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学生結婚、その後(2)

4年生になった時、バッカスの仲間のほとんどは留年確定でした。私はぎりぎり頑張れば何とか4年生で卒業できるという感じでした。しかし、みんなと一緒に留年する気でした。

というのは、4年になった時点で留年確定ではなかったものの、フルに履修して、一つでも単位を落としたら留年確定だったからです。

本日の投稿は、留年しないでなぜ卒業したのかいうことと、私たちを襲った想定外の出来事についても書きたいと思います。

「卒業しないと別れる」

4年の授業が始まってバッカスの仲間と会い、おしゃべりをしていたら仲間のほとんどが留年確定ということでした。私は生来怠け者で、自堕落な人間で、すぐにサボるし易きにつきたがるという性格です。仲間のほとんど、と言っても、クラスの中では少数派なのですが、彼らの留年が確定していたので、じゃ、僕も留年しようと気楽に考えたのです。

帰宅して彼女にそのことを話したら、即座に返ってきたのが、「絶対に卒業してね、卒業しないと別れるからね」でした。私の気楽な考えに対して、ノーを突きつけられたのです。この時、「あぁ、結婚したんだなぁ」ということを痛感しました。すべてが自分だけで決めることができたのから、私の決断に対しても彼女の判断が食い込んでくるということを実感しました。つまり、単なる共同生活ではなく、未来も共有しているんだなということが分かったのです。一緒に歩んでいくということはこういうことなのかと思いました。

私の返事は、当然のことながら「必ず卒業する」でした。

それでもバイト漬けの日々

結婚したからといって経済状況が好転して訳ではありませんでした。それどころかかえって大変になりました。

結婚のきっかけは、確かに彼女の「21歳で結婚し22歳で子どもを産む」という発言でした。しかし、私たちが結婚した一番の理由は、それぞれの夢を実現するには、結婚した方が合理的、つまり、実現の可能性が高まるだろうという判断がありました。

私の夢は、大学院進学、その後は何とかして大学の先生になることでした。短大を出て働いていた彼女は、もう一度大学に、それも4年生大学に進学し、宗教社会学を学びたいと思っていました。二人の夢を実現するには、恋人同士の関係でデートをしているよりも、一緒に住んだ方がデートのお金も時間もかからないし、都合がいいだろうという判断です。

私たち二人の夢を実現するには、とにかく、金を稼がなければなりませんでした。何よりも二人の入学金と授業料を貯める必要がありました。よって、バイトの量はこれまで以上に増えたのです。睡眠時間を削ってのバイトでした。当然のことながら、大学には全然行けませんでした。

彼女の夢

「私は21歳で結婚し、22歳で子ども産むことに決めている」と宣言することで、私に結婚を迫ったのですが、しかし、子どもを産むというのは、その時の勢いというか、言葉の彩みたいなもので本心から望んでいたことではなかったのです。

彼女の本当の夢は、一緒に暮らすことで、もう一度大学に入り直すことでした。

4年生の4月に結婚式を挙げ、新婚旅行から帰ってきてすぐに、彼女は、正社員として勤めていた会社を退社しました。受験勉強をするためです。生写真として新宿の会社まで通うことは、通勤時間も含めて負担が大きかったからです。その代わりに、私たちが住んでいたアパートの近くの蕎麦屋さんでバイトを始めました。多分、10時〜3時ぐらいまでのバイトだったと思います。残りの時間は受験勉強をしていました。

非常事態発生

バイトをしながら受験勉強を続けていました。予備校に行ったりしないで、自宅での勉強です。予備校に通うだけのお金もありませんでしたから。

勉強は、まぁまぁ順調にいっていたと思います。

生活はしんどいけど何とかなるかぁと思っていた時に突然、アクシデントが発生しました。暑い8月のことでした。彼女が「生理が止まった」と言ったのです。最初は何を言っているのか分かりませんでした。すぐに彼女は産婦人科に行き、妊娠していることが分かりました。

「21歳で結婚し、22歳で子どもを産む」という彼女の言葉が本音であれば、大喜びのはずです。しかし、そうはならず、正直戸惑いました。

すでに結婚して一緒に住んでいるので、子どもを産むことに対しては、何の障害もありませんでした。世間の目が気になるということはなかったのです。問題は私たちの側にありました。私たちにとっては意気揚々と夢に向かって歩み始めた、まさにその時の妊娠発覚なのです。

私は大学4年生ですし、彼女は大学の受験生です。出産と自分たちの未来との間で揺れ動き、タイムリミットぎりぎりまで二人で話し合いを続けました。

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