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片づけは、「聞く力」のあるリーダーになるためのトレーニングになるかもしれない

こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。

あなたは、「謙遜」という言葉に対して、どんな気持ちがわきますか?

辞書を引くと、

へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。

と、あります。


私個人的には、「謙遜」と言葉に対して、尻込みするような気持ちが湧きます。

日本人の美徳であるのはわかっているけど・・・でも、自分が自然に表現することは、実に難しい、という感じ。

それを表現しようとすることが、ぎこちないというか、嘘くさいというかー偽善者のようで居心地悪く感じてしまいます。

きっと、謙遜の対義語、「傲慢」寄りの人間なんでしょうね・・・😭


そんなわけで、ちょっとでも「自然な謙遜」を学ぼうと探していたら、今日はこんな言葉を見つけました。


■片づくマインド・名言シェア223

我に才略無く 我に奇無し
常に衆言を聴きて宜しき所に従ふ
人事は渾て(すべて)天道の妙なるが如し
風雷 晴雨 予め期し難し


松平春嶽(越前国福井藩16代藩主)
1828年10月10日生

私には才智や計略がなく、特にすぐれているところもない
だからいつも、家臣みんなの意見に耳を傾けて、
適切と思うものに従っている
そもそも、人の世の物事はすべて天のめぐりのように不思議なもので
風か雷か晴れか雨か、予期することは難しいのだ
(だから私ひとりだけの力で対応することなど出来はしないのだ)
出典;日本の漢詩文

江戸時代のお殿様の言葉だと思うと、信じられないほどの謙遜ぶり・・・!

と、同時に、まさにこれは現代でも大いに通用するリーダー論なのではないかと思いました。

「聞く力」のあるリーダー。

こういうリーダーの元には、優秀な部下が勝手に集まってくるように思います。


この感覚、もしかすると、片づけにも応用できるかもしれません。

自分は「聞く」お殿様。

モノは、お殿様の周りに侍る(はべる)者たち。

と、設定します。


そして、一つ一つのモノに、こう問いかけます。

「キミは、誰の、何の役に立ちたい?」
「それは、いつどこで、どのような時?」

すると、モノがまるで答えるかのように、イメージが湧いてきます。


例えば、いつも迷子になりがちな「体温計」ならー

「私は、家族みんなの、体温チェックの役に立ちたい。」
「それは、朝食後、出かける前です。」

という感じ。

すると、「ああ、この「体温計」の定位置はダイニングの近く、すぐ手に取れるところがいいな」、となります。

もし、「今、私は誰の役にも立っていません」というモノがあれば、手放して自由にしてあげる方が、お互いにとって賢い選択。

傲慢になりがちなお殿様タイプでも、片づけをすれば、自然な謙遜力も、適材適所力も磨けるかも?

探究は続きます。

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余談

私が通っていた福井市立宝永小学校の前身「源泉小学校」は、松平春嶽公が命名したとのこと。

校長室には、その歴史を物語る写真や書があったことを思い出します。

いやそれよりも、この小学校の躾はものすごくて、校内も校庭も「裸足」!体育館での全校朝礼は「正座」!

公立なのに制服もあり、掃除をする時は女子はザッとスカートを脱いで「ブルマ姿!」ーそんなところでした(あくまでも当時の話)。

体操服もない、ゆるゆるの北海道の小学校から10歳で転校した私は、そりゃもうカルチャーショックを受けたのでした・・・

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