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その青い世界、赤い冒険者が歩く時 中編 2、冒険者、奇妙な経験


「もう一度言います。休職が可能になりました。休職期間は今から3年間です」
 
 この言葉を聞いたとき、私はどうなってんの?とよくわからなくなったのを覚えています。
 
一応、整理しておくと社則では
 
「病気による休職は1年間。これを超えた場合復職不可能ということで、事実上のクビになります」
 
 私はその1年間の休職を使って自宅療養しました。そしてそこから復職して半年が経過して、その結果、またダメになって休むことになったのですがこの場合「病気は治っていなかった」と判断され、新たに休職は本来適応されません。

 こういう規則を作っておかないと、この制度を悪用することが出来てしまうからです。病気になり、1年間休職、半年復帰、また1年休職を繰り返すことが可能になってしまいます。
 
そのため普通はこの時点で「私の病気がまだ治っていない」という判断をされた後に、めでたく退職通知を会社が出すことが出来ます。

私のような給料泥棒の厄介払いが出来るわけです。
 
 ですが総務が言っていることは何なのかというと「休職可能になった」とのことです。わけがわからなくなりますよね?私もそう思って、総務にこのことを聞いてみると思いもよらない答えが返ってきたのです。
 
「社則が変わりました」
 
 私が勤めていた会社は大きな親会社のグループ企業。そんなに大きくはありませんでしたが、2012年に親会社が業界再編的な合併をしました。ニュースにもなったくらいにとても大きな合併です。それによって影響を受けたのはそれぞれの傘下にいた子会社も徐々に吸収・合併を繰り返していたので、私の会社もその流れで2013年に吸収合併されていたのですが、多分急激な合併に「いろんなこと」が追いついておらず、今の今まで「元々の社則」を適用して対応していたらしいです。
 
 つまり「複数の会社が1つの会社に合併したことで、いくつかの社則が存在していた。その整備は間に合っていなかった」ということだと思います。これはあくまでも私の予想なので正しい情報ではありません。総務の話ではようやく2016年の6月に「統一の社則が出来上がり」それが適応になったのが7月。
 
つまり私が「半年間復帰していたからこそ、社則が新しくなり、休職が可能になった」ということでした。
 
 しかも新社則への適応は「前の社則で起きたことを無い物」にしてくれるらしく、私が休職していたことは社則的には「なかったこと」になります。しかし、社会的には休職していたことになりますので、傷病手当金をもらうことはできません。傷病手当金の受給期間は1年間と定められているので。
 
まるでそれを知っていたかのようなタイミングでこんなことが起こりましたが、こんなこと知っているわけもなく完全に偶然でした。
 
ですが、この話を聞いたときに「助かった」とは正直に言うと思えませんでした。この時の私は「また、辞めることが出来ない」って思っていたのかもしれません。
 
こう言う時に会社を辞めるという選択を取るのも一つの手だとは思いますが、私の性格的にそれを考えることは無かったのです。私は過去の経験から
 
「自分で選んだ道は、いけるところまでいくべきである」
 
という風に考えていたからです。過去に工業高校の電気科に行くこと。体操を始めること。これらは他人から言われてやったことではありません。自分で選択したものでした。その結果は悪いものではなかったため、自分でやり始めたことは殺されるまではやり続けるという意思が私の中にあったのです。
 
だから自発的に「辞める」なんてことは頭の中にはありませんでした。今回の辞職だって自分の意思ではなく、会社の社則によって、自分の病気によって「辞めざるを得ない」という部分まで追い込まれてのことですから。
 
それと、今の状況で会社を辞めても私に全く何もありません。この時に私が会社に残って休職という選択を取れば「給与の3分の1は支給されます」現実的に今、会社を辞めてしまっても、私の場合は生活保護のように何かがもらえる制度は無く、普通に失業保険だけでした。それ以外の特別なものがなにかないか、ここら辺は医師にも会社の産業医にも聞きましたが何もなかったです。
 
 あと気になっている人がいるかもしれないので一応言っておきますと
 
「業務上の病気なんだから会社に非があるんじゃないの?それだったら何かしら保障してくれるんじゃない?」
 
という当たり前の疑問が出てくると思います。これは私もそう思って、上司にそうだんしたことがあるのですが、こう言われました。
 
「松下、会社に非はない。なぜならお前の点数が足りてないから」
 
と言われたのです。
 
 何のことかわからないと思います。これは何でもそうなのですが病気が業務上の疾病であるということを認めるということは大変なことでして、一たびそれを認めてしまうと私のことを一生会社が面倒を見なくてはいけなくなります。なので、これを認める・認めないの話には明確な点数をつけてそのラインを決めているのですが、乱暴に言えば
 
「どうやっても松下は点数が足りない。安心してくれ、会社には非がない。非があるとしたらお前の方にある。お前が勝手に病気になってそれで会社にこれなくなった。だけど、すぐに見放したりはしない。だから3年間の休職と3分の1の給料は与えるからそれで何とかしろ」
 
ということです。
 
そしてこの後、私はある決断を迫られます
 
「長野で療養するか、千葉で療養をするか」です。
 
 率直に言えば会社としては、私みたいな社員が寮にいるのが面倒ですよね。何か間違って寮の部屋で自殺をしてもらったらいい迷惑ですし、管理もしなければいけません。だからさっさと実家に帰れ。というのが上司含めた会社の言い分でした。
 
しかし、私としては千葉県での療養を希望しました。
 
 希望した理由としては、一応、自分のやるべきことをやっている状態で療養をしたかったということ。実家に帰れば炊事、洗濯、掃除などを何だかんだ親がやってしまうからです。
 
それともう一つあります。それが私の症状の変化でした。
 
 食欲と睡眠に関しては結構改善されてきたのですが、今度は
 
「いつ体調が悪くなってどうなるのかわからない」という恐怖に包まれていたのです。早い話をすれば
 
「人込みや公共施設に行くことが困難になってしまっていて、帰宅するために新幹線に乗れなくなってしまっていたのです」
 
これは急激にそうなったわけではありません。実のことを言うと今振り返っても長野県から千葉県に来たことと、半年間の復職につていは
 
「今考えても、どうしてできたのかわからないのです」
 
 めちゃくちゃ不安で、精一杯だったことだけは覚えていますが、それ以外のことを覚えていません。全く記憶にないままの半年間。ゲームも配信もやっていたのですが、何も覚えていないのです。まるでこの3年間の休職期間をもらうためだけにやったのかもしれないと考えても不思議ではないくらいに。
 
 ともかく、私はこの半年間の生活で外出すること、心療内科に行くことが難しくなってしまっていたのです。休職をするためには医師の判断が必要で診断書が必要になります。これを手に入れるためだけに2週間くらい部屋で悩んでいました。
 
それくらいに外出が困難になっていたのです。
 
 しかし、行きなれたところには行くことが出来ますし、寮母さんとも会話をすること、同期と会話をすることも出来ました。少し遠出して何かをすることが難しくなっていったのです。
 
この診断書の提出が遅れていることに上司はめちゃくちゃ怒ってきて毎日のように電話をしてきたので、勇気を振り絞って何とか心療内科に予約を入れて、それで受診して診断書を提出しました。
 
するとその日を境に上司からの電話はなってこなくなりました。

そうですね。上司は「書類だけ欲しかった」だけです。
 
 診断書を提出し、給料等の書類なども全部やり取りしてひと段落したのは大体9月頃だったと思います。
 
ここでまた私の状況と時期を整理したいと思います。
 
2014年7月 病気発生
     8月 1か月間の休養ののち復職したが出来なかったため休職
2014年8月~12月までの休みは「有給消化」
2015年1月から「1年間休職」になりました。
     1月~11月まで長野で休職
     12月 会社に復帰の準備
2016年1月 復職開始
2016年8月 体調不良により休職開始、期限は2年間。
 
 外出がうまくできない状況のため、千葉の寮で療養を行うことに。収入に関しては給与の3分の1を支給。生活に関しては自分で行うことにした。
 
という感じです。復帰の最終時期は今から3年後。
 
2019年7月までに復職が出来ない場合、会社都合退職、休職満期になります。
 
全ての書類を出した後私は寮で一人の生活が始まったのです。


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この物語で書かれていることは全部「ノンフィクション」です。内容は私が2014年頃に病気になり、現在まで続くまでの時間に起きた出来事です。 …

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