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サンタクロースを今も信じてる

30代前半のどこにでもいるような女の人に「私、サンタさん信じているから」と真顔で言われたら、だいたいの人は同じ顔をするみたい。「何言ってるの?本気?」と、表情だけでツッコミを入れてくれる。そして、苦笑される。私は「あなたも見ようと思ってないのね」と寂しくなり、なんでサンタさんを信じているのか理由を誰にも話したことがない。だから、こっそり独り言をお話しようと思う。

私がサンタクロースという存在を初めて理解したのは、幼稚園のクリスマス会。園長先生がサンタさんのコスプレをして、教室に現れた時だった。「サンタさん!」と元気にまわりの友達が園長先生に近づく。「園長先生がサンタさんという名前になって、冬によく見るキャラクターと似たような赤い服とヒゲをつけて来た」くらいに思っていた私に、隣にいた友達が小声で「サンタさんって本当はいないんだよ」と少し自慢げに教えてくれた。
「いい子にしていれば、サンタさんがクリスマスにプレゼントをくれる」と教えてくれる大人が私にはいなかった。「サンタクロースはいない」という、人間にとってのおそらく最初の絶望を、私は知ることができなかった。
それからだいたい20年間、「サンタさん、いつまで信じてた?」という時々出会う質問に、「信じたことがない」と素直に言っていた。ひどくつまらない人間を見るような、可哀そうな人間を見るような、同情の目が私に向けられる。私は「サンタさんがいると信じていた時期がない」という劣等感と何度も戦うことになってしまった。

私はサンタさんを信じてあげられなかった。
その事実が自分で許せなかった私は、サンタさんの代わりに幽霊や鬼、天使、犬や猫は本当は人間の言葉がしゃべれること、オモチャが深夜に動くこと、信じたいと思ったものは信じることにした。私の目には見えないだけで、ほんとうはそこにいるのかもしれない。私には聞こえないだけで、しゃべれるのかもしれない。そう、自分に言い聞かせていたら、本当にそうなんじゃないかなと思えてきた。よく小さな家出をしていた私は、ひとりぼっちで不安になった時、風に「風子(ふうこ)」という名前をつけて、いつでもそばにいてくれる妖精の友達として、弱音やグチを聞いてもらった。
信じたいと思うものを信じると、信じない時より世界がとても楽しく見えた。
そうしているうちに、私のあだ名は「不思議ちゃん」になった。「変だ」「おかしい」と言われ、私は「信じるのはダメなのか」と思い、高校生になった時にはもう何も信じなくなってしまった。

再び、私の世界が妄想で溢れるようになったのは25歳の時だった。広告デザイナーになったばかりの当時の私は、毎週金曜の夜、TSUTAYAで映画を借りて観るのが日課で、気に入ったセリフや情景、色味などをメモしていた。
ある金曜の夜、とある映画を観た私は、大号泣した。どんな感動的な映画を観ても、めったに泣くことのない私が、バカみたいに泣いた。
その映画は、『夢と狂気の王国』。砂田麻美監督によるスタジオジブリのドキュメンタリー映画だ。たぶん、その映画で泣いたのは私くらいだろう。泣けるシーンはどこにもない。だけど、私は泣いてしまった。しかも、頭が痛くなるほどの号泣。そんなにも私が泣いたのは宮崎駿の静かな言葉だった。『風立ちぬ』を完成させた宮崎駿が引退会見直前に、窓の外に広がるビルの景色を見て唐突に言う。
「あの屋根からね、隣の屋根に跳び移って、その緑の壁に跳びついて、あの配管をよじ登って、あの屋根の上を走って、向こうのビルに行くっていうのをアニメでやったら、面白いですよ。電柱の上を歩けたら向こうにも行けるはずなんですよ。あのブロックウェイの上を走り抜けることができるはずなんですよ。そう思っただけでね、つまらない街だと思っていたところが映画の舞台になるんですよ。遥か向こうまで行けそうな気がする。行けるんじゃないかな」
長い言葉だから、略してしまったけれど、そんな風に映画の中の宮崎駿は言った。何度も繰り返し聴いて、ノートに一語一句間違わずに書いたこの言葉を今も泣きながら打っている。
嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。見たくて、信じたくて、でもおかしいと笑われて、信じちゃダメだと思ってた世界を宮崎駿が肯定してくれた。ただの夢の妄想にすぎない世界を見ようと思ってもいいのだと、私よりずいぶんと長いこと生きている大人が言うのだから、ダメなんかじゃなかったんだ。しかもただの大人じゃない。日本人なら誰もが見ていて、たくさんのファンがいるジブリ映画を作った宮崎駿が言っているんだ。私はおかしくなんかなかった。むしろ、宮崎駿と同じ考えを幼い頃からできていた私はスゴイんじゃないか。子どもの心を失わずにいても良かったんだ。誇って良かったんだ。何を正しいと思うのかは自分で決めていいんだ。
私は号泣しながら、もう一度、信じようと決心した。

今、私の隣には風の妖精がいる。風子の娘で、「千風(ちかぜ)」という。私は毎日、千風に話しかけながら、街を歩く。すると出会うんだ。目の前をすまして歩く猫は本当はしゃべれて、夜になると空には魚が優雅に泳ぎ、看板の文字は浮き出て言霊になる。ビルとビルの間を赤いマントと青いマントの人が競うように跳び移り、それを楽しそうに幽霊のおじさんが見ている。そして、もちろん、クリスマスになるとトナカイに乗ったサンタさんが忙しそうに空を駆け巡る。
だって、そう信じていた方が、この世界がもっと楽しく思えるのだから。

いつもお付き合いいただきありがとうございます。