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平成11年11月11日

平成11年11月11日、1が6個も並ぶ24年前の今日、

私は26歳で自動車運転免許証を取得した。

当時は「オートマ限定」が主流となっていた中、「マニュアル」で、
自動車運転免許証」取得に挑んだ。

当時、付き合っていた彼が、
俺は一生、車はマニュアル車しか乗らない」宣言をしていたからだ。

付き合っていた彼とは、交際3年を超えて、そろそろ「結婚」も視野にいれていた。

私もマニュアル車の運転ができたほうが後々、便利だろうと思ったからだった。

はじめて、自動車教習所で、マニュアル車に乗り込んだ時、身長150cmたらずの私、クラッチの操作などをするのに、足の長さが微妙だった。

教官に「次回からは、座布団を持参してきて」と言われて、次の講義から、毎回、座布団持参で教習所に通う、名物女となってしまった。

でも、名物女になって良かったこともあった、私のことに興味を持って話しかけてくれた人もいた。

イケメン男性ならよかったのだが、なぜか私が良く話しかけられる人は、母と同じくらいの世代の女性だった、女性2組に声をかけてもらった。

なんで、座布団もっているの?

私の彼氏が、マニュアル車しか乗らないって言ってるんです

今どき、彼氏に合わせるなんて、えらいわね

と会話が弾み、自動車教習所を卒業するまで、会えば話をする仲となった。

教習は順調に進み、落第したのは、学科のテストと、最終試験の計2回のみだった

最終試験の落第は今でも鮮明に覚えている、路上の試験はなんなくパスをして、教官とも世間話をしながら、教習所へ向かう。

教官もこの調子なら合格だねなんて、言葉に浮かれながら、握るハンドルも軽やかに教習所へ到着、いよいよ、最後の試験科目「縦列駐車」。

ここで、私の性格上の悪い癖が思いっきりでてしまった、置いてあった、赤い三角ポールの一つをタイヤで踏みつけておもいっきり粉砕させてしまった。

教官からも「なぜ、踏む前に思いとどまれなかったか、踏んだあとも直ぐにブレーキをかけなかったのか」と聞かれたかけれど、私はいつも踏みとどまれない、最後のつめがいつも甘い、踏みとどめたら、そもそも試験にも合格してたじゃないと心の中でつぶやいた。

2度めのテストで合格して、いよいよ、運転免許試験センターへ向かった。

当日の思い出は、なぜか、合否の判定を待つ間に受けた献血。

日頃、血管が細く、血が取りづらにもかかわらず、緊張の時間を紛らわせるために運転免許センターの中にあった、献血ルームに足を運んだのだった。

なぜかその日は、スムーズに献血ができて、朝から緊張で食べ物も食べていなかったので、いただけた飲み物と軽食はとてもうれしく、その場所でやっとリラックスできた気がした。

そして、平成11年11月11日に私は無事に運転免許書を取得することができた。

あれから、24年の時がすぎ、21年前には結婚もしている。

結婚してからマニュアル車には一回も乗っていない、ずっと車はオートマ車。

今、隣にいる、夫は、つきあっていた彼氏。

人生はマニュアル通りには行かない、オートマチックの方が良いのかも知れない。

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平成11年11月11日、1並びのおめでたい、ポッキーの日に、運転免許書は取得したのですが、4年前、海外にいて、日本での免許の更新ができずに運転免許証失効。

現在は4年前の何でもない普通の日が、私の運転免許書の取得日となっています。

でも、毎年、この日が来ると、仕事終わりに、座布団を抱えて、教習所に通っていた日々を思い出します。

その当時は、会社から駅まで、会社のバスが出ていて、駅から教習所までは徒歩だったので良かったです。

11月11日、皆さんも何か思い出される思い出はありますか?

そんな、思い出に浸ってみても良いかも知れませんね

寒いですので、温かくしてお過ごしください。




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