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その青い世界、赤い冒険者が歩く時 前編 4、冒険者、ヒーラーに出会う

 青い世界に突入してひと月が経過し来ましたが、私の症状は悪化していきました。確かに自由に休んではいますが、焦りと緊張と、これからどうしようという感情で頭の中がいっぱいです。大きな針でも持ってきて、頭に突き刺せば何かしらの詰まった液体が出てきそうなくらいパンパンでした。外出もおっくうになり、何もする気が起きません。
 
 これは例え話でなく、本当にそういう感触が頭の中をぐるぐる回っていたのです。
 
 とにかく調べまくった結果、良いものが出てきませんでしたが、あることに気が付くのです。
 
「自分がやろうとしていた治療はほぼ全て、西洋医学の物である」ということに。一応断っておくと、西洋医学が間違いだとか、いけない物だ。という風に言うつもりはありません。ですが、アプローチの仕方として一方向しかやっていないことに気が付きました。
 
「では、その反対、東洋医学はどうなのだろうか?」ということです。
 
 実際にここら辺を調べてみると、精神的な病において東洋医術のようなものを実践して治療を行っている心療内科も存在するらしく、私はそういうところで診てもらいたいと思うようになります。しかし、そういう病院があるのは県外。行くことが出来ませんでしたし、何よりも親を説得できる力がその時の私にはなかったです。
 
「そうか・・・」
 
 としょんぼりしていると、一つの希望がそこに表れました。
 
「自宅から注文できる・・・漢方?」
 
 そう、漢方薬というものをそこで始めて認識したのです。私はそこから漢方薬というものを始めることにしたのです。西洋薬では副作用が強すぎてどれも合わなかったので、こっちならいけるかもしれないと考えたのです。
 
 私はすぐさまその人に連絡を入れて、自分の手の写真、舌の写真、それから症状を細かく書き込んで送信しました。
 
「・・・これで何とかなるだろうか」
 
 この時点で私は半信半疑状態。ですが、これの他に何か手段はあるのか?と言われれば何もないというのが答えでした。
 
待つこと数日。郵送で送られてきた小包の中に漢方薬が1週間分くらい入っていました。返信メールにはその漢方薬の飲み方の他にある助言が書かれていました。
 
「できればお近くにいる漢方医さんに直接相談した方が良いですよ」とのこと。
 
確かにそうなのですが、この時点ではそれを探すような心の余裕と体の余裕が無くて、とりあえず飲んでみてどうなのかな?というのを知りたかったです。
 
飲み始めて1日目は変化なし。2日目、変化なし。3日目、変化なし。
 
 大きな変化が現れたのは4日目の夜でした。いつものように眠れないのですが、夜中に起きていると家族から文句が飛んでくるので私は静かにベッドに横になって天井を見上げていました。いつものように目を閉じて、一応、良いとされている深呼吸とか腹式呼吸なんかも継続してやっていました。
 
なんてのをやっていると、突然体に変化が起きました。
 
 突然、体がしびれ始めて、次の瞬間に頭の中に詰まった液体のような何とも言えないもやもやしたものが、一気に体の方へ降りてきて・・・それはすごく不思議な感覚でした。
 
怖くないし、なんか流れて行っているなって冷静に感じていました。
 
 血の気が引く、とか熱が引くという表現が最も適切なのかもしれません。それまで頭に上っていたものが一気に体に駆け下りたとき、
 
私の体は少し良くなっていたのです。
 
 その現象は次の日も続きましたが、1回目よりは時間も短かったです。
 
 私は「なんだ?これは」と全くわからない状況。それをいろんな人に相談してみたのですが白目で見られました。まあ、そりゃそうですよ。漢方飲んで変な体験をした。なんてのは誰にだってすぐ分かるもんじゃありません。
 
とにかく事実として私は購入した漢方のおかげで「最低限の行動ができる」くらいに体調が浮上したのです。浮上したら、そのままやることは決まっています。
 
「近くの漢方医、もしくはそれに準ずる何かを見つけることでした」
 
 これは自分の症状が一段階上に上がったことで、漢方薬というものがもしかしたら道を切り開いてくれるんじゃないのか?という気持ちが沸いたので真剣に探そうとしたのです。
 
「おぼれていて、わらが出てきて掴んだら、わらじゃなくてなんかもっとデカいものだった」
 
そんな感じです。
 
 そうやって漢方を処方してくれる、相談してくれる人を探していると、漫画みたいな話かもしれませんが
 
「ものすごい近所にそういうことをやってくれる薬剤師さんがいたのです」
 
 誰が一番びっくりしたのか、というともちろん私です。探すまでは全く気が付きませんでした。私が高校生の時によく行っていた本屋さんの近くにその薬局があることは知っていたのですが、まさか漢方を扱っていて、精神的な病気の相談ができることなど誰も教えてくれなかったのです。
 
「・・・・ここしかないかも」
 
 そう考えて私はその先生に直接メールを送りました。メールには病名や病状。具合が悪くなった時の状態。今まさに皆さんが読んできた文章を少し短くした感じのものですね。それを送ったのです。
 
しばらくすると返信が返ってきて、診断の予約を入れてくれました。
 
 診断の日。私は家に置いてあった原付を引っ張り出してその薬局へ向かいました。長野を出てから約7年。街の風景は変わっていてそれを懐かしいようなさみしいようなそんな気持ちで運転していたのを覚えています。
 
なんの変哲もない、普通の街にあるような薬局です。自動ドアが開いて店員さんに事情を話すと、店の一角が衝立で仕切られていてその前に案内されました。しばらく待っていると中から前の人が出てきました。そうしてわたしの番が来たのです。
 
 少々緊張していましたが、その先生はそこにいました。
 
 この先生には許可をもらっていないので便宜上「漢方先生」と呼ぶことにしたいと思います。
 
 先生は私の表情を見ると少々安心した様子で
 
「よかったです、私が想像しているよりは状態は悪くないようですね」
 
と一言。
 
 そうです。別の先生に頼んで郵送で送られてきた漢方を飲んで「不思議な体験をした後」だったので少しは楽になっていたのです。
 
私はそのことについて。「自分が経験した不思議な感覚」について先生に全部話しました。すると先生は他の人たちと全く違う返答をしたのです。
 
「漢方が効いたのですね。しかもそれを感じることが出来たということですか」
 
「繋がった」という安心感が心に溢れました。何よりもここまで自分の感覚を理解してくれる人がいない状況の中で、それをわかってくれる人にやっと会うことが出来た。と思ったのです。もし、わかってくれなかったら。否定されたらどうしよう。また探さないといけないと思っていましたから。
 
 そしてその先生に今の状態を説明しました。
 
今、この時点で困っていたことは
 
断続的に出ている「食欲不振」と「睡眠障害」でした。
 
このことを伝えると先生は全く違う助言をしてきます。
 
簡単に言えば眠くないのであれば別に寝なくてもいい。そして、食べられないのであれば食べなくてもいいということです。その根拠も説明してくれました。
 
それまで聞いてきた言葉とは違う言葉が私の世界を広げました。大げさなように聞こえますが、精神的に不安定になった時、歩いていたレールから足を踏み外した時、人という生物は視野が狭くなってしまいます。その結果、怪しい宗教とか治療法に手を出して、大金と信用と自分を失う可能性だってあります。
 
「私の居た世界から見れば、そんなのにハマるなんてことはあり得ないと思うでしょうが、この世界に足を踏み入れた瞬間、これは事実だということが分かります」
 
大事なのはきちんと根拠。つまり理があるということです。ごまかしのない理。言い訳のできないような根拠。それを持ち合わせている人と出会って話を聞くことで、自分の歩いている世界のやり方が変わることになるでしょう。
 
「私はこの日を境に着けていた防具を脱ぎました。この世界では通用しない防具です」
 
 そして漢方先生の案内の元に、この世界の見方、感じ方、付き合い方を学んでいくことになります。私はそれからというもの、この薬局へ通うことになるのですが、だんだんと私も休み方を変えていくことになります。
 
それは可能な範囲でいいので、自分にとって都合の良い事だけを引き込むことです。都合の良いというのは単に我がままに生きろ。ということではありません。自分にとって嫌なこと、不都合なことを極力やらない。嫌なことをする必要はないということです。
 
 私の場合は食事と睡眠に関してでした。
 
まず、食事ですが1日3食食べることを辞めました。1日1食の時もあれば、5食の時もあります。お腹が空いたときに食べるように、食べたいと思う時だけ食べるようにしたのです。この時はまだ自分で外出をすることが出来たので、母親にあまり迷惑をかけないように自分で購入したりとそういう生活をしていました。
 
次に睡眠です。睡眠も8時間しっかりとる。という風に意識すると疲れるので2時間でも10時間でも、昼寝でも。眠くなったら寝よう。それでいいんだ。という風にしていくことにしました。
 
なんというか適当にやろうと考えたのです。やりたいゲームがあれば深夜でもやるし、読みたい本が有れば朝3時に起きて読む。そんな感じの生活です。一見、ものすごくゴミでダメで自堕落な生活に見えるかもしれませんが、それは私の世界から見ているからです。この青い世界はそんな常識という防具は通用しませんでした。
 
これを実行してみた結果、症状が悪くなれば変えるつもりでしたが、実際はその逆で症状が良くなっていったのです。だからこれでいいのです。ですが、この時はこのくらいの範囲だけでした。自分がわがままになれるように出来ることは。
 
我がままにできない本質的な部分である「サラリーマンとして復職する」という部分に手を付ける勇気ときっかけがまだなかったのです。
 
 少し話がずれるのかもしれませんが、この話を見てくれている人たちは「自分的な側面」と「社会的な側面」の両方を持ち合わせていると思います。
 
夜に寝て朝になって布団の中で目を覚ましました。
 
「・・・もう少し寝てたいな。でも学校とか会社に行かなくちゃいけない」という感情は多くの人たちが持っている物だと思います。「やったぜ朝起きて、学校に行ける!会社に行ける!」なんて人もいるかもしれませんが。
 
「もう少し布団の中で寝て言いたい自分」と
「会社や学校に行かなければならない自分」の戦いが始まります。
 
天使と悪魔みたいなもんでこの2人は相容れません。ですが私も含めてそうなのですが人は社会的な側面を持つことで生活をすることが出来ます。
 
「つまり学校や会社に行くことで、勉強や収入を得ることが出来ます」
 
社会的側面をしっかりと守ることが、自分のプライベートの時間を守ることになるということは言わなくてもわかることだと思います。だって、そのまま布団で寝てたらいつの間にか学校は退学になるし、会社をクビになります。 
 
大抵の人は社会的側面を失わないように自分を捧げてそれを継続していきます。それはそうです。今の私ですらそうですから。そういうものです。社会ってのは。
 
 ただ、その社会的側面の形というのが様々あるということです。自分にとって、とても負荷になる社会的側面を手にした場合、結果として病気として現れてきます。
 
簡潔に言えば「自分は変えられるかもしれないけど、会社や学校は変わらないよ」ってことですね。
 
 例え話としてよいか分かりませんが、会社をサラダに見立ててみます。
 
「キュウリ、ニンジン、トマト」が入っています。
 
 好き嫌いのない人であれば何でもないサラダですが、それぞれの野菜に好き嫌いがある人がいると思います。特にトマトとかは苦手な人が多いのかもしれません。このサラダを食べることがあなたの仕事です。となった時に、苦痛に感じる人とそうでない人がいるっていうのは何となくわかってもらえるかもしれません。
 
 現実的にこれらの野菜が苦手な人は我慢すれば食べることはできるでしょう。食べ物なんですから。でもこれがストレスになることもわかると思います。自分の苦手な食べ物が毎日、食卓に並べば嫌気がさしてきますし、この食べ物にアレルギーがある人は食べることが出来ません。
 
もし、この世の中にこの野菜しか選択肢がないのであれば我慢するしかありませんが、世の中ってのはそうではありません。
 
「キャベツ、ピーマン、パセリ」
 
 みたいなサラダを出してくれる会社もあります。これは言い方を変えると自分が食べることのできる野菜を食べればよい仕事も存在するということなので、転職をして職を変えるというのが具体的な行動になるのかもしれません。もう一つの方法としては、自分の好きな野菜だけを集めてサラダにするということです。自分で会社を立ちあげて、自分だけのサラダを作るというのもまた一つの手です。
 
いずれにせよ「サラダを出してくる会社」を変えることは難しいですが「出されるサラダを変えること」は難しくありません。もしくは自分を洗脳して「嫌いな野菜を無くす」というのも一つの手です。
 
ですが私の場合は
会社から出されている業務や上司などがストレスで嫌だという風に思ったことがなかったので、大変なことになっていきます。
 
「今の業務が大変なわけじゃない。社会人になって生活するってことは少なくともこういうことが許容範囲内である」
 
と思っていたわけです。
 
つまり、自分を責めることになります。
 
・どうして自分だけ病気になったの?
・周りの人たちも同じ環境で働いているのに自分だけ?
・私が弱かったからこうなったんだ。何かキチンと防具を身につけないといけない。
 
と感じるようになったのです。
 
そうなってくると漢方先生の治療を受けながら自分なりの防具を探すことになります。この場合の防具というのは例えば趣味とかの気晴らしができるもの。そういったものを探すことになります。


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この物語で書かれていることは全部「ノンフィクション」です。内容は私が2014年頃に病気になり、現在まで続くまでの時間に起きた出来事です。 …

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