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【リヨン留学記】6話:双子の川

 夕暮れどきは瞬く黄金色の光が水面を覆い、陽が沈んでからはうすく儚い紫色が揺らめいて、そして夜は、フェルメールが愛したかの青を、底に沈めたかのように川は深く鮮やかな濃紺の光をじんわりとはなっていた。
 リヨンで過ごした時間はいま思い返しても宝もののような日々だったけれど、もちろん語学の壁にぶつかって四苦八苦したときもあれば、学校にいけ好かない人がいて、いやな思いをしたこともあった。日常生活を送っていれば多かれ少なかれあるそうしたざらりと心を逆立てるあれこれを、けれども心に留めず受け流すことができたのは、大きな川がもたらす穏やかさに、救われたところが大きいのではないかと思う。


 リヨンの街には東にローヌ川、西にソーヌ川という2本の川が流れている。
 雄大で広々とした、まるでお父さんのようなローヌ川。そしてくねくねと曲がったお転婆な少女のようなソーヌ川。それぞれに表情があり、まるで双子のように韻を踏んだこの2つの川に沿って地区は分かれている。
 ソーヌ川より西側には旧市街と呼ばれる中世の街並みが残っており、そこが9区と5区。そしてソーヌ川とローヌ川に挟まれた地区に4区と1区、2区があり、ローヌ川よりも東側に6区・3区・7区・8区があるのだ。
 わたしが部屋を借りていた地区は7区に位置し、ローヌ川沿いを北上した6区に学校があったため、わたしは毎日ローヌ川を眺めながら学校に通っていた。家を出るのは朝の8時頃だったというのに夜はまだ明けておらず、ぼやけた空の底と川は、静寂に満ちた深海のような濃い青色をしていた。
 学校がおわってからも、いつしかサンドイッチとコーヒーを片手にローヌ川沿いでお昼ご飯を食べるのが日課になった。オディールにはよく「ランチは友だちと食べたの?」と聞かれたけれど、午前中慣れない外国語に触れつづけていっぱいいっぱいになった頭をクールダウンする時間がわたしには必要だった。そのため誰とも話したくなかったわたしは、ひとりを好んだ。ローヌ川はそんなわたしを優しく受け止め、そして無理矢理頭の中に詰め込んでしまった情報を、ゆっくりと解きほぐす手助けをしてくれた。昼間になると川は高く上がった陽に照らされて、真っ白いさざ波に揺れながら穏やかな顔を見せた。
 そこからわたしが何をしていたのかというと、カフェに行って宿題をすることもあれば、街中を散歩することもあった。そして散歩をする場合は、朝はローヌ川沿いを歩いたから、帰りは旧市街を回って帰ろうとローヌ川を横断し、ソーヌ川の方へと向かうことが多かった。
 ソーヌ川の川幅はローヌよりも狭く、そのためこちらの川の方がどこか人の生活の匂いがする気がした。ローヌは川幅も水量もありすぎて、川というよりも海に近い壮大さを感じさせるのだ。
 架かっている橋も、ローヌとソーヌでは大きさが違う。ローヌのそれは遊歩道を延長したかのようにしっかりとしているが、ソーヌにかかっている橋は小さく、吊り橋と呼ぶに相応しい見た目をしていた。この橋、風が吹く日は本当によく揺れた。最初はどきりとしたけれど、慣れてくるとおもしろくなってくる。揺れる橋に共鳴するようにそわそわした心を抱えながら、旧市街の上に聳え立つ大聖堂を仰ぎ見る時間がとても好きだった。心が洗われ、ありとあらゆることが自然とどうにかなるような気がしてくるのだ。
 もしリヨンに川がなかったら、嫌なことを引きづって部屋にこもって塞ぎ込む時間もあったかもしれない。知っている人が一人もいない街で心細くなり、いらないことをしでかしていたかもしれない。けれども心をざわつかせることがあろうが、川辺に座り、風を浴び、光に照らされ、そしてゆるゆるとした流れを何をするでもなくただ眺めているだけで、わたしは健やかでいられたのだ。
 川はいつでもわたしに居場所をくれた。それはとても心強いことだった。
 
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