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その青い世界、赤い冒険者が歩く時 前編 3、冒険者、青い世界で迷う

 自分の寮の扉の前に立って扉を閉めるときに「・・・なんかもう帰ってこれない気がする」という予感がしました。自分の生きてきた世界を捨てて、自動的に別の世界の入口へ足を進めていっている。そんなような感覚です。
 
 実家に帰って、まず先に起きたことは「両親にしこたま怒られました」怒られた?というよりは理解されないままでしたね。それと不思議なことに千葉では全く食べることが出来なかったのですが、実家に帰ったら普通に食べることが出来たのです。何気ない母親が出してくれた食事でしたが私は心の中で「やった、食べることが出来るぞ」と嬉しかったのを覚えています。
 
で、私がこれからしていかなければならないことが出てきてそれをいくつか書いていきます。
 
・まず、紹介状をもって病院に行き、診断書を発行してもらうこと。
・診断書の発行をしてもらうと、休職の継続許可や傷病手当金がもらえます。
・治療を行って、復職を目指すこと。
 
時期と自分の扱いがごっちゃになってしまうので一度整理をすると
 
2014年7月 病気発生
     8月 1か月間の休養ののち復職したが出来なかった。
2014年8月~12月までの休みは「有給消化」
2015年1月から「休職」になりました。
 
 実質的な休職期間は2015年1月からの1年間。有給消化も合わせれば1年4か月の間に自分の病気を何とかしないと会社都合の退職。つまりわかりやすく言えばクビってことになります。その間の収入は傷病手当金という保険です。
 
つまり、最終期限2015年の12月までに病気を治して、今まで通りのようになるために復職しないといけないっていう感じです。
 
さあ、私は焦りましたよ。ええ、焦りました。
 
 とりあえず治すために千葉県の病院でもらった薬を飲み続けてはいたのですが、続けるたびに体がおかしくなってきます。
 
食欲はひとまず戻りましたが、それ以外に出てきた症状の一つに体が「そわそわ」してじっとしていられないというもの。家には当時父と母。それから弟と私の4人暮らしでした。私以外の人たちは働いていたので、当然昼間は家に誰もいません。だから変な行動をしていたのを家族は見たことがないのですが、とにかく座っているとそわそわしてしまうので、しきりに階段の方に行っては戻って、行っては戻ってという謎の行動を起こしていました。睡眠を上手く取ることが出来なかったので、だんだん幻覚が見えるようになってきてしまい、すごく夜が怖くなってきたのです。
 
それを改善するために私が取った行動。これは絶対にお勧めできませんが勝手に薬を飲むのをやめてしまいました。薬を飲んでいて、その量を減らしていくのを「減薬」というらしいです。
 
 通常「減薬」をするにはステップが必要になります。理由としては薬を徐々に減らしていかないと薬が切れたときの反動がすごいので、素人が医師の指導なしには絶対にやってはいけないこと。とのことでしたが、それはそれとしても苦しいのは事実でとっても辛いので飲むのをやめたのです。
 
そしたらそわそわが無くなって、幻覚も徐々に消えていき、少し良くなりました。
 
 これは多分ですが、私の投薬の時間が1か月に満たなかったこと。つまり薬に頼っていた期間がすごく短かったので反動が何も出なくて、ただ単に副作用が消えたっていう話だと思います。ですが、減薬は危険ですのでこの話を聞いたからといって突然薬を飲むのをやめないでくださいね。
 
それからどうしたのかというと、私は母親と紹介状を携えて少し遠くの総合病院の精神科へと向かいました。私としては近所にある精神科の方がいいと思っていたのですが、会社と親を納得させるために大きな病院を選んだのです。
 
「変な話ですけどね。医者は医者なのに」
 
 ここまでの話を読んでいただいた方ならもう気が付いていると思うのですが、私の両親も会社の人も「病院」という万能薬に頭を焼かれていました。いや、それはある意味正解なんです。病院は病気の治療を助けてくれることには間違いありません。ですが、最もダメなのは「病院を万能薬か何かと勘違いしていることです」その結果が「もっと大きい病院で権威ある人に見てもらえ」でしたから。
 
 まあ、それは置いておいて病院に行って診察室に入りました。すると出てきたのは女医さんでした。優しい人というよりは目がしっかりしていている人でした。しかし、それは見た目だけではなく話す内容もしっかりしており、私をきちんと診てくれました。
 
「とりあえずまず、落ち着くまで様子を見ましょう。しっかりと」
 
 そう言ってくれて、それから薬の話になったのですが、正直に薬の話をすると
 
「ええ、松下さんは今のところ薬を飲む必要はないと思います」
 
 あっさりとして、キョトン。
 
いらない?だって?あれだけ苦労して飲んでいたのに?あれだけ飲めと言われていたのに?という気持ちと同時に、良かったという感情が出てきたのを今でも覚えています。
 
ここでの診断も変わらず「適応障害」でしたが、女医さんが言うには「今のところ分からないことが多いので取りあえず病名を変える必要はない」との判断でした。
 
さて、大変になっていくのはここからです。診断が終わったとしても、症状は改善していません。なにせ自分でもコントロール不可能、そしてその原因もよくわかっていない状態。それなのにも関わらず、両親にはそのことが全く伝わりません。これは、しょうがないのかもしれませんね。もし、今、この文章を読んでいる人の中で私のような病気になった方なら分かると思うのですが、全く伝わらないんですよね、こういうの。
 
家族は私を心配するどころか、家の掃除、買い出しのお願い。挙句の果てに10月後半にある実家の稲刈りまで駆り出すというまるで暇だから帰ってきたんだろ?という扱いをします。
 
これが冗談抜きで本気で死にたいくらい辛かったです。
家族に殺されるかと思いました。マジで。
伝えたても伝えても納得しないんですもん。
 
 特に今でも覚えているのが稲刈りの時でして、その時は睡眠不足で2日で2時間という状況。ふらふらになりながら稲を担いでいたのを今でも覚えています。帰りの車の中で、何とか気を確かに持たないと思って思いっきり髪を引っ張ったり、皮膚をつねったりして堪えていました。それに気が付いた弟が心配そうにこっちを見ていたのを今でも覚えています。
 
もちろん病気は今も誰にも伝わっていません。
 
そうやって何とか稲刈りから帰ってくると風呂に入って食事もしないで布団に入りましたが「全く寝れません」やばいっす。体は睡眠を求めているのに、無駄に覚醒をしていて全くダメでした。このままだとやばいと考えて残っていた「抗不安剤」を半分に割った割錠を作ってそれを服用して何とか眠りにつきました。
 
 そして起きて。しばらく考える日々が続きます。寮から持ってきたノートパソコンを机の上に置いてありとあらゆることを検索して調べました。
 
ここから先にやったことは事実ですが、効果があるかは分かりません。偏見もあります。ということだけをお伝えします。
 
まず初めにやったことは、自分の病名と原因を探ることでした。
 
これは今もそうなのですが、私が病気になった原因は今でも掴めていません。確かに上司や先輩が少し残念な人だったのは認めますが、そんなのは社会人として生活していくうえでしょうがない事です。会社は選べるかもしれませんが、その中の人間関係までは選べませんから。それに、その上司や先輩の元で働いている他の人は病気になっていませんでしたので、いわゆるストレスというものを全く意識したことがなかったのです。つまり、ある程度社会人をやっていると嫌なことがありますが、それは病気になるほどの負荷だったのか?と言われたときに疑問に思ったからです。
 
なので、病気になったはいいけれど、自分が病気になった原因が全くわからないでした。
 
それと、つけられた病名についても調べましたし、女医さんにも聞きました。
 
検索ワード「適応障害 治すには」とか「自律神経失調症 原因」とかですね。
 
調べて出てきた物を読むと書いてあることは十分わかるのですが、自分がどうしてこうなったのかが全く分からなかったのです。しかし、体は反応している。ご飯がうまく食べられない、動機がする・・・んん?これってどうなんだ。って感じです。
病気の原因が分からないと、それを取り除くこともできませんし、病名をヒントに改善をしようとしても、それに適合していないと意味不明な結果が生まれます。
 
 例えば私が適応障害だとして、その原因に適合するものを探した時に病気の原因が上司であるということが分かれば、その人の元で働くことがストレスになりますので、部署を移動すればいいだけのことです。環境が自分に悪影響を及ぼしているので、それを変えると治り始める。という感じなのですが、
 
早い話、会社を辞めても私の病気は治りませんでした。
 
だから意味不明な状態で病気が続いていくことになります。これは今となってわかることなのですが、当時はそこまで深くわかっていませんでした。とりあえず私は納得しませんでしたが「働きすぎたんだ、上司のストレスなのか」という風に言い聞かせていました。
 
同時並行してやったことは体の状態を治療するということと、そのために何をしたらよいかということです。表向きの治療は病院の診断書と診察。これが一か月に1回あります。母親がパートを休んでくれて、その時に病院に行って色々検査をするというものですが、現時点では様子見といった感じ。それ以外に何かをやって症状を改善しなければならないと私は考えていたのです。
 
まず調べると自律神経を整えるために結構マッサージや整体が活用されているということを知ります。
 
「ははーんなるほど。じゃあやってみるか」
 
 家から少し離れていましたが、この時は家に置いてあった原付を運転して自由に行動できたので、マッサージ店に予約を入れて施術を受けました。しかし、目に見えた効果はありませんでした。それもそうです。こういうのは継続してこその効果ですから。継続しようかとも考えたのですが、通って継続自体がきついなっていうことを感じていたので止めました。
 
 次に手を出したのが相談系。カウンセリング系ですね。これは結構やりました。実際に適応障害になって復帰したカウンセラーの先生や占い師みたいな人とかとにかくいろんな人に話を聞いたのですが、「自分の領域に入ってくる人は一人もいませんでした」
 
 それもそうなんですよね、なかなか入り込めないというか・・・そこまで入り込んで話をするっていうこと自体が難しいですし、何よりも「相談したほぼ全員、言うことが同じ」だったことです。
 
・しっかり睡眠をとってください。
・栄養のあるものを食べてください。
・気晴らしに運動をしてみては?
・規則正しい生活をしてみましょう。
 
多分、これは良い事なのかもしれません。私は専門外なのでよく知りませんが、とにかく気晴らしをすること。趣味を見つけること、楽しめることを探せと言われたのです。でも「そもそも、楽しめることってなんだよ」っていうのが私の感想でした。
 
それでも正直にいくつか自分の楽しめることを探したのですが、私はネットで誰かの配信を見たり、動画を漁ったり、ゲームをしたり、漫画や小説を読んだりすることが楽しいというか恒常的にやっていたことでした。自分的に考えると「これって楽しいからやってるんだよな」って思ってそれを向こう側へ伝えると
 
「うーん。それは健康的ではありませんね」の一辺倒。
 
 何なんだよ!って俺は心の中で叫んでいました。俺の楽しい事は他人が決めることなのか?と思ってしまったのです。向こうさんが言うには「体を動かして、スポーツなんかがお勧めです」っていうものですから、私は今までのスポーツの経歴を言って「スポーツが楽しいとは思えないのですが」と言うと大抵の場合、向こうは黙るか、怒るか、説教をかまして来ました。
 
挙句の果てに「松下さん、素直にならないと病気は治りませんよ?治す気ありますか?」とのことです。
 
 そんなことを何回も繰り返しているとカウンセリングはコンサルティングに聞こえるようになってきたのです。一応言っておきますと、カウンセラーを変えなかったんですか?と疑問に思う方もいるかもしれませんが、私は10人以上のカウンセラーの方と話しましたが、大体そんな感じでした。
 
 何となくですが、カウンセラー側には「人としての正解の像」のようなものが何となくあって、その正解の像に
 
「趣味はゲーム・アニメを見ることです」は不健康。
「趣味はゴルフや散歩、テニスです」は健康的。
 
 っいう感じのものが存在するのかもしれないということです。
 
ここに気が付いたのは何人ものカウンセラーさんと話をしてみた結果、ほぼ共通のことを聞いてきましたし、言われたからです。その正解の像に適合していない場合、こちらの行動を変えようとしてくるのですが、カウンセラーの人たちはそもそも私が病気になった原因追及とか、私がどんな気持ちで人と接しているのか?とかそういうことを深堀しようとはしてきませんでした。
 
 あと、多分私がそれなりにきちんと受け答えが出来てしまい、カウンセラーの人たちは「どうしてこんなやつが相談に来たんだ?元気じゃないか?」という疑問を抱かせたのも事実だと思います。
 
別にカウンセラーの人たちが悪いというわけではなく、単にカウンセラーでも突っ込める部分とそうでない部分があるのだということでしょう。プライベートナ秘密とかもありますし。例えばイライラしていたり、何となく不安で誰かに相談したいとか、そういうことを相談して自分のことを全部吐き出してしまえば楽になって良い方向に行く人もいます。
 
つまり、カウンセラーの方としっかりと信頼関係を結んで、何でも言えるし相談できる間柄を形成してこそカウンセリングというものはその真の効力を発揮するのですが、この時の私は焦っていたので「方法論」つまり今の状況を改善するためにやるべきことを聞こうとしてしまったのです。
 
とても悪いことをしたと思っています。
 
こんな感じで私は病気になった原因とその改善策を見出せないまま、道に迷うことになります。というよりもこの時点でかなり焦っていまして、その時は頭に血が上っていました。リミットが1年間しかない。その間に何とか復職をしなければならない、いやーどうするか、どうするか。
 
周りは認知してくれない、周りに話しても嫌がられる。周りから気を使われている。
どうするべきか悩んでいる時間が長く、長く感じました。
 
趣味を見つけること、呼吸法をやってみること、プラス思考にすること・・・いろんなことをやっては見ましたが、効果はあまり感じられませんでした。
 
 この時は「自分が青い世界に入っている」なんてことを考えてはいませんでしたので、赤い人のやり方。つまり、今まで自分が培ってきた考え方(防具)を使って世界を冒険しようとしていました。そんなの無理に決まっていると今なら分かります。
 
ですが、そうやってあがく日々が1か月ほど経過した日に、あるものを見つけます。


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この物語で書かれていることは全部「ノンフィクション」です。内容は私が2014年頃に病気になり、現在まで続くまでの時間に起きた出来事です。 …

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