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今日も、読書。 |最初の短編に、すべてを持っていかれて

短編集の、はじまりの一編。

その一編にすべてを持っていかれて、そのまま最後まで、転がり落ちるようにして読んだ作品。

今回は、サラ・ピンスカーさんの『いずれすべては海の中に』をご紹介。


何年も読書をしていると、”慣れ”のためか、並大抵の設定では、驚かなくなってくる。

設定だけを見て、「この作品は気になる……!」と思わず手が伸びてしまうことは、あまりなくなってしまった。


ところで、本作『いずれすべては海の中に』に収められた最初の短編、「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、こんな話だ。

右腕が、コロラド州東部にある長さ97kmの二車線ハイウェイになってしまった男の話。

右腕が……道路になる? 道路に”なる”とは……?

気付けば、独特な世界観に引き込まれていて、逃れられない。サラ・ピンスカーさんによる奇想の海の底へ、どこまでも沈み込んでいく。



サラ・ピンスカー|いずれすべては海の中に


最新の義手が道路と繋がった男の話、世代間宇宙船の中で受け継がれる記憶と歴史と音楽、クジラを運転して旅をするという奇妙な仕事の終わりに待つ予想外の結末、多元宇宙のサラ・ピンスカーたちが集まるサラコンで起きた殺人事件をサラ・ピンスカーのひとりが解決するSFミステリなど。奇想の海に呑まれ、たゆたい、息を継ぎ、泳ぎ続ける。その果てに待つものは——。静かな筆致で描かれる、不思議で愛おしいフィリップ・K・ディック賞を受賞した異色短篇集。

あらすじ

本作は、奇想天外かつ味わい深い設定が魅力の、SF短編集だ。

あらすじをお読みいただくとわかるが、設定を見ただけで思わず読みたくなってしまうような、面白い短編が凝縮されている。


著者のサラ・ピンスカーさんは、ニューヨーク出身のSF・ファンタジー作家。SF最高峰の賞として知られるネビュラ賞を、三度も受賞されている。

『いずれすべては海の中に』には、2013〜2017年に発表された中短編が収録されている。各短編が単体で様々なSF賞を受賞・ノミネートしているほか、作品全体としてもフィリップ・K・ディック賞を受賞しているという、なんとも贅沢な短編集である。

全13編、どれも本当に面白い。できることならすべてご紹介したいのだが、ここでは、特に私の琴線に触れたものをいくつか取り上げたい。


一筋に伸びる二車線のハイウェイ

件の第一作目である。発想の突飛さでいえば、本作の中でも群を抜いている。

主人公が、全く別の場所にある道路と徐々に一体化していく様子の描き方が、とにかく上手い。もちろんまったく共感はできないのだが、妙な現実味というか納得感を抱きながら、彼はどうなっていくのだろう……と先が気になってしまう。

私は、本作を短編集の最初に持ってくるパンクさが好きである。SFを読み慣れていない人は、ともすればここで脱落してしまうのではないか……とも思うが、ハマればもう逃れられない。


死者との対話

”殴打の館(ハウス・オブ・ワックス)”という、他者の心の声を聞くことができるAIが搭載された「家のミニチュア模型」が登場する短編。

開発者であるふたりの少女が、当事者しか知り得ない情報を”殴打の館”に聞くことで、暗礁に乗り上げた未解決事件を解決していく。やがて世間に”殴打の館”の評判が広がり、量産ビジネスへと発展していって——という話だ。

本作では、利便性などの裏側に隠された、AIの恐ろしさが描かれている。自分の心の声が筒抜けになってしまう”殴打の館”を作られたら、あなたならどうする?


風はさまよう

地球を脱出し、次なる惑星を目指して<旅人>となった人類が乗る、巨大宇宙船が舞台。

音楽や演劇など、地球上で栄えたあらゆる娯楽・文化・芸術を記録したデータベースが、ある日突然破壊されてしまう。宇宙船という閉塞空間で、失われた重要文化を復興するため、ある種の”恐慌”状態になった人々の物語だ。

本作も、設定が面白い。人類が地球を脱出するエスケープものはよくあるが、脱出後の「文化芸術の保存」にまで発想が及ぶものは、あまりお目にかかれない。


そして(Nマイナス1)人しかいなくなった

異なる時間軸の世界線からやって来たサラ・ピンスカーたちが、カナダ東部の孤島に一堂に会する状況で、”自分殺し”が起こるというSFミステリ。

アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』のオマージュ作品だが、本作のように、SFの特殊設定が加えられているものは珍しい。ましてや、登場人物が全員サラ・ピンスカーなのである。

本作は、異なる世界線のサラ同士の会話が面白い。たとえば、「カナダは知ってる?」という何気ない質問から、カナダが存在しない世界線からやってきたサラが存在することがわかったりする。


短編集全体に通じる特徴として、特殊な設定をやたらと強調することなく、当たり前のこととしてさらりと書いていることが挙げられる。

大抵の場合、物語が始まった時点で、既に何か異変が起きている。読者は初めは置いてけぼり状態だが、読み進めていくうちに、徐々に「こういうことか……?」とわかってくる。

難解な設定の解説のために、紙面が割かれることも稀だ。あくまでその設定が”普通”のこととして、自然な感覚で描かれているのだ。これは、著者の中でよほど確固とした世界観が構築されていないと、できないことだと思う。


サラ・ピンスカーさんの確固たる世界観は、作品の細部にも宿る。

たとえば「風はさまよう」の中の、「宇宙船生活では”風を感じる”機会がない」という些細な描写。特別な注釈など入れず、あくまで当たり前のこととして、同性のパートナーが出てくること。

こういう細部のこだわりの小さな積み重ねが、特に中短編という短い物語においては、読者を深く惹きつける要素になる。『いずれすべては海の中に』は、ただ設定が面白いだけではなく、その設定を活かす文章力が卓越している。


本作は、近年SF界隈を席巻した劉慈欣さんの『三体』のように、圧倒的な迫力で読者を打ちのめすような、パワー系のSFではない。

どちらかといえば静かな筆致で、不思議かつ魅惑的な世界を一緒に道案内してくれるような、心地良い読み心地のSFだった。


それにしても、はっとするほどに装丁が美しい。

竹書房文庫のSF小説は、背表紙まで意匠が凝らされている。画一的な背表紙が並ぶ本棚で、竹書房文庫だけ輝いて見える。

眺めているだけでも楽しい『いずれすべては海の中に』、ぜひ紙書籍でお手元にどうぞ。



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