親が動画で撮影していたというニュースがありました。

いじめや虐待という事が悪いという気持ちが全くないと思っているのでしょうし、自分の行為を撮影する事で相手にこの上ない屈辱を与えたかったのか、あるいは自分の力を誇示したかったのか。いずれにしてもどういう心情なのかまったく理解できません。

いじめでそういう映像が残ればいじめられた人もその家族もこの上なく辛いわけです。今回の梅田の事だってご家族がもしそれを目にしてしまったらいったいどういう気持ちになるでしょうか。SNSにあげられたという事は、ネットの中を漂い続けて長い時が経ってから目にしてしまう可能性もあるわけです。


「死ぬ死ぬと言っている人は死なない」「自殺する勇気があるくらいなら生きられるだろう」「人に迷惑かけないで勝手に死ね」「生きたくても生きられない人がいるのに」このように自殺する人が責められ、時にネタとして消費され、深刻な社会問題だと真剣に話し合われずにあっと言う間に忘れ去られていく事も本当に恐ろしいです。

生きづらさ、SNS、ニュースなどの報道のあり方、以前として高い自殺率...様々な社会問題が集まったような事を知ってひとりで具合が悪くなってしまったのですが、自死遺族としてこれはいかがなものかと思って気持ちを取り戻してこうして書き始めた次第です。

センシティブな事ですが、自死遺族としての私の経験も交えて少しずつでも何かを伝えていけたらと思います。

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