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子育て回顧録1 生まれる前のこと

息子の陽(はる:仮名)は、もうすぐ高校を卒業する。
最近は、私よりいいやつだったり、努力家だったりして、勝手にすくすくと育っている。
修学旅行から帰って来たら「楽しかった。一緒に過ごしてくれた友達にも感謝する。お金出してくれてありがとう。」なんて言う。

こんな親なのに、こちらこそありがとう。

陽を育てるのは、大変でとても楽しかった。
もう少し手がかかるけど、彼を育てた記憶が古くならないうちに、文章にしておこうと考えた。

陽が30歳になったら、もしくは私が不治の病に罹ったら、渡す。好きなときにみてくれればいい。

ゆえに、これから書くことはかなり個人的で、読み手も限られたものだ。
断片的で数多い、息子へのラブレターになる予定のもの。


その1 生まれる前のこと

結婚したら、すぐ妊娠すると思っていたが、1年半以上妊娠しなかった。

私は子どもの頃から嫌な子で、将来の夢に「お嫁さん」と書く子が不思議で仕方なかった。
「結婚なんて、みんなするでしょ。それが夢ってどういうこと?」

当たり前のことだが、結婚も妊娠もみんながするものじゃなかった。

欲しいのにできないとなると、ジタバタした。
産婦人科受診と服薬、基礎体温測定と記録、排卵がわかる検査薬に妊娠検査薬の大量購入、身体を温める漢方の服用。
そして、毎月生理が来たと言っては泣く。
手がつけられない。

子どもができないなら、夫婦の時間を楽しめばいいのに、そんな発想の転換はなかった。
結婚当初は、折角結婚したんだから2人の時間を楽しみたいなんて思っていたのに、本当に勝手だ。

何故?何が悪いの?どうすれば?教えて!誰か教えてよ!!私が妊娠できないってどういうこと!?

欲しいものは、ある程度手に入った人生で、初めて手に入らないかもしれない現実に、思いっきりジタバタした。
そんな不穏なところに、コウノトリはやってこない。

色んな策を講じても思わしくない結果が続いた。自らたらい回るかのように、受診していた産婦人科とは別の産婦人科を受診した。
女性医師で新聞や講演での発言を拝見して、この方なら信用できそうだと思っていた先生。

診察室で先生は、初診者用の問診票をみながら「どうしたい?」と単刀直入に私に聴いた。
「妊娠できる身体なのかが知りたいです。」
そんな風に思ってたのか、と必死なくせに、俯瞰で自分を眺めてる自分がいた。
「分かった。じゃあ、ここら辺で一番いい先生を紹介する。」と言って紹介状を書いてくれた。
まだ大丈夫かもしれない、そう思えて嬉しかった。

紹介された病院に一人で受診した際、紙袋を持参した男性が受付に来た。
きっと、採取したばかりの精子を提出しにきたんだ。
そうだよな。不妊治療って、こういうことも込みなんだ。
私が頑張るだけじゃダメなんだ。
夫にできるだろうか。
私がこんなことをしていても、咎めたり、難色を示す人ではなかったけど、相当な話し合いやフォローが必要だろうなと感じた。
その日受けた子宮体癌の検査は、痛くて、診察台から降りてもしばらく歩けなかった。

受診から数日後は、12月3日の結婚記念日だった。私は発達障害の研修のためA市にいたが、飛行機が欠航して帰れなかった。
夜は、手づくりのディナーで2回目の結婚記念日を祝う予定だった。
私達夫婦は落胆し、一人一人でその夜を過ごした。

翌日家に戻り、一日遅れの結婚記念日は、愛し合うことから始まった。ここ数ヶ月は、妊娠が頭の中にあるセックスだったが、この日はそんなことはすっかり忘れていた。
昨日の寂しさを払拭したくて、もっと触れたくて、息をするのも惜しむように、ひとつになった。
この頃には互いに相手の心地よいことを知り尽くしていたから、深いリラックスの中で、今までで最高のセックスをした。
果てた後は、一時間近く動けずにベットに横になっていた。
身体には幸せが満ちていた。

そして、後に妊娠が分かった。
あんなに満たされて子どもを授かるなんて。
幸せにかたちがあるなら、これのことだと思った。
私は大きな夫にジャンプしてしがみつき、嬉しさをぶつけた。夫は飛び跳ねた私の身体を心配しながら、しっかりと抱きしめ、幸せそうに笑った。
「本当?本当なの?やったな!すごい!!」
朝のリビングで、優勝したマウンド上の投手と捕手みたいに抱きしめあった。

初めての検診でみた陽は、2mmの小さな生命だった。
なんとか大きくして育てないとと思うと、将来をみる眼差しが強くなった。
飛行機に乗って帰る前に、タクシーを飛ばしてもらって、雪道を揺られながら歴史ある神社に行き、厄祓いをした。その年の私は大殺界だったから。
絶対に勝ってやるってタクシーの中で思った。
勝ち負けなんてないのに。

陽、あなたはこんな風にして、生命を得ました。
俺が生まれる前も、今と同じようにバタバタしていたんだな、と思う?
それとも、そんなこと教えるなよって感じ?

不器用で未熟だった父と母が望んで望んで、幸せに包まれた中で授かった。
父と母は、あなたが知っているとおり、その後別れてしまうけど、あなたが幸せの中で生まれ、愛されて育ったのは確かなことです。

時々あなたに関する回顧録を書きます。
私がいなくても、あなたはきっと大丈夫な程、たくましく眩しく成長してくれました。
私があなたにできることは、もうあまりなさそうです。
だけど、あなたを愛して育てた記録は、私にしか書けない。だから、時々書くことにします。

時系列がバラバラになるかもしれないけど許してね。
スターウォーズみたいって、笑い飛ばしてくれればいい。

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