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ACTの考え方をプラスしたADHDな私の片付け

視覚優位を味方につけて、七並べの要領で分類を見てわかる状態を保ちながらまずはざっくり片付けというキリの悪いところで昨日を終えたはず。今日はそこにACTの考え方をプラスしたい。

何故なら、そもそもこの工程の多い片付け方はADHDには一見向いていないからだ。工程が多いだけで面倒で後回しにしたくなるし、工程が多いと情報過多と同じで何から手をつけていいのかわからなくなってしまう。自分の好きなものばかり徹底的に時間を忘れ片付けて始めてしまう罠もあるあるではなかろうか。


そんなADHDにACTの、自分はどう生きたいのか、自分が価値を置いているものは何なのかという考え方が特性上苦手な「優先順位をつける」ということを真に手助けしてくれる。生き方レベルの優先順位は揺るぎないその時の自分軸を作ってくれる。私の場合は「子どもたちとの生活」が一番なので「私の好きなもの」は天秤にかけると優先されない。

自分のことは後回しなのか?というとそれは全く違う。私<子どもではない。子どものことをする=私に繋がるからだ。そして、それを私は心から望んでいる訳だから後回しには当てはまらない。


ただ、秒で忘れるのが得意なので優先順位大事!とメモに書き足した。忘れる前提で動くととても作業が楽。


うっかりを繰り返しながらも、子どもたちのものを優先して片付けていく。やり方がはっきり明確になり単純作業の繰り返しになればむしろ得意分野に早変わりだ。いかに効率的に作業スピードを上げていけるか、ゲーム感覚で楽しむのはADHDの特性上効果的なやり方だと思う。あっという間に動線も考えた方がもっと効率が上がるからこうしようだの作業は捗り、足の踏み場はどこですか?という状態から解放された。



本来当事者はどうしていいか解決策さえわからないこともよくあるし、特性に合わせてじゃあこうしようと計画を立てるのも苦手だ。私が自分に対してこれをできるのは子どもたちが発達障害だからというのが一番の理由だと思う。診断を受けてから、家で彼らにどう接していこうかと特性については知識をつけたし、どの特性が強く出ているかよく観察した。

もう一つバックグラウンドの理由として、発達障害の私はもれなく二次障害で長く精神疾患だからだ。十代の自分にまだ生きてることを伝えたらびっくりするだろう。当時の予定では二十歳にもなっていないはず。それほどまでに苦しかった頃がある。

二次障害は周囲の理解や対応の中で本人が特性を理解しながら自分に合ったやり方を見つけていくことで防げる可能性が高いものだ。親だけが頑張ったところで周囲にはならないので親のせい!というのは違うのだが、はっきり言って私の親は「そんなに私のこと嫌いなら何で生んだんや…」というレベルで否定的で怒る人だったので私にとっては母のせいという思いが強い。


そういう訳で、長男が診断を受けるまで全く自覚していなかった発達障害と向き合い対処法を徐々に身につけた。発達障害とは何ぞやという状態だった私が最初に手に取った本を読んだときの衝撃は忘れられない。まんま私のことだった。精神疾患歴も長く、自己診断の危うさは心得ているのでその時点ではぐ、グレーと言われる分類には少なくとも当てはまるかなぁくらいで留めたが、結果は真っ黒だった。


自分相手にも未だに試行錯誤している。今年36歳。私は何年うつ状態でベッドで過ごしたっけ?と思うと悔しい。だからこそ、子どもたちにもそれぞれに合った自分の対処法を身につけて欲しい。私の努力で少しでも二次障害を回避できる確率が上がるなら、私の本望なのだ。


と、この辺で今日はキリがいい気がするのでまた明日。全然エッセイの中で片付けないな、私…。

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