りさこ

秋田を拠点に活動する2人組拳系アイドルユニット《魔夜中保健室》ボーカルの片割れ、りさこ…

りさこ

秋田を拠点に活動する2人組拳系アイドルユニット《魔夜中保健室》ボーカルの片割れ、りさこのnoteです。

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ごあいさつ。自己紹介。

ごきげんよう。りさこと申します。 《魔夜中保健室》というユニットをやっています。 4月24日生まれ、牡牛座のB型。 好きな食べ物は、数の子とチョコビスケット。 好きなお酒はウイスキー、ラム酒、赤ワイン。 洋酒ってお菓子みたいな味わいがあって好き。どっちかっていうとお菓子が洋酒使ってんのか。 趣味は喫煙、特技は喫煙所探し。 美術大学を5年で卒業し、就活にも一切手を染めず、まっさらな職務経歴で世間に放たれること早1年。 いや、もはやまだ世間に放たれてすらいないのかもしれない。

    • 裁判官の憂鬱

      「常に公平性を保つ裁判官のような性格です。」  中学生時分、通知表の担任コメント欄に書かれていた言葉が、なぜだか今でも印象に残っている。  生来自分は物事が1枚硝子を隔てた先で起こっているような気のすることがあり、友人同士の諍い、または自分の関与するそれに対しても良くも悪くも他人事であった。正直言ってどうでもよい。巻き込まれたくはない。  しかし常に避けられるものでもなく、時には関わり合いにならなければいけない場合もある。  そのような時、どちらを立てるでも貶すでもなく当

      • 様々な形のプレゼント(生誕ライブを終えて)

         ああ、無事に終わったんだ。  顔の全ての筋肉が収縮をやめ、眠気とは違う感覚で瞼が落ちる。昼から晩まで沢山の人に笑顔をもらって笑顔になって、普段使い慣れていない顔の筋肉の方が先に眠ってしまったみたいだ。  午前3時。  さっきまで沢山人がいた場所が静かになって、本当に両手で持ちきれないくらいのプレゼントを抱え、ライブハウスの階段を降りる。  欲しいって言っていたもの(主にタバコ・酒)、大好きな動物の虎モチーフの物、好きなお菓子、素敵な服、お花!等。みんな色々覚えてくれてい

        • 小さな花

           丸一日休みになってしまった午前0時。ゆっくりと起き上がり、分厚い遮光カーテンと二重窓を開ける。夜だというのに、心地よい風が吹き込む窓辺にほっとする。春だ。たまには頭から噴き出す、まとまらない言葉たちをそのままに綴る。  春は私の生まれた季節で、一年のうち最も幸福で最も憂鬱だ。そわそわする。年齢は記号でこだわることはくだらないと思いながらも、歳を増すごとにそのくだらない記号は意味を持とうとしてくる。親が私を産んだ年齢や、大好きなヤク中のミュージシャンが死んだ年齢を追い越して

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        ごあいさつ。自己紹介。

          旅する身体、その心の動き

           午前6時50分。旅先である郡山の、銭湯で迎える朝。  アレルギー性鼻炎の薬で異様に眠くなった昨晩がうそのように、仮眠室の点灯でスッキリと目が覚める。寧ろそのくらいの薄ら眠い副作用が入眠に丁度良かったのかもしれない。  現代っ子らしく携帯チェックをしてから動き出し、寝惚け眼で喫煙所へと向かう。ここは朝っぱらから、たったひとつの目的を果たすためだけの人々が入っては出て行くな。  自身も例に漏れず目的を果たすと、身支度をするべく風呂場の脱衣所兼パウダールームへ入る。昨晩から思って

          旅する身体、その心の動き

          無題

           無題という題について、学生の頃考えた。  例えば手癖やそのまま発露された感情を表現したとして、そこには無は存在し得るのだろうか。  単なる批評ではなく、思考の追求として読んで頂けると幸いである。  ひとつ、題がないことの美しさというものがあるとも思う。タイトルの持つ力というものはかなり強い。曲や絵画、小説、このような短文においても、第一印象且つ全体のテーマとなる。  それを定めないことで、全てが鑑賞者に委ねられることとなる。  しかしながら、無題というタイトルを付けておき

          朝の色相環

           朝日が青色を解く絵の具になって余りの光降り注ぐ今日、トーストの焼けるのをただじっと待つ。オリーブオイルも減らぬ日常。あの角を曲がれば君とぶつかって、抱きとめたのは夢であったし。  携帯のアラームが後に起きてきて、なんだか損したような気になる。  コーヒーはインスタントで別にいい。沸ききらない湯、溶けきらない粉。毎日は“別にこれでいい”の連続で、でも偏屈なこだわりもある。朝は憂鬱と希望の紙一重。人はどちらも併せ持ってる。  三文じゃ物思い耽る暇買えず、慌てて鞄を肩から提げる。

          朝の色相環

          日常が日常のまま (生誕イベントについて)

          こちらの写真は、2024/4/21(日)に行われる《閻魔帳ーりさこ生誕ー》のフライヤーに使用しているものです。 本日は、少し生誕のお話とフライヤーのお話をします。 フライヤーは自身で制作しました。 イメージは日本映画や舞台のフライヤーっぽく。 私にとって“誕生日”は限りなく日常で、ただ飲み会をしていたら日付が変わって迎えていたり気がついたら数ヶ月過ぎてしまっていたりするものでした。 以前にもライブが重なって祝って頂いたことはありますが、自主企画として自分で生誕なるものを

          日常が日常のまま (生誕イベントについて)

          ぶんぶく灰皿

          彼岸の入りの一日前。快晴。 父に誘われ、祖父の墓参りへと、祖母と父と三人で行った。 墓参りは多分、中学生ぶりくらいだから、勝手が分からず、箒を持ってうろうろしたり通りすがりの猫を追いかけたりしていた。 風が強くてマッチの火が点かない。タバコをやめた父が、私に「ライターあるか」と聞く。 2本くらい持っていたから、もちろんすぐさま差し出した。ようやく役に立った。 線香をあげて、祖父を思い出しながら合掌していると、祖母が小さな声で「生まれたところに戻ってこられて良かったわ。

          ぶんぶく灰皿

          コーヒーの香り

          母が先日、お気に入りのフレーバーコーヒーを購入したという。 さて味見するか。 勝手にドリップしようとお湯を注いだ瞬間、懐かしい気分になった。 バニラとマカダミアナッツのフレーバーが乗っていて、味に甘味はないが菓子を食べているかのような風味のコーヒーだ。 初めて嗅ぐ匂いじゃないけれど、最近嗅いだ覚えもない。確かに母は久々に買ったと言っていたけれど、しばらくはずっとインスタントコーヒーで、豆を買っているのを見た記憶はない。 「これ、前にも家で飲んでたよね?」 そう尋ねる

          コーヒーの香り

          風船になっては空を見下ろし

          風船に憧れる。 昔から、何故かとても。 中でもガスが入っていて浮かぶ風船は、一番身近な夢のあるものでただただ好きだ。 幼い頃、デパートなどでもらった風船を放してしまうと、自分より背丈の高い親が慌てて掴んでくれたような記憶がある。 もはや夢だったのかもしれないが、ベタに屋外で風船を放してしまって遠くへ飛ばしてしまったこともある。 その時を思い出す時の気持ちはただの悲しみではなく、なんだか背徳的で美しいものを見ているようでもあった。 手放してしまった悔しさと、画として

          風船になっては空を見下ろし

          閻魔帳 -参項-

          閻魔帳 -参項-とは、魔夜中保健室の自主企画の三本目(厳密に言うともっと多いけど)。 自主企画は、当然ブッキングが自分たちだから、仲間や大好きな先輩や、かっけ〜!と思った人たちとやれる最高の機会。 ひとの企画の時とはまた違う緊張感と高揚感をもって挑む。 とはいえ早めの行動はいつまで経っても出来ない。 早めに家を出たはずなのに様々な運命のいたずらで結局会場に着いたのは入り時間丁度で、そんなんでは社会で生きていけないと軽く叱られる。 社会で生きていけてたら多分ここにはいな

          閻魔帳 -参項-

          意味のない失踪

          先日、仲間の20歳の誕生日ライブに出演した。 20歳。 その頃の自分はといえば、本当に若すぎたし勝手すぎたな。 ふと思いを馳せることとなったので、ここに綴ってみようと思う。 当時不真面目な大学生であった私は、20歳の誕生日を迎える1週間前に、大学の授業を丸々1週間ほどサボって失踪した。 4月生まれだから、学期が始まって2週目くらい。 サボるには早すぎる。 1人で旅に出た。旅といっても行きたい場所も車もなかったから、高速バスで行ける東京に行って、そこから電車で色んな街

          意味のない失踪

          湯が沸く迄の数分間

          朝の台所。 働く家電たちと、ぼーっと立っている自分。 私の食事の用意は炊飯器と電子レンジで事足りることが多い。 あとは薬缶を火にかけるくらい。 毎日のように食べている冷凍のブロッコリーは、マヨネーズをつける以外の食べ方をあまり知らない。 同じものを毎日繰り返し食べることへの抵抗のなさ。 何かと同じ。 飼い猫のドライフードと同じだ。 同じ仕事をして毎日繰り返し生きることは容受出来ずいるが、かといって身の周りの生活へのこだわりもない。 意志や自制心を持ったダイエットを知ら

          湯が沸く迄の数分間

          春のような冬と心の代謝

          1月某日。 私の暮らす町は北国であるから、例年であればこの頃は地面といえば雪に覆われ空といえば厚い雲に覆われている。 しかしこの冬は、1月も下旬だというのに晴れ間がよく見られる。 いつもの冬の私はというと、空の鉛色に呼応するように気分が淀み、非常に塞ぎがちになっていたものだ。 だからこそ冬の晴れた日はどの季節のどの天気よりも好きだったのだけど、今年はそんな日が多くてラッキー。 なんだか春を前借りしているみたいだ。 活動的にもなるというもの。 活動的になったものの相変わら

          春のような冬と心の代謝