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【本当に備忘録】9000字で分かる『安倍晋三回顧録』


【はじめに】

 知人がかつて「安倍は座談が絶妙に面白いんだよ。座にいる人をあきさせないサービス精神がすごい」と話していたが、『安倍晋三回顧録』を読んでなるほどそうだな、と感心した。吉田茂や岸信介、中曽根康弘、橋本龍太郎ら首相経験者の回顧録はちょくちょく読んできたが、『安倍回顧録』ほど軽妙な政治家の証言はあまりない、という印象だ。

 逆に言えば、重厚さには乏しい。モリカケにせよ雇用統計問題にせよ、第二次政権時に噴出した不祥事に関する安倍氏の主張は、「桜を見る会」の私物化批判に「反省している」(364頁)と素直に応じている以外は、「俺は悪くない」という反応に尽きる。

 政治家としてむんむんの現役の雰囲気をまとい、再再登板の可能性がまったく消えていなかった中で『回顧録』のインタビューを受けていたので、非を認めたら責任を追及されると防衛本能が働いたのかもしれない。それを加味しても、悪いのは野党、足を引っ張ったのは役人と繰り返す発言からは、清濁併せのんで敵を懐柔しようという老獪さ、人格的成熟はあまり感じられない。

 自らに特別な配慮と考慮を示してくれた相手には結構無防備に好感を抱く一方、自らを軽んじる人間には根深い反感を示す。理屈っぽいオバマ元米大統領に辛口な評価を下し、強権的傾向のトランプ前大統領やプーチン・ロシア大統領に甘いのも、こうした性格によって説明がつく。年齢の割には泰然自若といった風の落ち着きがないのだ。

 とはいえ、育ちの良さの裏返しであろうこの一種の「子供っぽさ」が、人間的魅力にもなっている。「この人は自分の好意に応えてくれる」と信じられれば、汗をかいてその人を支えようという気持ちにもなるものだ。安倍氏の無邪気さが周囲の人々から警戒心を取り除き、同氏に尽くそうという心意気を抱かせるのだろう。

 以下、備忘録を兼ね、著作権に引っ掛からない範囲で、人物評や外交・安保政策を中心に『安倍晋三回顧録』中で興味を引かれた部分を紹介してみたい。当初は引用部分に一言コメントを加える形式で書いてたんですが、文章の半分を引用で埋めると著作権上問題が生じる恐れあり、とのこと。なかなか面倒です。

【人物評】

オバマ・トランプ

 オバマに対し全体として大変厳しい見方を示していることに驚いた。冗談が通じず、「正直、友達みたいな関係を築くのは難しいタイプ」(177頁)と評している。「友達にはなれなかった」と告白しているわけで、つまりオバマが嫌いだったんだろう。

 例えば、2016年5月の伊勢志摩サミット初日にオバマが遅刻してきたことを振り返ったくだり。前日に行われた日米首脳会談後の共同記者会見で、安倍氏が沖縄県うるま市で起きた米軍属の黒人の男による殺人事件に「断固抗議し、厳正な対処を求める」と述べたことにオバマが機嫌を損ねたとし、翌日もオバマは「私が安倍さんの立場だったら、ああいう表現は使わなかった。我々米国人は、非常に傷ついた」「黒人だから、特別厳しく対応しているんじゃないか」とぶつぶつ文句を言っていたと明かす(221ー222頁)。

 ふてくされて愚痴る根暗なオバマを、別の所では「クールな人間」(235頁)と評している。読者が受けるのは、冷たい人間というニュアンスですね。

 対照的に、トランプの印象は「予想していたよりも謙虚」「ケミストリー(相性)も合った」(236頁)と悪くない。「平気で1時間話す(中略)本題は前半の15分で終わり、後半の7、8割がゴルフの話だったり、他国の首脳の批判だったりする」(180頁)という。

 この点、国家指導者の先輩としてトランプが安倍氏に敬意を払ったという同氏の見立ては正しかったのか? トランプは単に「オバマと仲が悪かったならいい奴に違いない」と考えてただけなんじゃないの、という気もします。

 一方で、「常識を超えて」いた(247頁)トランプに手を焼いた経緯もしっかり語っている。外交・安保をカネ勘定で判断し(294頁)、恫喝めいた言動が目立ったものの、カネがかかるとして実は軍事力の行使を嫌っていたトランプが(同)、北朝鮮の金正恩総書記と頭越しに手打ちする事態を阻止できないものかと腐心する。ただし、単純なトランプを御すにはやはり単純に「口頭で褒め」れば良いと達観(247頁)、「用心棒役のトランプと良好な関係を築」くよう努めた(297頁)。

 お坊ちゃんて、ともするといじめの対象になるのだが、特有の無邪気さでひどく相手に感心して見せたりすると、それだけでガキ大将も一気に味方になっちゃうところがありますね。トランプとの関係では、この友人関係の極意が遺憾なく発揮されたと言おうか。トランプ、つまり米国を「用心棒」とあけすけに表現してしまうあたりは、首相経験者の発言としては貴重だろう。

朴槿恵・文在寅

 「何となく薄幸な感じがする」(172頁)という朴槿恵元韓国大統領の印象は、多くのメディア関係者のそれと一致する。

 朴槿恵の父は朴正煕。朴正煕と夫人(朴槿恵の母親)の陸英修さんはいずれも悲劇的な死を遂げている(詳細についてはウィキペディアなんかをご参照ください)。加えて、朴槿恵は常に、政治の巨人で旧日本軍の士官教育を受けた父親の影に付きまとわれていた。

 私の個人的回想だが、朴槿恵が大統領だった当時、この薄幸な女性と会談したある米国の閣僚は、「ずっと『日本はけしからん』という話ばかりされて困ったよ。でも私も同じ政治家として、お父さんのことがあるから国内を意識して日本についてああいう態度を取らざるを得ない事情もよく分かるよ」とぼやき半分、感心半分に話していた。

 朴槿恵に幾らか同情を見せた安倍氏だが、文在寅大統領には手厳しい。いわく、元徴用工に賠償請求権を認めた韓国最高裁判決を放置し、「反日を政権の浮揚材料」(325頁)に使いたいのだと指摘し、「文大統領は確信犯」と断じている(同)。

小池百合子

 このほか人物評で興味深いのは、小池百合子氏についてだ。なくてもゲームが成り立つトランプの「ジョーカー」、つまり、特殊な政治状況下では「スペードのエースより強い」(263頁)。

 「彼女を支えている原動力は、上昇志向」「でも、上昇して何をするのかが、彼女の場合、見えてこない」(264頁)と結構辛辣なのだが、別のところでは、小池氏が2012年の自民党総裁選で石破茂氏を支持したことを「そこまで気にしていな」いと語る(228頁)。総裁選で安倍氏を担いだ菅義偉氏は絶許という感じだったそうだが、安倍氏自身は小池氏を憎むというより、どこか感心しているようでもある。

【外交・安保】

中国

 防衛白書など公式の文書は中国の軍事的台頭について、「懸念」という表現にとどめているが、安倍氏は率直に「正直、『脅威』と言わざるを得なくなっています」(319頁)と指摘し、中国に対処するために防衛力の強化と日米同盟の深化を図ったと語る。安倍氏の中では「中国は不良」であり(218頁)、「どの国の首脳と会談しても」中国の脅威を必ず提起したという(31頁)。日本版告げ口外交である。

 安倍氏の中国に対するスタンスを巡っては、第二次政権も後半に入ると中国の経済圏構想「一帯一路」に協力する姿勢に転換し、融和的になったという声も聞かれる。ただ、『回顧録』を読む限り、厳しい中国観はこの間も維持されていたようだ。

 それをうかがわせるのが、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」について語った部分。FOIPは当初、自由で開かれたインド太平洋「戦略」と呼ばれていたが、後に「戦略」を「構想」に変えた。安倍氏はその間の事情に関し「中国はFOIPをとても嫌がっていたのです(中略)『戦略』という表現は、具体的な防衛協力まで想起させる言葉です。当初は使っていたのですが、ASEANがたじろいじゃったんです」(318頁)と語る。

 「戦略」から「構想」への転換は、中国というよりASEANへの配慮だった、というところがミソでしょう。中国との対決を自分から演出するのは得策ではないと現実的に考えただけで、中国への警戒心は一環して強かったように思われる。

北朝鮮

 北朝鮮にも一切の幻想を抱いていない。

 トランプが金正恩総書記との会談を通じ「ディール(取引)」を成立させ、北朝鮮問題の解決という歴史に名を残す業績を得ようと前のめりになる中、安倍氏は「完全、検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」の目標を変えるべきではないと力説した。『回顧録』では、「米国の国家安全保障会議(NSC)のメンバーから、『ミスター安倍からトランプに、しっかりCVIDを守るように言ってほしい』と繰り返し要請されていた」(293頁)「『金正恩が最も恐れているのは、突然トマホークを撃ち込まれて、自分の命、一族の命が失われることだ。武力行使のプレッシャーをかけられるのは、米国だけだ』とトランプに言い続けました」(同)と証言している。

 ここまで直截に言わないとトランプには通じないと思ったのだろうが、それでもトランプは、ディールの前に「俺の背中に荷物を乗せるな、という感じ」で聞き入れなかった(293頁)。NSCのメンバーとは、時期的にはマクマスターがぴったりだが、後任のボルトンの方がいかにもこういう裏工作をやりそうだ。ここいら辺はボルトンの回顧録『The Room Where It Happened』(邦訳『ジョン・ボルトン回顧録 トランプ大統領との453日』)と読み合わせてみると良いかもしれない。

 北朝鮮を巡ってはもう一つ、新型コロナウイルス対策のところで意外な記述がある。安倍氏が注目していた新型コロナウイルスの治療薬としての抗ウイルス薬「アビガン」について、北朝鮮の高官もアビガンをほしいと伝えてきたというのだ。ただし、実際にどう対応したかは「ご想像にお任せします」とのことで、誰だったかは明確にしていない(37-38頁)。金正恩その人だったりして。

米国・ロシア

 中国と北朝鮮については、強権主義・独裁体質が変わることはないという厳しい認識の下、リアリズムに徹した印象があるが、実は米国に対しても幻想は抱いていなかったもようだ。

 トランプを「用心棒」と言い切るあたりもそうで、米国へのシンパシーはあまりうかがえない。オバマ政権の対北朝鮮政策「戦略的忍耐」(北朝鮮が非核化に向けた具体的措置を講じない限り制裁解除などに関する対話には応じない、とする米政府の立場)を「戦略的忍耐なんて、考えられた言葉のようだけれど、実際は先送りですよ」(142頁)とくさしており、米国に振り回される立場に辟易しているような感すらある。

 ロシアとの関係改善でも、米国が障害になってきたとの認識を示した場面がある。安倍氏は2018年11月にシンガポールで行ったプーチンとの首脳会談で、歯舞群島と色丹島の2島返還を明記した1956年の日ソ共同宣言を平和条約交渉の基礎にする方針を決めた。これに関し「『安倍は譲歩した』と言われれば、そうかもしれません」(184頁)と認めつつ、次のように語る。

 鳩山一郎政権(1954年12月~56年12月)で(ソ連との)交渉に当たった松本俊一衆院議員も重光葵外相も、歯舞、色丹の2島返還は確実に実現できると踏んだわけです(中略)ところが米国務長官のジョン・フォスター・ダレスに2島返還を受諾してはならないとして『待った』をかけられた。いわゆる『ダレスの恫喝』です。米ソ冷戦時代ですから、日ソが関係を大幅に改善するなんて、米国は全く望んでなかった(中略)その後、日本は、そもそも領土返還は不可能だろうと考えるようになってしまった。だから、日ソ共同宣言を棚上げして、目いっぱい4島返還を要求していくわけですね。

216頁

 日ロの和解を米国が阻んでいる、という恨み節。安倍氏はシンガポール会談に先立ち、いずれも交渉に慎重な日本とロシアの外務省を迂回する形で、北村滋内閣情報官からプーチンに近い対外情報庁(SVR)のナルイシキン長官に「日ソ共同宣言でどうか」(329頁)と打診させた。そうして臨んだ会談では、「父の世代は、先の大戦で多くの人が戦死した。生き残った者の責任として、最後に残った平和条約問題を解決し、日ソ関係を正常化したいと親父は考えていた。私も選挙に勝利し、政治基盤を安定させることができた。だから思い切って新しい時代を切り開きたい」として、日ソ共同宣言の話題を切り出した(327-328頁)。

 米国にまつわる安倍氏個人としてのエピソードはほとんど出てこないのとは対照的に、父・安倍晋太郎の遺志を引き継ぎ、完遂させる、という意志がのぞく。

 ロシアを巡っては、安倍氏は2014年のウクライナ南部クリミアの一方的併合後に主要8カ国(G8)の枠組みからロシアが放逐されたことに関しても「容認できない事柄が発生したからと言って当事者を追い出したら、問題を解決できるわけがない」(143頁)と米欧を批判している。発言が2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻前であることには留意する必要があるが、やはりロシアないしプーチンに相当寄り添った発言ではある。

 安倍氏の中では、ロシアやプーチンへのシンパシーが、独り立ちした日本という方向性と合致した先に、2島返還での北方領土問題の決着と日ロ平和条約締結という政策がある。2016年5月のソチでの日ロ首脳会談に先立っても、同年3月の訪米時にオバマに「ソチに行く」ときっぱり告げ、オバマを怒らせたと回顧している。ソチ訪問は「米国の意向を振り切る形で」行われたと解説するのだ(218頁)。

 ちょっと考えすぎかもしれないが、日米同盟強化というのは安倍氏にとっては政策の次元の話にとどまっており、情念のレベルでは、安倍氏は反米に近いのかもしれない。

 さて、この項目では最後に、戦後70年の節目に当たり、2015年4月に安倍氏が米議会上下両院合同会議で行った英語演説に触れておく。以下が回想。

 キーワードの『希望の同盟』は私が考えて、内閣官房参与として私の英語のスピーチライターを務めていた谷口智彦さんに原稿を書いてもらいました(中略)私自身はスピーチを風呂場で相当練習しました。女房には何度も聞かせて、いい加減にしてくれ、と言われてしまいました。

157頁

 昭恵さんもお気の毒に。谷口氏の証言(『安倍総理のスピーチ』)によると、安倍氏は谷口氏が演説を音読したカセットテープ(ICレコーダーではありません)を「音声教材」にして練習に励んだ。昭恵さんから「もう、毎晩ね、谷口さんの声がずーっと聞こえるもんだから、なんかわたしまでおぼえちゃいそうなの」と愚痴られたそうだ(同書118-119頁)。ちなみに、演説では元メジャーリーガーの野茂英雄氏に来てもらって演台の安倍氏にボールを投げるという演出も考えたが、幻に終わった由。

【保守政治家として(歴史認識、憲法改正)】

 安倍氏は保守政治家の代表と見なされ、そのことを自認もしていたようだが、平成天皇の生前退位を迷惑がりつつしぶしぶお膳立てした経緯などを読むと、皇室に対するイデオロギー的な親近感は、一般市民とそれほど差がないように思える。少なくとも『回顧録』には、日本の体制、むかし風に言えば「国体」に関する深い考察は記されていない。

 保守のイデオロギーに関連して明快なのは、歴史認識についてだ。安倍氏は2015年8月の戦後70年談話の発表に当たり、「侵略については、日本は過去何度もおわびしてきましたよ。『何回謝らせれば済むんだ』という思いはありました」と率直に明かし、「だから、70年談話では(中略)私がおわびします、とは言わなかったのです」(161頁)と韓国の左派人士が聞いたら殴りかかってきそうな解説を加えている。

 憲法改正についてもそこそこ語っているのだが、今ひとつ系統だった思想の下にやりたい、と言っているようには受け止めにくい。

 そもそも9条の修正(場合によっては一部条項の撤廃を含む)は、日本という国家と国民の存続および安寧をどう確保するかという国家の基本的責務を巡る認識の変更、つまり国の在り方の根幹に関わる問題である。しかし、安倍氏は9条変更の目的に関し、自衛隊の「憲法上の正統性を明確にして、誇りを与え」ること(137頁)、「9条に自衛隊を明記し、違憲論争に完璧に終止符を打」つ(同)ため、と説明するにとどまっている。理念とそれから導き出される理想の政策を考えた時に9条改正が必要だ、という論理なら分かるけれど、自衛隊に誇りを持たせるため、と言われてもちょっと精神論にすぎるかなあ。

 「もし9条改正をあきらめ、環境権の創設などその他の項目で発議し、仮に国民投票で否決された、死んでも死にきれない」(256頁)と決意を語る安倍氏だが、自衛隊に誇りを与えるための9条改正より、環境権の方が政策につながる実際のインパクトをもたらすんじゃないでしょうか。私としては、じゃあ9条抜きの憲法改正でいいのか、と問われれば、それはダメでしょうと答えざるを得ないものの、9条を改正して何をできるようにしたいのか、という政策論を抜きにしては、説得力を伴った改憲論議は成り立たないはず。

 もっとも、それ以前に、安倍政権下でも、そして今でも、改憲論議を本格化させ得る政治環境は整っていないようにみえる。安倍氏が指摘しているように、「公明党を説得できない限り、憲法改正は前に進」まないからだ(226頁)。

 本来なら自民とリベラル勢力の間に位置する中道勢力が公明党の役割を担い、改憲論議でキャスティングボートを握るべきだと思うが、日本の政治に公明党以外の有力な中道の第三勢力は存在しない(国民民主党は所帯が小さすぎて政治力が小さすぎる)。そこで創価学会という宗教団体のメンバーとその関係者以外に支持基盤を持たない特殊な政党が、国の在り方を巡る論議で死活的に重要な役割を担うという、大変特異な状態が続いているのだ。

【集団的自衛権の限定行使容認と平和安全法制】

 第2次安倍政権でハイライトと言えば、「憲法解釈を変えて(集団的自衛権の限定行使を)合憲だと位置づけるという離れ業の論理」(164頁)に基づく2015年の「平和安全法制」の制定だろう。「離れ業」と論理としてトリッキーだったことを認めちゃっているところも興味深いが、特定秘密保護法の成立(2013年12月)も、国家安全保障会議(NSC)と国家安全保障局(NSS)の創設(NSC創設は2013年12月創設、NSS発足は2014年1月)も、日米同盟深化と平和安全法制整備に向けた米国との意思疎通を円滑にするのが狙いだったと説明している点(389ー390頁)も面白い。安倍氏の解説を総合すると、前述の理由で憲法改正は無理だと踏んで解釈変更に狙いをすまし、戦略的に政策の優先順位を設けて事に臨んだことがよく分かる。

 具体的な動きは、第二次政権発足から約1カ月後の13年2月に早くも顕在化する。安倍氏はこの月、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の議論を再開させ、さらに訪米してオバマに「同盟を強化するため、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈を変更する方針だ」(108頁)と告げる。

 何かとぎくしゃくしがちな安倍氏とオバマの個人的関係だったが、オバマはこの政策変更は評価していた。安倍氏は、2014年4月に来日したオバマが尖閣諸島への日米安保条約5条適用を公言し、対日防衛義務の対象に尖閣も含まれることを明確にしたことについて、「米国の安全保障チームが、日本は集団的自衛権の憲法解釈変更を着実に進めようとしている、という判断をして、それならば、ということで日本の要求に応じてくれたのです。オバマも同意し、言及してくれました」(132頁)と回顧している。

 難関だったのは、やはり公明党だ。「災難が降りかかってきた、という感じ」の山口那津男公明党代表に対し、安倍氏は「集団的自衛権の行使を主張して、私は総裁になった。衆院選でも公約している。私の決意は揺るぎません」と伝える(135頁)。

 公明党は社会保障をはじめとする内政課題では自民党と基本的立場を共有していたが、憲法改正で触れたように、安保政策では護憲派に近い。安倍氏は安保政策を巡る公明党との違いを再三ぼやく一方で、選挙では同党の力は大きかったと認める。公明党に対するスタンスはかなりリアリスティックなのだ。

 集団的自衛権の行使容認派だった外務省の小松一郎氏の内閣法制局長官への起用についても「公明党に、私の確固たる決意を示す必要もあったのです(中略)加えて、自民党内も集団的自衛権の行使容認にすべての議員が賛成ではなかったのです。その人たちに、私の姿勢を見せる意味が法制局長官人事にはあったのです」(117頁)と説明する。解釈変更のために「憲法の番人」の人事に強引に介入したと批判された内閣法制局長官人事も、公明党向けのメッセージという意味があった。

【内政・経済】

 安倍氏は新型コロナウイルスの感染拡大阻止では大きな批判を浴びたが、不手際を認めたり、反省の弁を述べたりした箇所は『回顧録』中にはほぼない。コロナ緊急事態宣言に伴う現金支給では、「一律10万円は、もはや理屈ではないのです。気持ちの問題です」とぶっちゃけているところが面白い(51頁)。「どれくらい消費に回るかという経済的合理性」を度外視した、辛抱を強いられる国民に対する「迷惑料」だったんである(同)。

 経済政策に関する記述は、あまり興味を引かれなかったのでおおむね割愛。一点だけ、日銀について「日本銀行は国の子会社のような存在」(53頁)と強調しているところは引っ掛かった。『回顧録』だけでなく、講演でも同じように語って問題になった経緯があり、本当にそう思ってるんだな。

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