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心梳く本たち 4

あれ?こんなにちいさな本だったかしら?
手のひらにのるほどの、3冊の絵本を20数年ぶりに開き、自分がそれだけの年を重ね、大きく成長したことを思い知らされた。

繰り返し、くりかえし読んでもらったので、もうすっかりしみだらけで、背表紙は日焼けしている。どうやら、共箱はすでにどこかへ行ってしまったようだ。

『クリスマスの三つのおくりもの』という、小さなちいさな3冊組の絵本。
『ふたつのいちご』はかすみちゃん、
『ズボンのクリスマス』はもっくん、
『サンタクロースとれいちゃん』はれいちゃんの、それぞれの物語。3人は兄妹である。

どの本もそれぞれに、母に読んでもらった時の、わくわくする楽しい気持ちが、感覚として鮮明に残っている。
子どもながら、描かれた主人公たちの心情に、うんうん、と共感できた。
不思議なくらい、何気ない子どもの姿をよくとらえた著者の視線に脱帽してしまう。
幼い私は、かすみちゃんやれいちゃんには自分を重ね、もっくんには自分の兄を重ね、自分事の様に絵本の世界に魅入った。

なかでも、かすみちゃんが主人公の「ふたつのいちご」は、動物の世界へ踏み入れるお話で、特にお気に入りだった。

久しぶりに読み返してみると、大人になった私だからこそ感じる新鮮な違和感に出会った。

クリスマスケーキのいちごが足りない。
大人の分はいらないよ、とお母さんは言うけれど、心やさしいかすみちゃんは、12月の寒空の下、前にいちごを見かけた切り株目指して、外に出た。
いちごはもうすでにそこにはなかった。
がっかりして、森のなかへ探しに出かけると、一匹のうさぎが、一本の木の陰で、なにやらごそごそとしている。どうやら、そこは、うさぎの冷蔵庫らしい。そばに置かれた小さなかごには、冬に備えて蓄えられた食料が顔をのぞかせている。その中には、のどから手が出るほどほしい、小さな赤いいちごが、たくさん見えるではありませんか!かすみちゃんは、うらやましくなってしまいました。かごは、もうすでに食料でいっぱいです。いちごはころころとこぼれ落ちてしまっています。

さて、ここからです。
今の私だったら、どうする?
①そのまま恨めしそうに、うさぎを見守る。
②うさぎに事情を話して、2つだけ譲ってもらう。(・・・書いていて、悲しくなる。)

かすみちゃんは違います。
そのやさしさは、想像を超えていました。
なんと、「これに包めばいいわ。」と自らのハンカチを差し出したのです!
さらに、これだけでは終わりません。
そんな、かすみちゃんのまっさらなやさしさに驚いたのか、うさぎはびっくりして、いちごを全部落としてしまったのです!(かわいい)
試されてるの?かすみちゃん・・・という、私の頭に浮かんできた合いの手が、ああ、なんと野暮に響くことだろう。

「これが私のいちごだったらいいのに」と小さな声でつぶやきながらも、うさぎが落としたいちごを、ハンカチの上に並べて(!)、うさぎが取りにくるのを待つのです!

しばらくすると、うさぎが戻ってきて、かすみちゃんのハンカチを持ってぴょーん、ぴょーんとお家へ帰って行きました(・・・お話は続きます)。

・・・無垢なやさしさと健気さの洪水で、実際に目からは涙、自らの心も頭も洗われたかのよう。
自分だったら、目の前でいちごが落ちたら、ラッキー!と2個拾っていくだろうな、だって、うさぎさんは、たくさんいちごを持っているし、落として行っちゃうくらいなら、2個だけもらってもいいでしょう。・・・そんな自分が恥ずかしくなるのも忘れて、その美しさに呆気にとられた。

子どもって、こんなにやさしくて、純粋で、正直だったろうか?子どもだった私にとっては当たり前だった、その感覚が、今となっては、涙が出てしまうほど美しいものに見えたのだ。

これからはクリスマスの度に、子どもたちとこの絵本を読みたいと思う。
そして、このかすみちゃんのやさしい心について、話してみたい。
ふたりにとっては当たり前すぎて、「?」、と思われるかもしれないが、私が感じたこの感動を語りかけてみたい。

そして、願わくば、やさしさのサンプルをたくさん胸に抱えて、大人になってほしいのだ。ちょうど、人の感受性は、どのようにして育つのだろうかと、夫と議論していてばかりだ。
同じ家庭環境で育った兄妹でも、全く異なるよね、では、何が作用するのだろ、私たちが子どもにしてあげられることはなんだろう、等々。

感受性の器を広げる、きっかけを作ること。
もしかしたら、それは、他人が付与できるものではないかもしれないとは思いつつ、おこがましいかもしれないが、その想いを密かなクリスマスプレゼントとして、贈り続けてみたい。

麻佑子

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