共産党さんの「経済再生プラン」はすばらしいが、大事なことがひとつ足りない

※ 下記「生活保護費引き下げの論拠となった物価指数のカラクリ」の部分で、当初、「生活保護費は物価指数の変動に応じて上げ下げされることになっているのですが」と書きましたが、そのような決まりが特にあったわけではないとのご指摘をいただきましたので、訂正しました。ご指摘ありがとうございます。(2024年2月23日)

近況——癌「根治」と言われて調子に乗って大激動

森永卓郎さんの勇姿を見るとお恥ずかしい

やっと楽になったのでノート記事更新します。
以前お知らせしたとおり、10年前の源発の腎癌から数えたら三度の手術を経て、昨年九月にようやく「根治」と宣言された、二年越しの転移癌騒動でしたが、その後何事もなく正常にすごしています。

ということで、めでたいと思っていたら、今度は森永卓郎さんが癌だと!
報道を読んでいると、モリタクさんと比べると全然たいしたことないことを、さも重大事件のようにさんざん騒いでいた自分が恥ずかしい。
当時自分は、なんだかんだと療養を口実にサボってばかりいたのに、はるかにとんでもない状態の身体をおして、今もなお闘い続けているモリタクさんの姿には尊敬しかない。
いやなんならわたしゃ今でも、正直しんどいと言ってサボってばかりいるぞ。モリタクさんハードル上げすぎ!

日本ではほんとに数少ない、左派/リベラル系の反緊縮論者のうちの一人なので、ぜひ克服してこれからも長く活躍してほしいです。私ではあらゆる点で至らず、とても代わりは務まりません。
このかん、東京いきたくないもんだから、降ってきた仕事を本人の知らないところでモリタクさんにまわしたこともありました。いや全然たいしたことない話ですが、喘息は続いているので、今でも東京いきたくありません。山本太郎さんとも打ち解けてきてはるようだし、東の方のことは何もかも任せてしまいたいところです。ずっと元気でいてくださらないと困ります。

調子に乗って週16コマで秋学期開始!

私のほうは、以前書いたとおり、転移癌のあった左精巣を摘出したので、男性ホルモン欠乏症になっていまして、九月終わりごろから、三週間に一回補充注射しています。(つい先日、このホルモン注射で起こり得ることですが、前立腺マーカーの値が高くなったとのことで、一時中断してCT検査することになりました。)
この注射が始まったのが、ちょうど職場の秋学期が始まる前ごろのタイミングで、この注射開始と、抗がん剤打たなくなったことと、「根治」と言われた精神的開放感とが、一度にみんな合わさって、急に毎日元気がみなぎって新学期を迎えることになったわけです。
それで、野心的になって週16コマ入れてしまったもんだから…。

まあもともと、コロナ期でオンライン授業になってから「卒業研究」という必修科目がスタートしたので、三回生と四回生は論文のグループごとに授業コマを一コマとって指導することにしていたのです。当時はズームでやったのでそれほど負担はなかったもので。
それまで三回生の週一回のゼミで全部見るのはとてもできなくて、毎年中途半端に終わっていたのが、おかげでそれなりの論文ができるようになって、これはやめられないなあと思っていたのでした。
それが、やがて対面授業が再開されてからも、私は抗がん剤で免疫が落ちているからなどの理由で、ゼミ指導についてはズームが認められていたので、なんとか変わらずこの形式を続けてきました。
しかし、とうとう抗がん剤も終わった。これからもこの方式を続けることができるのか——という問いに直面することになったわけですが、それがねぇ、できる気になってしまったのですね〜そのときは。

かくして、ウィークデーは毎日出校し、特に水曜日は一限から六限まで連続。一コマぐらい間に空く日も、その間は疲れ切って何もできず、土日も授業準備やアフターフォローに追われるという毎日が続くことになりました。

そしてそこに、動画編集が入る!

ユーチューブの講義動画収録編集は継続

ご存知の方もいらっしゃるとおり、長谷川羽衣子さん相手の週二回の大学院研究指導のそれぞれで実施したレクチャーを、動画に録画してユーチューブで公開しています。
春学期にこれを始めたときは、抗がん剤治療中の精神抑圧状態の中で、自分の余命を考えると、新しいことを思いつくことにエネルギー使うよりは、すでにわかったことを後世に残すことのほうにエネルギーを使ったほうがいいという判断をしたもので、かなり必死で始めたものでした。
秋学期になったら「根治」宣言もされて、そんな重たい思いはなくなったのですが、乗りかかった船でやめるわけにもいかず、何より、すっかりおもしろくなっていてやめられなくなったのです。

うち「松尾匡のマクロ動学」シリーズは、先日レクチャーが終わったので、計9回で一旦完結とします。

マクロ経済学入門講義は現在シリーズ4の途中ですが、シリーズに含まれていない番外編も作りましたので、まだフォローしてない人はぜひご覧ください。特に、米山・朴論争などに興味を持った人は、ご視聴、拡散バンバンしていただけたら幸いです。

こうした動画の編集が、パンパンのスケジュールの中にねじ込まれるのでまあ大変。

さらなる怒涛の日々

一月ぐらいで根を上げて、冷静に自分の体調を考えてみたら、抗がん剤やめて男性ホルモン補充したからといって、元の身体にすっかり戻っているわけではなくて、そもそも約二年半分歳をとっているのでした。
いやあ、今年私は還暦だよ。こんな未熟者が還暦になっていいのかい。
しかも、もともとコロナ後喘息になって気温の下がる夜は酸欠気味になることは変わっていないのです。

こんな毎日の上に、12月には、経済学部の学生の研究発表会のイベントがあってその運営責任者だったもので、多忙さも極みを迎えるわ。講演会の仕事や政治系の依頼仕事も例によってちょくちょくくるわ。
…といった中でやっと年末の休暇がきたらすぐ風邪で寝込み、すぐ治って正月、子供の卒論を手伝いに行ったら、もうだいぶできてたもので、いっしょにゴジラ映画見てた。
そしたら、終わってからスマホの電源を復活させたら、何やらたくさん連絡が入っているぞ…と。
なんと能登で地震とのことで、慌てて石川の実家に電話したら、食器二点割っただけでした。弟たちが年始に来ていて本棚を押さえていて大事にならなかったとのこと。

そしてゼミ生たちの卒論や三回生の論文の草稿。
年内に送ってくれれば正月休み中にゆっくり校正すると言ったのに、言ったとおりに送ってくれたのは一件しかなくて、正月休みも終わりに近づくにつれて次々送られてくる。かくして授業開始に合わせるかのように、全論文の原稿の往復作業がはてしなく続き、やっとそれも締め切りを迎えて、授業も終わって、定期試験期間だと思ったら、そうだ。京都市長選挙だ!

試験監督や会議や研究会報告がない時間は、れいわ新選組の事務所で電話かけとか、街頭でチラシまきとか。ご要請を受けて半日あちこちで辻立ちの弁士したのは、思い返すとヘタクソすぎて恥ずかしい。
結局応援していた福山さんは、自公立国相乗りの現職後継に接戦で負けて、悔しかったですが、悲しんでいる暇もなく、翌日から朝から晩まで怒涛の大学業務が一週間続きました。
やっと二月中旬になってから楽になりましたが、しばらくはやはり研究会報告とか、京都石川県人会の震災義援金街頭募金活動とか、選挙の振り返りの会での出番とかいろいろあって、ようやくもようやくで、やっとこのノート記事の更新に着手できました。

円価値半分になるなんて思っとるわけないやん!

まず、私の言っていることの驚愕の曲解が出回っていたことについて。

まあ、もともとネット上で、「松尾匡はこう言っている」とか言っている言説で、私の言っていることを正しく伝えているものなど、ほとんど見たことありませんけどね。
でも私は、ネットで跋扈する各種「○○○警察」のみなさんみたいな暇もIT技能もありませんので、普段はいちいち「そんなこと言ってない」などと怒ったりせず黙っています。ましてや、好意で言うてくれてはる人に噛み付くほど、人格ひんまがってもいませんし。

でもこれはさすがにちゃんと説明しないと、あらぬ誤解が広まってしまうかも。
というのは、こういうことです。以前私がよく講演で使っていたスライド(2019年11月の講演に使ったもの)を、現在休眠中の反緊縮運動「薔薇マークキャンペーン」の「反緊縮経済政策資料室」においていました。その中の次の一枚を取り上げて↓

https://rosemark.jp/wp-content/uploads/2019/11/2019NovKurasitoKyoudouV2.pdf 37ページ

私が、自分が提唱する政策をとると、円価値が半分に下落すると認識しているのだと、ネットでさかんに宣伝する人が現れたのです。

いやいやまいったな。そんなはずないやん。
「たとえ半分」って「たとえ」って入れてるし、「(!)」って入れてるし、わかるでしょ。
「円価値が半分になるなどと言った、あり得ないことが起こったとしても」という意味ですよ。あり得ないようなとてつもない円価値の下落でも、この程度なのだから、現実にあり得る円価値の下落で起こる生計費の上昇は、ここで示した方法(現実の政府はやってない)などで管理可能で、たいしたものにはならないと言いたいのです。

前には、MMT派の人が金利が上がっても設備投資が減らないと言っていることを批判して、金利が50%に上がっても投資が減らないなどあり得ないだろうと言ったら、ネットでMMT派の人たちから、松尾はインフレになったら抑制のために金利を50%に上げるべきだと主張しているということにされ、そんなことは不可能だとか、こんなひどいことが起こるとか、さんざん叩かれたことがありましたが、なんでこんなことになるんや。そんなこと私が主張するはずがないやん。
わかりやすいようにと思って極端な仮想例を出すと、すぐこんなことが起こる。困ったものです。
上で紹介した二番目の動画でも、話の本質をわかりやすくするために、設備投資がゼロの仮想例を検討しているのですが、こんなことをするとまた「松尾は投資がゼロになると思っている」とか言われるのかもしれませんね。まったく…。

コスト100%転嫁の前提で計算

なお、上にお見せした円価値半分になったときの生計費の上昇率については、すでにこのノート記事を継続してご覧のみなさんはご存知のとおり、昨年最新(といっても2015年の産業連関表)のデータで計算し直しています。

これによれば、円価値が半分に落ちたときの生計費増は最大14.8%となっています。

もとの12%という計算にも言えることなのですが、この計算は、すべての生産段階で、コストの上昇を100%売値に転嫁する想定で出しています。
また、生産に必要な輸入品の投入比率も不変だし、消費財も国産品と輸入品の代替がない前提で計算しています。
実際には、コスト上昇が全部売値に転嫁されるわけではありません。また、値段が上がった輸入品は、生産に必要な投入の場合も、消費財の場合も、比較的値上がりがマイルドな国産品などにある程度は取り替えられます。
したがって、ここで計算された生計費の上昇は最大限のものであり、実際にはこの数字よりもだいぶ少なくなるということになります。

生活保護費引き下げの論拠となった物価指数のカラクリ

名古屋地裁が引き下げは違法だと画期的判決

さて、お知らせしなければならなかったことの二番目ですが、宣伝を頼まれていたことがあったのでした。
昨年の11月30日に、2013年から2015年までの間の、最大10%におよぶ生活保護費の引き下げを違法だとして訴える裁判で、名古屋高等裁判所が原告の主張を認め、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。誠に画期的なすばらしい判決だったと思います。

実は、この裁判に粉骨砕身で取り組んでいらっしゃる白井康彦さんから、機会があったらこの問題について宣伝するようにご要請があり、このノートを更新する機会に取り上げますとお答えしていたのでした。
それが、判決の前の月のことだったのですが、結局多忙で更新の機会がないまま判決を迎え、判決後二月半以上たった今になってやっと取り上げることができました。長くお待たせして本当にすみませんでした。

生活保護を下げるための、独特の大きく下がる物価指数

なぜこんなにも生活保護費が引き下げられたのか。
生活保護費を物価に応じて変動させるきまりがあるわけでないのですが、厚生労働省はこのときだけ、デフレだからその分下げる必要があるとしました。しかも、その引き下げがこんなに大きかったのは、その際、厚労省はこの目的だけのための独特の物価指数を作っていて、それが厚生労働省に都合のいいように、えてかってに作られているからです。
この物価指数のカラクリを、白井さんは長年調べて告発してきたのです。
基本的なカラクリのわかりやすい説明は、名古屋学院大学の阿部太郎さんが作ったこちらの動画をご覧ください。

この厚労省指数は、2008年から2011年のあいだに、4.78%下落していますが、実は、同じ期間の総務省統計局の消費者物価指数(総合)の下落率は、2.35%でした。それと比べると、異様に大きく下落しているのです。
これを根拠に、厚労省が2013年に、生活保護基準の平均約6.5%の大幅引き下げ案を出しました。この背景には、2012年に野党だった自民党が生活保護バッシングを仕掛けて奪権したことがあります。

一般家庭がテレビをたくさん買った年で購入量を固定した指数

この厚労省指数は、全国の平均的な家庭での、さまざまな消費財の購入量を2010年の値で固定して、これを買うのにいくらかかるかで指数を作っています。生活保護世帯ではないのです。一般世帯全体での平均です。

ところが2010年というのは、ちょうど、地デジ化を翌年に控えたうえに、エコポイントがついて、例年の五、六倍もテレビが売れた年です。
テレビやパソコンというのは、デフレ下でただでさえ価格が下がっていたうえに、消費者物価指数の計算のときには、本当は同じ価格でも性能が向上していたら価格が下落したものと扱うことになっています。このように、価格の下落が大きく出る商品に、異例の大きなウェートがかけられたために、普通の指数よりも大きく下落する結果が得られたわけです。

しかも、生活保護世帯は一般世帯ほどにはテレビもパソコンも買いません。地デジ対応のために生活保護世帯にはチューナーが配られて、テレビの買い替えをしなくてすむようにさせられましたし、パソコンも、もし持っていたとしても中古品を買うのが普通で、性能向上の恩恵を受けるわけではありません。
要するに生活保護世帯の消費構造とはかけ離れた指数で得られた物価下落を根拠にして給付を切り下げたわけです。

この趣旨の裁判は、全国各地で取り組まれているようで、最近は地裁レベルでもあちこちで勝訴判決がでているようです。

愛知のケースは最高裁に持ち込まれることになったようで、引き続き、みなさんの着目をお願いします。

共産党さんの「経済再生プラン」へのコメント

どれも心から賛成できる政策

さて、取り上げたかったことの三番目。やっと、今回のエッセーのタイトルの話になります。
去年の9月23日に発表された共産党さんの「経済再生プラン」がすばらしい。だけど大事なことでまだ足りないことがあるという話です。
これも発表されてすぐにでもコメントを公表したくてうずうずしてたのですが、暇がなくてここまで持ち越しました。

共産党さんは、2019年の参議院選挙のときから、経済政策と身近な暮らしの問題を大きく表に取り上げるようになり、とてもいい傾向だと思っています。手前味噌で、バカと言われそうですが(言っていいよ♥)、自分では薔薇マークキャンペーンの成果だと思っています。

その傾向がこの「経済再生プラン」に至って、さらに鮮明になっていて、大変喜ばしいことだと思っています。
何より、30年にわたる停滞を、財界と自民党によってもたらされた悪いことと明確に位置付けて、一部の脱成長論者に見られるような停滞肯定論の入り込む余地のない書きっぷりをして、「経済再生」を打ち上げているところがいいです。
その上で、具体的に書かれている数々の政策は、よくできていて、どれも心から賛成できるものです。

借金が多少増えても暮らしを応援する

さらにうれしい驚きは、次のような叙述があることです。

現在の財政状況からすれば、税・財政の改革によって、新たな財源を確保したとしても、政府の借金額それ自体は増加していくことになります。「借金を減らす」「財政赤字がたいへん」などを口実に、消費税を増税したり、社会保障を削減したりする緊縮政策を行えば、暮らしは破綻し、景気がさらに悪化して、その結果、財政危機もいっそう深刻化します。借金が多少増えても、経済が成長していけば、借金の重さは軽くなっていきます。国民の暮らしを応援する積極的な財政支出によって、健全な経済成長をはかり、そのことをつうじて借金問題も解決していく――そうした積極的かつ健全な財政運営をめざすことが必要です。

まったくそのとおりですよ。よくぞ言った。

また、「安易に借金に頼ったのでは、格差を広げる税・財政構造を温存することになります。また、政府債務急増は、激しいインフレを引き起こす危険があり、過酷な物価高騰で暮らしが破壊される事態は起こしてはなりません」として、緊急的時限的な財源は国債でとする一方、「社会保障、教育などの恒久的な制度を拡充するためには、税・財政構造の転換によって、持続可能な財源を確保します」としていますが、この振り分け方も正しいと思います。
私もずっと前から、上にリンクしたスライドの中にもありますように、社会保障のような経常的な支出については、インフレが進行したからといって削減するわけにはいかないので、支出による総需要の増大を景気加熱時には十分に打ち消せるような税制の仕組みを当てて、あたかも「財源」を当てているような形式をつけておくことが必要だと言っています。

利上げができないとわかっていればOK

中に、超低金利政策をとってきたせいで、円安になっても利上げができないとある見解は全く同意できませんが、それはこの際どうでもいい。現在利上げできないという、正しい認識があることが重要です。
それさえあれば、選挙共闘にも、連立政権にも支障はないでしょう。

「海外で稼ぐ」路線への批判が必要だ

では、大事なことでまだ足りないことがあるというのは何か。
決定的に重要なのは、「輸出で稼ぐ国から海外で稼ぐ国へ」という財界のスローガンへの批判が見られないことです。この路線こそ、国内での設備投資需要の不足から長期不況を招き、製造業空洞化で労働の非正規・低賃金化を進め、廉価輸入品で地場産業を潰して、中小企業を淘汰してきた元凶にほかなりません。こうして国内経済を衰退させておいて、日本の大企業は東南アジアなどの労働者を低賃金でこき使っておおもうけをあげているのです。
そのおかげで今や、昨年の日本の対外直接投資収益は20.6兆円で、これは経常収支と同じ額になっています。このほかには、貿易・サービス収支の赤字をほぼちょうど対外証券投資収益で埋めているという構図になっています。日本資本主義は外国からの「あがり」で食っている寄生経済になっているのです。
これこそ、批判の真正面の的にすべきなのに、何も言及されていないところが最も残念なところです。

この問題への批判を取り上げているれいわ新選組においても、「帝国主義」という批判語を使うにはまだまだハードルがありますが、共産党さんこそが、この言葉を使うにふさわしい党名を冠しているはずだと思います。

産業の国内回帰を経済政策の柱のひとつに

この政府財界の描く構図を逆転させるために、産業の国内回帰こそが、こちらの提唱する経済政策の中心のひとつに据えられなければなりません。これが今回の経済再生プランに欠けている一番大事なことです。
しかし、一時的な優遇措置は別にして、長期的な制度としては、豊かな社会保障を維持するためには、大企業に高い法人税を課すことは欠かすことはできません。それはこの経済再生プランでも掲げているとおりです。
また、賃金を下げるわけにもいきません。この経済再生プランでも賃上げを強調していますし、それは疑いもなく正しいことです。
ではどうすれば、長期安定的に産業の国内回帰を図れるのか。

それは結局、円高を阻止すること以外にありません。
今、円安がある程度続いたことで、やっと生産拠点の国内回帰が進み出しています。しかし、いつまた円高が進行するかわからない状況では、安心して国内に生産拠点を戻すことはできないでしょう。
これは何のエビデンスもない私の「感想」ですが、1ドル120円になると、国内回帰はなかなか難しいと思います。130円前後を維持すれば、国内回帰は進むと思います。125円あたりが防衛ラインではないでしょうか。まわりに聞いてもだいたいそんなあたりという感じです。

具体的な値はともかく、この方向性を認めるかどうかというところから、金融政策論も財政政策論も自ずとでてくると思います。

実は某出版社から本の原稿の執筆を急がされているのですけどね。
全然着手する暇がなかったのに、やっと手が空いたと思ったらこんなノート記事を書いているとなったら怒られるかも。
でも、お題は「帝国主義論」ですから、この記事の共産党さんへのコメントの文章を使えばいいじゃん。ちゃんと本の執筆になっていたんだということでご寛容ください。