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死なないように生きること

こんばんは。松澤です。

私にとっては全くなのですが、誰かにとってはセンシティブゾーンなお話になります。
何度も死生観が出てきます笑
タイトルを見て厳しいな、と思ったら静かに記事を閉じてください〜

また、この話はもっと遥かに辛く厳しい環境の中で生き抜いた方々にとっては甘えと見える部分もあるかと思います。
その点あたたかく読んでいただけると幸いです。



「死なないように生きるにはどうしたらいいのだろうか」
これは最近考えている、昨日とはまた違ったジャンルの悩みです笑

重たいことを考えているようにも思いますが、昔の私からするとずいぶん軽くなりました。
なぜ軽いかって?
それは「生きていく」ことをやっと肯定することができたのだから!!!

私は中学生から大学生に至るまで「死にたい」という感覚を持ち続けています。
「こんな私死ねばいいのに」という、なりたい自分になれない無力感から始まった死への憧れが、生きる権利(これは下の記事から詳しく読めます)を自覚して死にたい理由などわからなくってからも心のどこかで「虚無感・無価値感から楽になりたい」と片足を引きずるような感覚が襲いました。

(中学高校時代の気持ちはこちらでなんとなくわかります!笑)


生きる意味は自分で作れる!と思いながらも、ふとした時にはそれが義務から目を背けるためのカモフラージュに見えました。

私を生かしておきたい人、言い換えると、親族などの私を大事に思ってくれている人(こんな人がいてくれることは本当にありがたいことなんですよね)のために生きていくことが義務のように感じて、結局死にたい感覚は消えなかったということです。

だから、数年ほど前まで死ぬ前には猫のようにどこかいなくなって死んだことをわからせなければいいんだ!とか、みんなが私を忘れたら死のう!とかいろんな条件をつけてこの欲求から逃げてきました。

そして現実から目を背け、誰かにとっては過激で私にはとても優しい世界にのみこまれました。(とは言ってもやはり教養に満ち満ちた方々には全く敵いません笑)

永い時間だけが流れ自然と溶け合う廃墟。
理解し得ない異常性癖。
メタファーと化したカニバリズム。
崇高な同性愛。
現実には存在しないユートピア。
邪悪に笑う天使。
故郷のように映る月。
いわゆるアンダーグラウンドと幻想の世界です。

しかし、「いつか死のう」の考えはあっという間に崩れてきています。
まさに荘厳な城がハリボテだったことを目の当たりにしたのです。
(よくあるアングラの言い回しみたくしたかった笑)

たった数年過ごしただけで「生きている限り、私を大事に思ってくれている人はほぼ確実にいて(多分)、全員が私を忘れ去ってくれる瞬間は訪れない」ことを悟ってしまったのです。

君が私を忘れた10年後に死ぬと言っても、もはや言わなくても。
私を忘れることはないと誰かが言ってくるのです。

そうなると、「誰かが忘れたら」や「バレなければいい(どうせバレるので)」といった条件はなんの効力を持ちません。

いつのまにか、ただの「死にたい」が「死にたい。死なないけどね」に変わっていきます。

だから今「死なないために生きていく」ことを模索しています。
ただ、十数年死にたい感覚を持ち続けた私はこの先どう生きたらいいのかさっぱりわからないのです。

死なないために健康に気を使う。
これは全くナンセンスです。
私は「生きる」ことは自覚できても「生きていきたい!」などとは思ってもいません。

ただどうせ生きなきゃいけないのに「死にたい」と願ったり、考えたりすることに疲れてしまうのです。
色んな意味で救いだったアンダーグラウンドな世界に対しても、時々それを好きな自分に嫌気がさしてしまう始末。
でもやっぱりあの世界はあたたかなブランケットみたいで、離れたくでも離れられない、「ライナスの毛布」なんですよね。
(スヌーピーの黄色いシャツの男の子がいっつも持ってるボロボロの毛布です。)

こんなどうしようもない状態ですが「死なないように生きる」ため、私なりに答えを出しました。

それは「今を感じ、変化する自分を観察すること」。

死生観に関してだけでも私の考えは十数年の間に大きく変わりました。
「死ななければいけない」が瓦解し「猫のように死ぬ」になり「人が忘れたら死ぬ」からの「死にたい。死なないけどね」で、今は「死なんて考えるともう疲れるからやめた」です。

この変化ってめちゃめちゃでかいですよね!
昔の私では考えつきそうもないことを紆余曲折ありながらたどり着いています。この先もどんどん変わっていくところがあるでしょう。

その変化を観察し続ける。
これが生きるとするならば寿命を全うできる気がしないでもありません笑

最後に私の愛しい先生の言葉を借ります。

私は若い人々に向って云いたい。死ぬるにしても、生きるにしても、25歳までに決定したまえと。

この世なんていうのは一秒間ですよ。一生というのは。

「タルホ語録」稲垣足穂の世界

本日もアクセル全開で書きたいことをまとめました笑
おやすみなさい笑いい夢を。

松澤




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