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【ノンフィクション】〝その青い世界、赤い冒険者が歩く時〟7年間の引きこもりの記録と記憶

 「ある時に、急に外に出ることが出来なくなった」
 
 この文字を読んだ人にとって外に出ることは当たり前なのかもしれませんが、そうではない人もいるかもしれません。
 
「表の世界で生きること、裏の世界で生きること」
 
 全く別世界へ吸引されていく感覚を感じました。
 
 引きこもりのイメージは影とか闇だと思います。ですがこれはネットで言われているような「陰キャ、陽キャ」などという暇な人たちのお遊びの言葉では表現しきれません。もっと「陰と陽」「青と赤」くらいにギャップが埋まらない物であると思っています。
 
 実のところ、私は2014年7月から7年間くらいの現在まで「完全引きこもり」ではなく「半引きこもり」状態が続いています。それってどういうことなの?って思う人もいるかもしれないけど、多分この話を読み進めてもらえば何となく掴むことが出来ると思います。
 
引きこもりっぽくなったきっかけは「働きすぎの病気のようなもの」にかかったせいで、病院に行った時に色んな病名をつけられました。
 
「自律神経失調症」
「適応障害」
「抑うつ状態」

 
 のような感じ。

そして色々テストっぽい事をやったり、臨床心理士・精神科医と話をするとみんなが口をそろえてこう言います。
 
「少し休めばよくなります」
 
 ということともう一つは
 
「しゃべれるので大丈夫です」とのこと。
 
そう、しゃべれるし笑えるし、もっと言えば意欲はある。しかし、体が付いてこない。体が反応してしまう。
 
よく聞く話では「本当に心の病になると」しゃべれないらしい。し、前向きに物事を考えることもできなくなるらしい。
 
しかし、私はそれが出来てしまった。
 
それで困ったことが起きてしまう。・・・困ったこと。というとかなり語弊があるのだけれど、困ったこと。
 
「周りが俺をまともな奴だと思ってみてくる」
 
 まともな会話ができるとみると、大抵の場合「なんだ、健康で何でもないじゃん」って思われる。内面のこっちとしては無理やり頑張っているのを知らないままに。
 
 これの弊害として後述するつもりなのだけれど、
 
「休職して復帰した後に、自分は結構頑張っててそれなりなのに、周りからは普通に見えるからどんどん要求が高くなってくる。そして〝今は辛いので緩くお願いします〟というと〝甘えるんじゃない、この給料ドロボーが〟と返信が来る」
 
ということです。つまり、見た目はまともなんだけど、本人は限界点に近い場所にいて、

ちょんって押されると崖下へ転落していくような感覚で会社にいるし買い物もそんな感じでやっていたということ。

 だからこれ以上の負荷はやめて!これ以上何も起きないで!これ以上要求は何もしないで!って心の中で叫ぶし、上司に言うんだけれども現実のお出ましである。
 
「誰がお前の給料を稼いでいるんだ?」ってね。
 
病気になって一番辛かったのは?ってい聞かれると多分「症状がつらい」というよりも「周りの反応が厳しく見えるようになった」ってことなのかなって思うわけです。
 
 それでですね、このお話のタイトル「その青い世界、赤い冒険者が歩くとき」は具体的に何を書いていくのか?ということなのですが、

 2014年7月~2022年の今頃くらいまでの時間に私がやってきたこと、感じてきたこと、実践してきたこと、をつらつらと書こうかなと思ったわけです。病気から休職、復職、休職、解雇、実家での引きこもり・・・いろんなことをやってきました。
 
7年分あるので量が凄いことになってしまったので、前編、中編、後編に分けたいと思います。
 
 タイトルを決めるのに少し悩みましたが「引きこもり」という名称をメインタイトルに使うことは避けました。なぜかというと「引きこもり」という言葉は私たちのような赤い人間が考える言葉です。それは家から引きこもって出てこない様を外から見た人が「ああ、引きこもりジャン」というわけで名前が付いて、イメージも付きました。
 
 でも、これって「引きこもりの人」がそこにいないことに気が付きませんか?例えば川は川だ!と主張しません。山は山、森は森って人が名付けただけです。本人からの返答がないことをいいことに、勝手に名前を付けるのです。

 まあ別に場所とか物質ならいいんですが、引きこもりは物質ではなく、間違いなく人です。その人の状態を指しています。引きこもりは今まで出来ていたことが出来なくなった人、先天的、後天的様々あると思いますが、いずれにせよ世間から離れてしまうことで、葛藤や乖離が生まれてしまうのが辛いです。そんな状況に苦しんだ日々を一言で表すとブルー。引きこもりは青い世界でした。
 
だからこれはそんな青い世界を冒険した赤い人物の記録と記憶。
 
「その青い世界、赤い冒険者が歩くとき」というタイトルにしたのです。
 
 それを「自分を他人と思っている私が客観的に見ている世界感」で語ろうかなと思わけです。大抵の場合は「自分の人生は自分のものでしっかり生きている!」って思うのかもしれないのですが、私は情けないことに「自分の人生が自分の物ではなく、他人がやっている」とどこかで思っているのです。
 
 わかりやすくは難しいのですが、イメージでは
 
自分の体の上空にもう一人自分がいて、それを見ているような感じ。他人の部屋を覗き込んでいる。
 
ロールプレイングゲームをやっていて、キャラクターを上から眺めている。
 
そんなイメージでいいと思います。
 
 こういうのを離人感というらしいです。これは「精神的にショックを受けた人が一時的になる」ことがあるそうです。これは精神科の先生から教えてもらいました。受け入れがたい現実が起きたとき、自分の感覚を切り離すことで、自分を守るという自己防衛の一種であるという話です。
 
 例えばガチャゲーをやっている人が今までためたガチャ石を全部使い切って、追加で3万円突っ込んでも欲しいキャラが出てこなかったときに、考え方を変えたりするでしょ?
 
「運営さんへのお布施だから」
「いつも遊ばしてもらっているお礼だから・・・」
 
とか。本来、キャラが手に入れば「このキャラに3万円使ったよー」とか愚痴ることもできるのですが、手に入らなかった場合は「それをずらして、自分を守る」こんな動きが人には絶対あるのです。話をずらしたり、論点をずらすのは自分を守ろうとする動きがそこにあるからです。
 
私がこの8年間、病気というものに支配されず・・・という言い方が正しいのか分かりませんが、精神的な病気の場合、支配されてしまうととんでもない行動に出てしまうような気がします。それは私にもありました。
 
悪くすれば「自殺」とか「オーバードーズ」「過食」「拒食」「異常な飲酒」などがそうでしょう。現実と自分の乖離に嫌気がさして、この感覚を捨て去りたい。それは痛いくらいにわかります。
 
当然、私も何回か考えましたよ。自殺すること。これ言うと怒られるんですよね、軽率だって。でも、安心してください。軽率だっていうやつは極限まで来てない奴です。安全圏から石を投げて、自分は無事ってやつの言葉なので無視してください。
 
多分、私が支配されなかったのは
 
「病気になったことは認めるし、受け入れる。でも向き合ったら最後、強い方に引っ張られると感じていたので、病気に向き合うことをある時期から止めたからです」
 
 西部劇のガンマンのスタートで拳銃を持って背中合わせ。よくある光景です。あの状態で静止しておくという状況で留めておく。ひとたび向き合えば銃を撃ち合って、その結果、どっちが勝つかは明確で
 
「大抵の場合、病気が勝ちます。病気ってそういう物ですから」

 風邪ひいたときにスポーツをやれば悪化するのは当然で、風邪と向き合ったところで悪い事しかおきません。病気と向き合うことをしても病気は良くなりません。そうではなくて自分と向き合って「ああ、あの時こうしたから風邪ひいたのかな」と風邪をひいた因果関係考えて、風邪を認めれば風邪薬を飲むとか、安静にするってことになるわけですから。
 
 こんな感じの引きこもりになった時に、どういう思考でどういう感覚で世界を捕まえて、その時に自分がやった行動は一体何だったのか。っていうのを自分のことなのに、他人目線で書いていきます。まるでロールプレイングのゲームマスターになったかのように。
 
8年分くらい。
 
 これは誰かに同情してもらいから書くわけではなく、こういうことが書ける状態になったから書こうと思ったのです。こんなことを言うとあれなのですが、病気をネタにして書いて同情をもらっても「うーん」と思ってしまうのでそれを経験として書けることが大切だと考えたからです。
 
その準備に3年と金額でいえば70万円かかりました。
 
なので、ここから先はある意味冒険の始まりですし、見る人にとってはつらい物かもしれないですし、もしかしたら怒る人もいるかもしれません。
 
ですがこれは「病気になった本人が言っていて体験して考えた結果です」
 
今はまだ死んでません。生きています。
諦めていません、道を変えました。
 
というのが冒険の答えです。
 
だからその人たちにはわかるというもので、外野にとやかく言われようが関係ないです。
 
読んでもらいたいのは引きこもりの人。それで困っている人。もちろん年代は問いません。引きこもりを抱えている親御さんや関係者さんにも読んでいただきたいと私は願っています。
 
引きこもりは「引きこもり」ではなく「青い世界の住人である」ということ。その世界に迷い込んでしまって、当てもなく戦い続けているということ。これは大げさではなく、私が命を懸けて経験し、体験し、人生の約8年を消費して冒険に出て、そして、生きて持って帰れたものです。
 
だからこそ、本物に届くだろうと私は信じています。

前編・中編・後編という感じでこのマガジンへ不定期更新をしていくので、気になった方はマガジンフォローしていただくか、私自身へのフォローをしてくださると読むことが出来ると思います。

大げさかもしれませんが命を懸けて持って帰ってきた冒険譚です。必ず届くと信じています。


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この物語で書かれていることは全部「ノンフィクション」です。内容は私が2014年頃に病気になり、現在まで続くまでの時間に起きた出来事です。 …

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