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56 潮目が変わる瞬間②「長い一日のはじまりに」

前回55からの続き🐰✨
2023年6月に94歳で亡くなった祖母。その2ヶ月前の出来事をお話ししようと思う。

☽☽☽

実の弟(80代)が亡くなったことを後で知り、可愛がっていた弟を見送れなかったことがきっかけで身の回りのことが覚束なくなってしまった。
両親と私で介護を始めてしばらくした時のことだった。他人の手も借りようと介護保険サービスを初めて利用する為に、母と私で動き出していた。担当者さんとケアマネジャーさんに来ていただき早速、今後のプラン打合せの場を設けてもらった。

私はその日、お昼前到着をめざして家を出た。
母とは駅のホームで待ち合わせて途中から一緒に向かった。祖母宅の最寄り駅にもーすぐ着こうかという時、祖母の住む地域の民生委員さんから母のスマホに着信があった。電話が気にはなったけど、それよりも私たちは急いで済ませたいことがあった。
お腹が空いているであろう祖母へすぐに食べられるお寿司や菓子パンを買いたかったのだ。
チャカチャカと駅前を動き回っている間に良いタイミングでバスが来た。小走りで停留所まで向かいバスに乗り込んでひと息。

出発して間もなく、また民生委員さんから母へ「電話に出られますか?」とメッセージが来た。
「ん?民生委員さんがなんの用事かな」とつぶやき、バスを降りてかけ直すつもりで母は返信しなかった。
そして数分後、下車。
するとすぐに再度メッセージが来た。

「Sさんが倒れていたので救急車を呼びました」
 
↑祖母のこと

母はすぐさまその民生委員さんに電話をかけ状況を確認した。私は実は、あの感覚が来てたから「コレか…🙄」と思った。
“救急車に乗せて病院に向かって良いか”と問われ、
母はこう答えた。

母「あと2分くらいで着きますから。 
  病院に行く必要あります? ケガしてます?」


実は、私はこの時の母の言葉…、変なことは言ってないけど、どーゆー意図なのかなと気になった。なんとゆーか…、私には「病院に行かせたくない」ような口振りに聞こえたからだ。
大通りに救急車が停まっていて、祖母の自宅に続く私道に入ると、玄関前に人集りが見えた。介護サービスの担当者さん、ケアマネジャーさん、民生委員さん、ご近所のSさん、救急隊員3名、、、いつもとは違うエネルギーでガシャガシャしていた。

民生委員さんはこの日、たまたま祖母の様子を見に来たら倒れているのを見つけ救急車を呼んでくれた。するとそこへ打合せ予定の担当者さんとケアマネジャーさんが来た。救急車が到着したので近所のSさんも心配して駆けつけてくれて、最後に私たち。
この状況を目の当たりにした私は「おばあちゃんはホント守られてるなぁ…😌」と思った。

祖母の様子を見に行くと怪我もなく見た目は普通に見えた。だけど救急車の中で調べると色んな数値が正常では無いようで、脱水と低体温症が疑われ、
精密検査してみないと何とも言えない、と説明された。母は病院に行くことで了承した。

*

祖母は昔から天に意識を開いて生きてきた人。
その娘である母も見えない世界を自然と受け入れて生きてきた。二人ともそれが当たり前の感覚だから、あまり認識していない。
そんな母はこの日、いつものように“直感”で謎の行動をし始める。

救急車🚑が病院へ出発する。たぶん母が乗っていくから私は祖母の家で待機しておこうかと考えていた。すると母は迷いが無い目で「一緒に乗って」と言ってきた。こーゆー時、従ったほうがいいことは私も知っている。私も救急車で病院に行くことになった。
それに母は一度車内へ乗り込んだのに、わざわざもう一度降りて家の中に何かを取りに戻った。

病院に着くと精密検査が始まり「ここでお待ち下さい」と言われたまま、長いあいだ薄暗い廊下にある硬いソファで待つことになった。目線のやや上に、この病院のポスターが貼られていた。ぼーっと眺め、ふと目を止める。ポスターの右下にこの病院の電話番号が記載されていた。末尾4ケタの数字が祖父の誕生日だった。

🐰「あ( *´艸`*)♡
  おじいちゃんが来てる」

このサインで、救急車騒動は亡き祖父の導きなのだと分かった。そして確信した。全ては良い方向に向かっていて収まるべきところに収まるんだ、と。
すぐ母に言うと「ホントやね」と返ってきた。
安心するとお腹がぐぅ~っ🌀と鳴った。お昼は祖母と食べる予定だった。
すると母は自慢げに駅前で買ったお寿司と菓子パンを広げてみせた。

「おぉーー!!(((*≧艸≦)♥️
 母よ、さすが!!やるね✴️」

救急車出発前、取りに戻ったのはコレだ。
目の前の貼り紙に「飲食禁止」の文字があったけど、二人で隠れてマグロの握りを一つ口に放り込んだ。おいしーー٩( ᐛ )و♡ ←コラコラ。

そこから待てど暮らせど検査は終わらない。終わったと思ったら、先生から入院が必要とのご説明。
ご説明が終わると入院手続き。病棟フロアへ移動→看護師さんよりご説明を受けやっとこさ終了。
面会謝絶の祖母に会わせてもらうことができたけど、祖母は憔悴しきっていて、どーやってここまで来たのか覚えていなかった。
「また来るからね」と言い残して帰途につく。
約4時間が経っていた。



長い待ち時間で母はこんな事を言っていた。
母「やっぱりアユちゃんに一緒に来てもらって
  正解だったわ。
  救急車に乗る前、ピンと来たのよねー。」
🐰「確かに。何かあると思ったー。それにしても
  何で救急車に乗せたがらなかったの?」
母「あー、あれは…、つい二日前におばあちゃんと
  話してて“病院に行ったら寝たきりになってしま
  うから病院だけは行かないようしようね”って
  話したばっかりだったから」

それで分かった。
母も「なるようにしかならない」という考えの持ち主で現状に抗うタイプではない。私もこの時期には既に「流れに身を任せる」ことが出来るようになっていた。そして当事者である祖母なんて既に「棺桶に片脚を突っ込んでるような境地のお人」なんだから、まぁ流れが早いこと。そしてそれが祖父の導きと来たもんだ。スムーズに展開しないはずがない。どう考えても祖父が祖母をあちらの世界に連れていこうと導き始めたのだということが分かった。
それに祖父が、私たちの負担…いや、主に母の負担を最小限にしようと計らってくれていると気づいた。でも、そうは言うもののやっぱりこれは祖母の生き方であり「逝き方」なんだな…と思った。

*

私が今まで生きてきて、人の最期を見た経験は決して多くない。そう前置きした上でなんとなく気づいたことがある。


「死に様=生き様」


どのように死ぬかは、どのように生きたかに似ている気がする。
でもそれは「善い行いをしたから善い死に方ができる」とか「短命だから不幸だ」というような“この世的な尺度”で測れるものではないと思っている。もっと言えば、私を含め他人がジャッジできるものでもないし、“死ぬ瞬間”だけ切り取って見てもそれは分からなくて“自分自身が一生を通して見て”初めて見えてくるのだと思う。

この2ヶ月後、祖母は逝った。
祖母の生き様は「私はこの先どう生きるのか」の指針になった。


*


最後に本題に触れよう。
遡ること約5時間前。
アユミはこの日、自宅で出かける準備をしていた。母との待合せ時間に間に合わせるために乗らなければいけない電車は決まってた。
…にもかかわらず何故か、ちんたらぽんたら髪を巻き巻き…ぼーっとしていたらしい🙄。
出なきゃいけない時間は過ぎていた。

🐰「ありゃ😱💦 もうこんな時間!!
  母にメールメール……“1本遅れるかもー😰”」

ホームに着いたら母がいた。
「電車、今さっき行っちゃったわ」
すまぬー。私のせいー🐢💨💦
ベンチに掛けて待つことにした。
電車が出た直後、乗降客が多くない駅なこともあり、私たちの他に誰もいない。
春先の温かい陽射し。フワンとした風が麻のワンピースを通り抜けるから、私は心地良かった。次の電車は何分かな…と電光掲示板をぼーっと眺める。
するとその瞬間、、
電光掲示板の表示がパタッと切り替わった。
〈遅れ◯分〉と視覚が捉え、同時に駅構内のスピーカーマイクがONになったことでガシャガシャした音も聴覚がキャッチした。
この瞬間だった。電光掲示板から目を離す間もなく明らかに潮目が変わり、あの感覚が来た
瞬時にガラッとエネルギーが変化した。
線路の分岐器がガチャンと切り替わったような、
からくり屋敷(?)の扉にもたれてパタッとあちら側に瞬間移動したような感覚。

この日、私の準備がなぜか遅れた。タッチの差で乗り遅れた電車は、私にとってエネルギー切り替わりのちょうど境目。もっと前からこうなるように動いていた現実。
おそらく一本前の電車に乗っていたら、民生委員さんより早く到着していたはず。そして、ベット脇で倒れている祖母を起こし、もう一度ベッドに寝かせたかもしれず、低体温症や体調の変化に気づくことは無かったかもしれない。よっぽどのことがなければ母が救急車を呼ぶことはない。この世界は不思議だ。


周囲を意識的に観察し続けると、いつも小さなものから大きなものまで様々なことがサインで送られてくる。丁寧に受け取っていくと、早い段階で気づくことができる。
チャンスを逃さない人、運が良い人、なぜかうまく行く人や仕事が早い人はおそらく意識の使い方が違うのだと思う。観察力に長け、それを精査するための蓄積した智慧が半端なく多い。それを必要な時に即座に引き出せるよう頭の中が常に整理整頓されている。そして何より決断し行動に移すのが早い。

私の場合、常に意識活動を続けていると途中で脳疲労を起こす。そこで私は脳内旅(※)でアチラに意識を飛ばしてしまう。脳内旅で回復できない場合、睡眠が必要。働き者時代は特に、無意識になることができなかったので、意識活動に力尽きた瞬間パソコンの前で突っ伏して眠ってしまうこともあった。
これがアユミの生態だ😳

【※脳内旅とは・・・
 アユミ語録の一つ。
 白昼夢と同義。】


近頃は穏やかな意識活動ができているおかげで、
日中に力尽きて眠ることも無くなった。
今は今で、素晴らしく快適なのだー✴️

〈おわり〉

Ayumi☽


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