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「我慢」って人のことなめてるらしい

「我慢」というものが煩悩のひとつであると知り、驚きました。ふつうの辞書には「我慢…苦しいことがあっても意地でしのぎ、弱音を吐かないこと」とあります。なんか立派な感じがします。でも仏教的には我慢って「とにかく自負して他者をあなどること。私は頼られてる!ってドヤること。」らしいです。相手(自分)の実力?を決めつけてる感じ。

それで思い出したことがあります。私は家事が苦手でかなり夫に頼るのですが、彼が終電で帰ることが増えた時期、我慢して一人でやり始めました。皿洗いとかトイレ掃除とか。終電帰りの人に頼むのはさすがに申し訳ないと思ったからです。だけど、無理をしているので、やらされてる感がすごいわいて、数日で爆発しました。向こうからしたら、勝手にやり始めたことで勝手にキレて、何事!?という印象だと思います。訳を話したら、「そんなの、言ってくれたら普通にやるよ」と言われ、また分担の日々が始まりました。

私は自分のストレスの感じやすさをなめていたし、彼の、不公平とか気にせずできることはやる強さをなめていたと思います。あとやっぱり「自由時間が多い人が頑張るべき」という考えがあり、相手もそう思っているに違いない、と決めつけていました。実際のところは、夫は「自由時間が多かろうができない人もいる」ということをよく理解していました。夜中に皿を洗う彼を見て、最初は罪悪感を覚えましたが、じきに慣れました。むしろ当然、くらいになりました。我慢って、お互いの良さ?を消してしまうのかもしれない。

「我慢して〇〇する」は、自分への強制。「〇〇するのを我慢する」は、自分への禁止。いずれも自分に選択肢を1つしか与えていなくて、それ以外の道へ進むと大変なことになる、と信じ込んでいる。確かに、我慢をやめると、それまでの自分ではいられなくなる。それが怖い時、我慢してたほうがマシ、ってなる。でも別に、新しい道が現れるだけ。成功とか失敗とか、ないように思います。


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