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「梅の木の味方だった」

 子どもの頃、桜より梅が好きでした。

 しかし、世間はおしなべて桜を賛美。
 「さくらさくら」っていう歌はあっても「うめうめ」なんていう歌はありません。
 ひな祭りになると「お花をあげましょ桃の花」と歌うし、「チューリップ」や「もみじ」も歌になっているというのに、梅を歌った童謡はありません。それどころか「梅干ばばあ」なんでいう酷い言い方があったりします。
 そういった現状に対して、人知れず怒りを感じていたものです。

 梅の木が好きになった裏には、単純明快な理由が存在します。
 3歳になる直前から13歳になる直前までの10年間住んでいた家の庭先に、梅の木が立っていました。
 その1年後に幼稚園に通い始めることになり、そのとき配属されたのが「うめ組」。この時、梅に対する気持ちが芽生えます。
 梅の木は自分のシンボルのような存在になり、花が咲いたり、葉を付けたり、実がなったりする変化の様子を、周辺の他の木とは違う思い入れで眺めていたものです。

 小学校に入学する頃、雑誌の表紙などで、ランドセルを背負う新1年生の絵柄をよく目にするようになったときも、その背景に描かれた木が、梅でなく桜だったことが、まあ時節柄仕方ないとは言え、大いに不満でした。

 その後、年を重ねるに従って、梅に対するそんな「味方意識」は消えたような気がしていましたが、「奈良時代から平安時代ごろまでは、桜より梅のほうが好まれていた」なんていう話を聞くと何となく嬉しくなってしまったり、江戸端唄の中で、何故か「梅は咲いたか 桜はまだかいな」というワンフレーズだけを覚えていたり、学生時代のある日、梅の木に鶯がとまっていた姿に目を奪われ、しばし立ち尽くしてしまったなんていう体験も、今思えば、心の底に眠っていた「梅の木への味方意識」が働いていたせいだという気がしてきます。

 一旦こんなことを書き始めると、どんどんそんな気になってきます。この先、もし老いさらばえ認知症にでもなったとすると、たぶん僕は、毎日「梅の木、梅の木」とつぶやき、庭に梅の木を植えたがり、それが適わぬならば梅の小枝を花瓶に挿し、梅の花の絵を描いて暮らすに違いありません。
 ほんまかいな(笑)

 子どもの頃は、そのほかにも、はっきりした理由のない好き嫌いがけっこうありましたね。奇数より偶数。三角より四角。緑色より青。金色より銀色。「お」「か」という平仮名が好きで、「よ」「な」「ふ」が嫌い。「西田町」より「薬師町」。その他にも、好きな苗字、好きな名前等々。
 その基準は一体何だったのかなぁ・・・。

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