母の日に久しぶりのモヤモヤが出た!
こんにちは、めげないやつ子です。
久しぶりに心の中そのまんまnote
昨日の母の日、
私は母に花束を渡すつもりでいた。
毎年プレゼントをしたり料理をふるまったり、ケーキを買ってあげたり、私はずっと母との事に悩みながらも母の日は何かしていた。
脳を固まらせて何も考えないように、『母の日だから』という理由を全面に出して、自分の気持ちを見ないようにしていたのかなと思う。
今日は朝から少し憂うつだった。
母の日だという事を強く意識していた。
いつも当たり前のように出来ていたのに何で今日はモヤモヤするのかな…と、自分に対して疑問が浮かんだけど、
そんな事より同居している母の様子が気になる。
聞こえてくる声がどこか寂しそうに聞こえる。
私が何かしてくれるはずだと待っているのではないか…
母の日に何もしてくれないのねとスネるのではないか…
自分への気持ちが無いのだと冷たく突き放されたように思うのではないか…
私はソワソワ落ち着かなくなってきた。
母は特に何を言うとかでもないし催促されたとかでもない。
むしろ、何もない。
私が勝手にそう感じてしまう。
こんな気持ちになってから花束を買いに行くのはとても嫌だと思った。
家にいると自分の気持ちがわからない気がしたので、とりあえず出かける事にした。
車のエンジンをかけて、気を取り直して買い物へ。
『ハァ~今日は何なんだ?』
久しぶりの母へのモヤモヤ感。
私はずっと生きづらい感覚があった。
AC(アダルトチルドレン)で強迫観念や愛着障害ではないかと自覚する特性もあった。
自分で愛着形成を進めてきて、母との心の距離感や気持ちのバランスがとれてきたところだったので、母に対するモヤモヤした感覚は久しぶりでちょっと困った。
実は少し前から、ネット広告とかで母の日にプレゼントをあげるっていうCMがやたらと目について、そのたびに目をそらしていた。
私には後ろめたい思いがある。
母を見捨てる事になるのではないかという思いが、頭から出ていってくれない。
私は母と距離をとると決めた。
同居をやめるつもりでいるのだ。
いや正直なところ、同居をしていても昔ほど苦痛ではなくなってきている。
でも、もうちょっとだけ私の望みを叶えてあげたくなった。
この事で何度も自分と向き合ってはいるけど、怖さがとれない。
いっそ誰かに『年老いた母親を置いて行くなんて冷たくて親不孝な娘だ』と言われてしまったら楽かもしれない。
母から悪者にされる事が私のいつもの結果だったから、またそうなるに違いないと私は心のどこかでは思っているのだろう。
それはもう『そうなりたい』と同義語なのだ。
買い物した後お花屋さんへ。
でもなかなか店内に入る気持ちになれない。
駐車場で自分に質問してみた。
『どうしたい?』
お母さんにお花を渡したい。
どうせ渡すなら、綺麗でパッと部屋が明るくなるようなピンク系の花束が良いなぁ。
きっと喜ぶだろうなぁ。
確かに、母の日に何もなかったら母は寂しくなるだろう。
スネるような素振りを見せてくるかもしれない。
『だから、渡したいの?』
そうかもしれない。
そうなるのは怖い。
でも母の喜ぶ顔が見たいのだ。
綺麗だねぇと喜ぶ声が聞きたい。
だって母は私があげたものは絶対に喜んでくれるから。
昔からずっと、私はその瞬間が嬉しかった。
ひとまず店内に入ると、母の日用にラッピングされた花束がたくさんあった。
もうテンションは上がっている。
ウキウキ…かな。
私はその中からイメージに合ったものを選び、レジの列に並んだ。
私の前には、お父さんと小学校低学年ぐらいの男の子が花束を抱えて並んでいた。
“この男の子 何だかソワソワ…嬉しそうにしてるな…”
“そうか、お母さんにお花をあげるって嬉しい事だよな!”
“そうか、そうだよなぁ~”
“私も素直に嬉しいなって思いたいなぁ~”
そんな事を考えながら帰り道でまた自分に聞いてみた。
『お母さんは何であんな困った人なんだろうね?』
『っていうかお母さんってどんな人だっけ?』
何となく母の良いところが浮かんできた。
母は基本的に人の悪口はいわない。
私があげた物や私がやる事を悪く言った事がない。
ただ、母が
『冷たくされた』
『受け入れてもらえなかった』
『バカにされた』
そう感じる時は(仮にそうじゃなくても)スネルるように怒っていた。
その相手が私や父だった場合は、不機嫌になり空気が重くなった。
いやまあ当たり前か。
私だってそうされたら嫌だし、そりゃ怒りたくなるよなぁ。
母にとっては私と父が全てだったのだろう。
執着してしまうぐらい、自分の味方になってほしい人だったんだと思う。
これも、まあそういうもんか。
家族だもんね。
だからってどんな態度でも許されるわけではないし、家族であっても嫌な事は嫌だよ。
これ以上もう奪われたくないと身構えるし距離をとりたくなる事だってある。
母はそれが怖くて余計に執着を強めたんだろうけど、あーあ、それだと悪循環だよ、お母さん。
何となく、母なりに一生懸命生きてきたんだなと思った。
私は母を完璧な女性だと思いたかったのかもしれない。
母自身が私に完璧な母親像を見せていたから、私も母は完璧なのだと思った。
でもそれも幼い頃まで。
思春期になると母が普通の人だと気付いてしまった。
いやどちらかというと普通よりも劣っている部分が多い人だ。
私は平均よりも劣っている母が嫌だった。
だから嫌ったし、いまだに完璧を求めているのかもしれない。
でも普通より劣ってるとか私もそうだよ。
でも良いところもあるし。
それは母にも言える事で、良いところもあればダメなところもあるっていう、母はごく普通の人間なんだな。
母のそのダメなところが、私にとってはしんどい事だったっていう事だろう。
だから嫌ったって良いと思った。
母は良いとこがある。
ダメなとこもあるし、私の嫌いなところもある。
嫌いだからってお花をあげたらいけないわけではない。
私があげたいならあげたらいい、よね。
帰ってから、私は母の部屋に直行した。
母はやっぱり喜んでくれた。
パッと明るくなるようなピンク色を綺麗だねと言っていた。
母が嬉しそうで私も嬉しい。
母が喜ぶかどうか…だけではない。
花束をあげたい私の願いを私が叶えてあげた事も、その喜びの中には入っている。
全部これで良かったのではないだろうか。
私がやりたいからやる。
やりたくないならやらない。
その理由も私が思う事が全てだ。
母が喜びそうだからやりたいって事なら やればいいのだ。
母が喜びそうでも私がやりたくないのなら やらない。
ただそれだけ。
ハァァ~、めっちゃシンプルじゃん。
ここまで2650文字か、、、
やっぱり母の事は気付くまで回りくどいなぁ。
それではまた。
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