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適応障害からの復職と転勤→手放してわかる、得る物たち

気がつけば約10ヶ月ほど、noteと離れていた。

旦那君が適応障害で仕事を休み、復帰したところまでが前回。

この10ヶ月、色々なことがあった。

旦那君は、職場を変えて引っ越しをきめた

半年休職していた旦那君は、同じ会社の系列に仕事を変えてもらい、土地も変えるために我々はみんなで引っ越した。

数年かけて出会った最高のママ友たちと別れ、
心底寂しかったけれど、
旦那君がそれで元気になるのなら、
また遊びに来たらいいじゃないか、と引っ越すことを決めた。

引っ越し先は、以前住んだことがある地域の近く。

駅からは少し離れているけど、
収納も少なくて狭いけど、
家賃重視で決めた。


みんな、たくさん手放した

今日までに我々は、ずいぶんと色々手放してきた。

わたしは、服、大好きなアーティストのライブグッズ、お皿、コップ、お菓子道具、何か作れるかもと思って置いていた布、CD。

旦那君も、オシャレ番長だからたくさん服を保ってたけど、たくさん手放した。

こどものサイズアウトした服を厳選して取っておいてあとは譲るか処分して。

ハッピーセットのおもちゃや書き終わったノートと処分。

こどものものは、
本人と相談したり時にはわたしの独断でスッと。(ごめんね)

そして、なんとか生活ができるようになってきた。


旦那君は、他にも役職を手放した。

前の職場はもちろん、

住んでいた近くで出会った大好きな飲み仲間も手放したし、飲み屋も手放すことになった。

仕事に関しては、ずっと手放したかったけれど、嫁のためこどものためと一馬力だったのもあって、手放せなかったんだと思う。


手放してみてわかったこと

色々手放して、旦那君は今、新しい職場で頑張っている。

朝早くから夜遅くまで、慣れない裏方仕事は最初はとても大変そうだったが、

数ヶ月たって話を聞いてみると、大変なときでも一緒に笑ってくれる上司がいるみたいだ。

そう、そうやった、

仕事とは大変なときこそ、1人で抱え込まずみんなと共有して乗り越えるものだった。

大変ですねーといって笑い合ったり、

しんどいねー、ここに松坂桃李がいたらやる気もでるんだけどーと妄想したり。

「なんで今その話する?」ていうような、内容のない会話だって、そんな時こそ必要だったりするのだ。

そんなことが、
きっと前はできないくらい、
旦那君は追い込まれていた。

できないくらい、周りに味方がいなかった。
職場が味方だと、思えなさ過ぎた。

最近は、忙しい中でも上司と話した楽しい会話を聴かせてくれたり、

しんどそうやけどどこかハツラツと話す旦那君をみると、

色々手放してよかったんだと心底思う。

私はママ友を手放したと先ほど言ったが、

出来上がったこの関係は無くならない。

毎日会えなくなっても、

たまにラインをお互いしあって近況を聞けるし、変わらず私をはげましてくれる。

来年はライブにかこつけて前住んでた土地に遊びに行けることになった。

その時に飲む約束もしている。

旦那君も、その時はきっと、お気に入りの飲み屋にいくんだと思う。
前みたいに、お互い笑いながら飲める時間になると思う。

手放してみて、
【たまに会うドキドキ】と、【離れても続くつながり】を得ることができた。

手放すことは、何かを守るためにすることなんだと思う。

自分や家族を守るために、手放すことって大事なのだ。

色々手放したが、片付けが苦手な私は、まだまだ手放さないと行けない。

部屋もまだ片付かないし、まだまだ生活が心地良くはない。

これからも、手放して、守って、新しい出会いを大切にしていこうと思う。


日々の中で、家族の笑顔を守るための何かに使わせていただきます。本当にありがとうございます。