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”口から出たことが本音でなくても、その時の肚の感じを味わえばいい”

月夜の祈りの非公開zoomの中で、印象的だった言葉です。

自分の内側と、出る言葉が合致していると、とても心地よいです。
内側にあるものを、100%再現することは叶いませんが、できるだけぴったりの、過不足ない表現ができると、そこでもうゴールです。
見てくれる人が少なくても、幸せを感じます。

それをまた味わいたいからか、
「内側と出る言葉は、合致していなければならない」てなって
発言や発信にものすごく慎重になってしまうことがあります。
「本音じゃないと、出しちゃだめ」みたいな、謎の完璧主義がうまれます。

そうすると自分を見張ってしまい
なんか出したいけど、本音かどうかわからないから、もうちょっと吟味しよう。って、時間をとる。
そうすると、もっとわからなくなってきて、最後には飲み込む。

本音とずれて何か言ってしまった時、私は「失敗した」と思う。
自分のことちゃんとわかってなかった、ミスった!てなる。
そういう後味の悪さを体験したくなくて、自分にがっかりしたくなくて、言わないほうが安全、と結論づけるのかもしれない。

だけど後味の悪さは、頭が「嘘=✕、本音=◯」という基準をつくっているから起こるのであって、ほんとうは「あ、ちょっと違ったな」で終わったら良いのだ。

大切なことは反省ではなく、そこでなんとなく判明した、肚の方向性で再出発することなのだと改めて思いました。



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