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#映画感想文『バーニング』(2018)

イ・チャンドン監督の映画『バーニング』を見た。

原作は村上春樹の『納屋を焼く』である。元ネタになっているのはアメリカの作家のフォークナーの『納屋を焼く(Barn Burning)』である。

わたしは、三人の男女の曖昧な三角関係みたいな話が嫌いだ。この映画のポスターはそんな感じがしたので、見るのを躊躇っていた。今回、思い切って見てみたのだが、すごくよかった。

主人公のジョンスを演じるのは、ユ・アインだ。ジョンスは常に抑制的で、ともすれば何を考えているのかわからない。しかし、不気味ではなく、思慮深さとして、平凡だけれど賢い青年だと思って、観客は彼を受け容れる。

新人女優のチョン・ジョンソが演じるヘミは、奔放だけれど、どこか寂しい女の子だ。

謎のお金持ちのベンさん役をスティーブン・ユァンが演じている。彼を見た瞬間、「あ、『ミナリ』のパパだ!」とうれしくなったのだが、今回はとても怖い役を演じている。

この映画に通底していたのは、主人公のジョンスの「怒り」だ。

フィガロのイ・チャンドン監督のインタビューでも、それが明らかにされている。

イ・チャンドン監督
『バーニング 劇場版』を撮る前に、私はいくつかのプロジェクトを立ち上げていました。ブレインストーミング、つまり企画について話し合ったりとか、構想を練ったりという時期もあり、シナリオ作家とともにシナリオを書いたりしていたんです。それらに共通していた問題というのが「怒り」に関することでした。いま世の中を見回してみると、文化とか人種とか宗教にかかわらず、どの国の人も各自がなにかに対してそれぞれの理由で怒っている気がします。その怒りの正体が何なのか、どこから来るのか。その怒りを覗いてみたいという思いで、幾つかのプロジェクトを抱えていた。それらは映画に実を結ばなかったんですけれど。村上春樹さんの原作小説を読むと、それとはまったく違う別の物語のように見えながら、いまの世界でみんなが怒っているという現象と繋がるところがある気がしたんです。納屋を焼いている。ただの納屋ではなくて、使いみちのない、役に立たない納屋を焼いている、と小説では謎の男が明かします。映画では、納屋はビニールハウスに替わっていますが、もしこれが仮に物ではなくて人を比喩しているとしたら? 男性や女性が使い道なく役立たずと何者かに、あるいはひとつのシステムに決めつけられることになる。役に立たないから燃やしてもいいという意味になってしまう。最近の世界の若者は競争社会に組み込まれ、激しい競争システムの中でなんとか生き抜かねばならないという大きな恐怖を抱えて生きている気がします。誰かに判断されること。人やシステムに自分は役に立たないんだと判断されてしまうことへの怖さ、怒り。謎の解決や結末を持たない小説の中に、最近の世界のそういう秘密、いわば「世界のミステリー」と繋がるものがあると感じたんです。
https://madamefigaro.jp/culture/190131-burning.html

映画の中盤で、金持ちのベンは「ぼくが焼くビニールハウスは、汚くなった役に立たないものだけだ」と言う。それに対してジョンスは「役に立つか役に立たないかをどう判断するのか」と彼に質問をする。ベンは「そこに判断はない。雨によって物は破壊されたり流されたりする。雨に意志はありますか。そこに意志なんてものはないんですよ」と答える。

ベンは「自分が神や自然のようにふるまっても問題ない」という恐ろしい考え方を図らずも吐露する。その傲慢さは、映画のなかで、何度もさりげなく描かれる。ベンはお金持ちだから、若い女の子が寄ってくる。その女の子を仲間内のパーティーに呼び、話をさせるのだが、彼は女の子たちの話を聞きながら、毎回退屈そうにあくびをする。

女の子たちを金でおびき寄せ、誘惑し、嘲笑っている。都合が悪くなったら、殺しているのかもしれない、という疑念がわいてくる。

わたしはジョンスを我慢強い青年だと思って見ていたのだが、それが間違いだとわかる。彼は「怒り」を内側に隠していただけなのだ。

主人公のジョンスの父親は「怒り」を抑制できず、暴力事件を起こし、裁判中であり、ジョンスは傍聴に行っている。しかし、この映画の結末を観たら、ガス抜きをすることができていた父親のほうが、まだマシだったのではないかと思えてくる。

ジョンスの「怒り」ポイントはいくつもあった。

夫と息子を捨てて出て行った母親。16年ぶりに会ったにも関わらず、無心される。

青果市場のアルバイトの面接では一列に立たされ、番号で呼ばれ、勤務できるか、家からの距離しか聞かれない。人間扱いされず、ジョンスはそれに耐えられない。

互いに好意を抱いていたヘミ、自分と寝たヘミも、金持ちのベンになびいてしまう。

ベンは働いていないのに江南の高級マンションに住み、高級車に乗り、金持ち友達とパーティーをして遊んで暮らしている。

最後に「怒り」が爆発する。そして、このような「怒り」が世界中に蔓延しているような気もする。

内面を見せない人が、穏やかな人であるという保証はどこにもない。

怒っても、不満を言っても、どうにもならないかもしれない。でも、愚痴を言い合えたり、傷のなめあいも、人間には必要なのだ。爆発するぐらいなら、もっとかっこ悪いところを他人に見せてもいい。誰かを憎み過ぎないように弱音を吐き、ガス抜きをしたほうがいい。

ここからは蛇足。物語がはっきりとした展開を見せずとも、曖昧な描写があっても、わたしは最後まで耐えられるようになった。多分、10代ではこの映画を理解できなかったと思う。年を取ってよかったと思えるような映画でもあった。

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