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私の中の邦楽ロックは10年前に終わった。

今日更新されたカツセマサヒコさんの文章を読んだら、2005年の記憶が蘇ってきた。私もあの頃は、毎週ライブハウスに通う邦楽ロック大好き少女だったのだ。

正確には私が邦楽ロックに目覚めたのは14歳、2004年のことだった。そこからおよそ5年間、思い出すのも恥ずかしいほど邦楽ロックに没入していた。「思い出すのも恥ずかしい」と書いたけど文字通りの意味でもあり、なんとなく封印したい過去の出来事でもある。あまり思い出したくない。今は邦楽ロックを全く聴かなくなってしまったということもあるけれど、当時の友人を除き、私がそういう音楽を好きだったことは誰にも明かしていない。私にとっては蒸し返してはいけない出来事のような感じだ。

13歳、夏。3つ離れた姉はGLAYの熱狂的ファンで、親友は椎名林檎の信者だった。私は二人の影響でどちらもよく聴いていたし、特に椎名林檎は本当に好きだった。けれど彼女らのように熱狂的に好きかと言われれば全然違った。朝から晩まで頭から離れない、寝ても覚めても「GLAY」や「椎名林檎」な二人に正直憧れていた。そんな私にも衝撃的な出会いが訪れる、それはテレビから流れてきたアジカンの「リライト」を聴いた瞬間だった。なんてかっこいいんだろう。その日から私も、憧れの二人と同じ次元に立ったような気がする。

きっかけはリライトだったけど、アジカンの曲は全部好きだった。アルバム名に「崩壊アンプリファー」とか「君繋ファイブエム」とか、わけわかんないのにかっこいい、実はちゃんと意味がある言葉を選ぶゴッチのセンスが大好きだった。ラジオや雑誌は全部チェックした。スクラップブックまで作っていた。笑。リライトの前にリリースしたループ&ループ、サイレンで知名度と人気を徐々に上げてきたアジカンは、私が好きになった頃にはもうライブのチケットが取りづらい有名バンドになっていた。ちょうど全国ツアーが始まる頃で、どうしてもライブに行ってみたかった。今とは多分全然システムが違うんだろうけど、「ぴあ」に朝から並んでみたり、姉に協力してもらって何度も電話をかけたりした。もちろんチケットは取れなかった。

そんな私に奇跡が起こる。ツアーの最終公演のSHIBUYA-AXのチケットが、ぴあの読者アンケートの賞品になっていて、まさかの当選したのである。学校帰りに母から「ぴあからなんか来てるよ」とメールが来て、めちゃくちゃに走って帰ったのを今でも覚えてる。

私にとって初めてのライブハウスはSHIBUYA-AXで、その後何百回と通うことになるとは当時の私はまだ知らなかった。場所もよく調べずに「SHIBUYA-AX」なんだから渋谷からすぐだろうと思って適当に歩いたせいで道に迷い、公演1時間前には余裕で着くはずが、開始5分前にようやく着いた。当時はスマホなんてなかったから、印刷した紙の地図をぐしゃぐしゃになるまで握りしめていろんな人に泣きそうになりながら道を聞いたっけ。原宿から行くなんて知らなかったよ。ちなみにそのとき初めて自分が方向音痴だと知った。方向音痴は今も健在だ。

初めてのライブはそれはそれは楽しくて、初めてのモッシュにびびりながら、気づけばその渦の中にいた。一緒にいた友人とは中ではぐれて、周りは知らない人だらけで、でもみんなありえないくらい笑顔で一緒に歌って踊ってはしゃいだ。

私の記憶の中のアジカンは、ストレイテナーやエルレガーデンと仲がよかった。よくラジオのゲストにも来ていたし雑誌で対談することや、ツアーで対バンすることも多かった。(MDにラジオをしこたま収録して文字起こしをし、自作のホームページで公開したりしてた。笑)私はアジカンよりエルレの方が100倍好きになった。当時エルレの公式サイトには誰でも書き込める掲示板があって、よく書き込んでた。メールを送ったら細美くんから直接返ってきたこともあった。

その他いろんなバンドが好きだった。ACIDMAN、ランクヘッド、つばき、……あげたらキリがない。バイト代は全部ライブ代とCDに消えて、最初の2回は友達と行ったけど残りはほぼ全部一人でライブに行っていた。月に4回は行ってた。今はもうないハコもあるのかな。SHIBUYA-AX、SHIBUYA O-EAST/WEST、リキッドリーム恵比寿、Zepp Tokyo、下北沢CLUBQ…大好きだった場所は本当にたくさんある。

学校帰りに下北沢のハイラインレコーズには毎日通ったし、ライブハウスで知り合った男の子とそのままライブ終わりにラーメンを食べたり、あるときは家までついていったりした。ロッキンオンジャパンは毎月買ってたし、COUNT DOWN JAPANにも4年連続で行った。本当に、私の青春だった。あと今思い出したけど、ある日井の頭線に乗ってランクヘッドを聴いてたら目の前にランクヘッドの小高さんと合田さんがいたことがあった。あのときのテンパり具合ったら…。電車で話しかけるのはだめだと思い明大前で一緒に降りて勇気をかけて話しかけた。言いたいことはいっぱいあった、リキッドルームで10回ライブしてますよね?私全部行ったんです、とか。もちろん言えなかった。でも二人は優しかった。

ここまで邦楽ロックにのめりこんだのは、ある意味現実逃避してたからだと思う。我を忘れてただ目の前の音楽や、ライブに没頭して歌って踊る。そうしてる間は地獄を忘れられたし、自分の内なるもの、大げさに言えば魂みたいなものをボリュームMAXで解放している気分になれた。きっとあの場にいた人たちみんなそうやって集まってた人なんじゃないかな。大小あれど、人には言えないこととか、傷ついたこととか、やるせなさとか、そういうのを持ち寄って。


青春は終わる。私の青春も大学生活が始まったくらいからだんだん終焉へ向かっていった。原因は分からない。でもいろんなことがあった。エルレの活動休止。ランクヘッドのドラム脱退。そしてつばきのボーカル、一色くんが死んだ。亡くなったニュースを見たときはもうほとんどライブにも行かなくなってしまってたけど相当堪えた。どんどん知らない新しいバンドが出てきて、でも新譜を聴く気力もライブに行く気力ももうわかなくて。私のiPhoneの中にある邦楽ロックの曲はあの頃と変わっていない。

あれからもう10年。すごく楽しい5年間だったはずなのにもう思い出したくないような、触れたくないような気がするのはなぜだろう。エルレ活動再開のニュースや細美くんが結婚したとか、今新宿の居酒屋に細美くんいるからおいでよとか、気になる気持ち半分、もう何も知りたくない気持ち半分。あの頃は現実逃避できてると思ってたけど今振り返ると、思い出したくないことも一緒にあふれ出てきてしまいそうで。

でもたしかにあのとき大好きなバンドや曲に出会えていなかったら、あの現実を乗り越えられなかったと思う。逃避できる場所があった私は幸せだった。ライブハウスに行けば毎回私を救ってくれた人たち。あの頃はほんとに、ありがとう。ちょっとだけ過去に向き合えた今日でした。


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