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違う自分になれると思っていた

昨日は月夜の祈りのzoomに参加して楽しかった。自分探しの話になったとき、セドナへ一人旅をしたことを喋った。8年くらい前。いわゆるスピリチュアル迷子だった頃。閉塞感があって、自分のことが嫌いだった。過去世のカルマを浄化すれば、全てがうまく流れ出すと信じていた。

久しぶりに振り返ると、まず、私はかなり良い教育を受けてきたにも関わらず「過去世とか確かめようがなくね?」と問うことを一度もしなかったのはやばいと思った。あと「答えとは、教えてもらうもの」 という頭がずっとあった。どうして私はこんなに苦しいのでしょうか?と、いろんなヒーラーさんに聞いて回っていた。国内では飽き足らず、セドナに住む、マヤ文明の血筋のヒーラーさんに頼ったのだった。

どのヒーラーさんも、セッションの後「あなたはもう大丈夫」と言ってくれた。それで一時は落ち着くのだけれど、また嫌な目にあったりすると、やっぱりまだ浄化しきれていない何かがあるのでは?と不安になり、もっと強力なヒーリングを、大天使を、龍を・・・と探した。本当にたくさん受けたけど、またすぐ疑いの心がわいた。

疑うべきは、施術の効果ではなく、自分像だったなと今は思う。つまり「過去世のカルマが山盛りあって現世もトラウマだらけで霊障うけやすくて色んなものに次元上昇を邪魔されている私!」という自分像が、ガッチガチにあったのだ。それを、確固たる事実!としていたので、もはや後に引けなくなっていた。本当の今、ここで息をしている自分については、無視。今この瞬間の自分は、常に常に置き去りだった。

固まった自分像、正直もう身動き取れず苦しいんやけどそれが唯一の自分と思い込んでいるから手放したら何も無くなるからそんなん怖すぎるから苦しくても抱えてるほうがマシ、正直もう死にそうやけど、、という極限状況で出会ったのが美雨ちゃんだった。何が起こったのかはわからないけれど、そこから私は、今この瞬間に存在する自分(らしきもの)と共に過ごすことを学び始めた。私は今世これで合ってるでしょうか?と誰かに訊くのをやめた。なんかむかつくし、自分は今この自分でしかない。今のこれが正解なんだと思う。基本的に恨みっぽい(その辺の悪霊なんてめじゃない)。大丈夫じゃない時のほうが多い。ほんとだからしゃーない。自分のことが嫌いだけど好き。刻々と変化していく。




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