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「生きる」ことのクオリティが高まる場所

屋久島に行ってきました。

屋久島に滞在したのは4日間。
いずれの日もスッキリと晴れ渡る日はありませんでした。
沖縄付近に停滞してしまった台風のせいみたいです。

でも、そんなこと気にならないくらい屋久島での体験は、素晴らしいものでした。

ユネスコ世界文化遺産に登録されている大自然はやはり圧巻。

僕たちは、早朝4時に起き「縄文杉」を見にいくためのトレッキングに出発。出かける時には、雨は少し弱まっていて、これはもしかしたら僕の「晴れ男」としての運気が天気予報に勝てるかもしれない・・・と密かに期待をしていました。それに屋久島の天気予報ってなかなか当てるのが難しいみたいなんです。天気予報で「雨」と予想されていても、カラッと晴れ渡っているなんてことはザラにあるらしいのです。

けれど、小説『浮雲』の中で、林 芙美子氏が「ひと月に35日雨が降る」と表現したのも頷けるほど、雨の多い場所であることは事実。屋久島を取り囲む海の黒潮の影響と屋久島の山々の影響で雨が多くなる気候のようなのです。

登山口に向かう道すがら、「どうか山を降りてくるまで雨は降らないでくれ・・・」と祈る想い。しかしながら、登山口まで向かう登山バスのチケットを売ってくれたおじさんに

おじさん「せっかく遠くから来てくれたのに残念だけど、今日は雨やでー。」
僕「ほんとですか?今、少し太陽見えそうですよ?」

たしかにその時間帯は、空には雲の切れ間にはほんの少し光が見えていたのです。こんなふうに。

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おじさん「ん〜こんなふうにきれいに朝焼が見える日はそのあと雨になるんや。それに昨夜は、星がきれいで瞬いとったやろ?そういうときは、雨なんや。」

マジか〜・・・と残念な気持ちを抱きつつも、おじさんの山男としての勘というか知識に僕は感動しました。やっぱりそういう経験からくる自信のある発言ってかっこいいですよね。

とはいえ、ここまで来て引き返すわけにも行きません。
予定通り、縄文杉を目指すことに決めました。

縄文杉とは、樹齢2,170年の1966年に発見された現在確認されている最大の屋久杉です。屋久島はユネスコ世界遺産にも認定されていてパワースポットとしても有名ですが、縄文杉はそのメインに位置するものと言っても過言ではないと思います。※樹齢に関しては、2000年~7200年と幅を持って諸説あるようです。

この縄文杉に辿り着くには、片道11kmの道のりを約5時間かけて登山をせねばなりません。もちろん、たどり着けば戻らなければなりませんから、往復22kmの道のり、合計10時間の長丁場の登山となるのです。

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はっきり言って、僕は舐めてました。日々5kmから10kmをランニングしていることから、「11kmなんて平気でしょ?歩きなわけだし。」なんて高を括ってしまっていたのです。平地で11kmと、登山で11kmでは、その意味合いがまったく異なることを、この旅で痛いほど経験することとなりました。

登山道を歩きはじめて、最初のうちは大自然に圧倒されつつその偉大さに心を癒されていました。とはいえ、登れども登れども、登山道。当たり前。

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僕は、そのときにあることに気がつきます。

”登山をまったく楽しめていない”と。

あれだけ楽しみにしていた屋久島の旅なのに、まったく目の前のことを楽しめていなかったのです。

僕たちの屋久島への旅の第一の目的は「心の整理」でした。
日々の混沌、喧騒の中で、僕たちの心は落ち着きを失い、いつもざわついてしまっている状態になっていました。つまり、目の前のことに集中しづらくなってしまっていたのです。それは登山道を歩き始めてからも変わることがなかったのです。

僕の心の中は「帰り道の時間帯に、この雨はどうなっているだろう?これ以上強くなったら困るな。」「(台風の影響で帰りの)フライトはちゃんと飛んでくれるだろうか?」「東京に戻ったら、あの仕事を忘れずにしなきゃな」「あの手続きもしなきゃいけないんだよな。めんどくさいけど。」などなど、屋久島の旅にとってどうでもいいことばかりで占めてしまっていたのです。

まったくその瞬間に集中できていないし、楽しめていない。自分自身でも呆れ返ってしまいました。東京にいても、屋久島にいても、放っておくと、僕たちの心はここではないどこかへ馳せてしまうのです。世界を取り巻く混沌の中で、ここまで僕の心は疲弊し、集中力を失っているのかと唖然としました。

とはいえ、この旅はそれをどうにかするためのもの。
そこの偉大な自然の中で、雑多などうでもいいことに心を取られるのは、あまりにもったいないことだと強く思ったのです。それに気がついた以降、「今」を全力で楽しもうと心を新たにしました。

一歩また一歩と踏みしめる大地や、目に入ってくる木々や草木、そして雨露によってさらに美しく見える岩に生える苔。どこからともなく聞こえてくる鳥のさえずる声や、野生の鹿や猿のコミュニケーションを取るための鳴き声。そして木々の葉に打ちつける雨の音。どれをとってみても、そこには非日常がありました。普段、体験できない心の機微を感じることができました。

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そうこうするうちに、忘れかけていた「心の平穏」を感じるようになってきました。いつも何かを不安に思い、やらなくてはならない何かに気を取られ、今この瞬間を楽しめなくなっていた心が一気に自分の元へ戻ってくる感覚がありました。僕だけに通じる表現になってしまうかもしれませんが、自分の足元に自分の重心が戻ってくる感覚があったのです。「心ここにあらず」とはよく言ったもので、東京にいる間はいつもふわふわとここではないどこかを浮遊してしまっている感覚がいつもあり、そのことによってソワソワとザワつく心が存在してしまっていたのです。

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人は見ようとするからこそ、見えるものがあるのであり
人は聞こうとするからこそ、聞くことができるものがある
ということを、そのときに痛感しました。

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時間が経過するに連れて激しくなる雨に、体力が削られつつも僕の心は元気そのもの。「いまここ」にマインドフルに集中し、一歩一歩を思いっきり楽しむことができていました。

そして、「大王杉」「縄文杉」という偉大すぎる大きな大きな何千年も生き延びてきた屋久杉の木々を見た時、僕の心は感動でいっぱいになりました。

そしてその次の瞬間、予想だにしていなかった「恐怖感」で心は占められることになるのです。

何に対する恐怖か。

それは「死」への恐怖です。何千年も生き延びてきた木々を前にして、僕の命のちっぽけさを実感したのです。僕たち人類の命は、うまくいって70年、80年程度もつかもたないかというものです。偉大なる圧倒的な屋久杉と自分自身の比較をした時に、自分の命は吹けば飛んでしまうあまりにも脆い存在だということを実感したのです。生まれて初めてこんなにも「死ぬ」ということに恐れ慄いたかもしれません。幼い頃、漠然と「死」への恐怖を抱いたことはあると思います。しかしながら、今回抱いた恐怖というのは、「確実にいつかは自分は死ぬんだ」という紛れもない具体的な事実です。確実にそのときはくる。絶対に終わりはくる。それを具体的にイメージできた時に、僕は自然の偉大さを前に、少しの間立ちすくんでしまったのです。

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この大自然を前にして、目の前のことを存分に楽しめる心を取り戻したと思ったら、いつかはその「楽しむ時間」にも本当の意味で”終わり”がくるんだという紛れもない事実を突きつけられたわけです。

少しの間、混乱した心と共に、屋久杉を見上げていると、少しずつ心に平穏が戻ってくるのがわかりました。そして、その次の瞬間には、こうも思うことができたのです。

「だからこそ、目の前のことをもっと楽しまなきゃ」
と。

僕たちの生きるという営みは、「死」という限界を前提とした営みであるという事実。でも、限界があるからこそ、僕たちは日々を工夫しようと、努力をすることができるんですよね。逆に、不死の命が約束されて未来永劫生き続けることができるとすれば、僕たちはこんなにも日々を向上させようと思うことができるでしょうか。よりよく生きていこうなんて思うことができるでしょうか。僕は、それはそれで結構きついものがあるなとも思いました。終わりがあるからこそ、「今」に集中できることもまた事実なのです。もちろん終わりには恐怖は伴うけれど、でも、それは僕たち人類に平等に与えられた限界です。

東京に戻って1週間。あの屋久杉の下で感じた心のありようを、今も具体的に覚えています。これまでも「丁寧に生きる」ということを心がけてきましたが、さらにその気持ちが強くなったと感じています。ある意味でのブレイクスルーがあったと実感しています。"手段"としての「マインドフル」ではなく、"ヴィジョン"としての「マインドフル」を心がけるようになりました。具体的に言えば、経済的に豊かになるためのマインドフルではなく、あるいは地位や名声を得るためのマインドフルではなく、よりよい人生を生き納得して「終わり」を迎えるためのマインドフルであるべきだと心から感じるようになりました。

僕の足元には、僕の重心が静かにあります。
他の誰かの重心ではなく、僕自身の重心があります。
僕は僕の軸で、僕の思う幸せの基準を追求しようとできています。

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僕たちの人生はいつか確実に絶対に終わる。
限界が設定された営みなのです。でも、忘れてはいけないことは、その道中には、無限の可能性があるということです。

どう生きようと、どんなふうに暮らそうと自由です。
僕はその自由をもっともっと手に入れたいと思います。
限界のある人生の中で、無限の可能性を引き出すことに心を注ぎたいと思うのです。

世界は刺激で溢れています。それを今回の旅で再認識しました。
その刺激にもっともっと触れて行きたいと思います。
空気感という見えない圧力によって、人生のあゆみを止めてはならない。

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