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音痴でも歌はすきなの

留学先から帰国した先輩たちの輝かしい業績といえば、国際協力・学業優秀、そしてテレビ出演だ。

この文章は、わたしが10年前の2009年3月から一年間、中国に留学していた頃の回顧エッセイです。毎週火曜19時に更新しています。

留学して2ヶ月が経った春の日差しの中で、早速そのチャンスはやってきた。

どうやら今度長春市で行われる中国語大会の予選を通過すると、CCTV(中国中央電視台、中国の国営放送局だ)の番組で中国全土に放送されるというのだ。

これぞ留学!実績を残して一旗あげてやろう。わたしだって、やればできるのだ!夢も希望も体力もたっぷりあった留学したてのハタチのわたしは嬉々として参加した。まず衣装ならある。

うんうん。日本っぽい。掴みはばっちりだ。

予選の内容は中国語でのやりとりと、なにか発表できるもの。テレビに放送されるのを見越しての予選なのだから音楽とか踊りとか、見栄えのいいものがいい。

けれどわたしは特別面白いわけでもないし、運動も、楽器もできるわけでもなかった。自分の身一つに賭けるしかない。

歌を、歌うことにした。

実は高校時代は合唱部だったのだ。
教室であてられてもモジモジしてしまう、典型的な消極的日本人のわたしが予選に出場したいと申し出たらクラスの先生はそれはそれは喜んでくれて、放課後に時間を作って発音の練習をしてくれた。出場の前は手紙まで書いてくれて、当時は本当によくがんばったと思う。

歌う予定の曲は一番の歌詞は日本語で、二番の歌詞は中国語だったけれど、先生には先に中国語で歌ってから日本語で歌うといいよとアドバイスをもらった。

そしていよいよ本番。長春中の留学生が参加していたと記憶している。
待合室の壁には音楽学院の文字、音楽学院が主催の大会だったらしい。これは有利かもしれない。ピアノを練習している人もいた。

そしてとうとう自分の番が来た。

真っ暗なホール。浴びるスポットライト。

なんだか気分が高揚してくる。イントロが流れ始める。日本と中国の万代の友好を願った曲だ。きっとウケもばっちり。予選通過待ったなし。

ここでふと思い立つ。もしかして、一番を日本語で歌って、二番を中国語で歌った方が『日本語しか歌えないと思っていたら実は中国語もありました!』というドッキリ効果を狙えるのではないか?

うんうん。そうに違いない。よしまずは日本語でいこう!

そうして一番を日本語で歌い始めた。緊張で声が震える。音程なんて気にしない、日本と中国の友好は万代に続くのだから・・・

いよいよ二番!というところで音楽が止まった。二番を聴くまでもなく、審査員には日本語しか歌えないと思われてしまったのだった。わたしの出番は終わった。

勝負の世界は厳しい。第一印象が圧倒的にものを言うのだ。

二番まで聴いてくれれば、わたしの日中友好への熱い思いは伝わるのに!そう思ったが仕方がない。邪念に負けてしまったのはわたし。韓国の友だちと、なぜかラオスの民族衣装で出場した日本人の友だちと一緒に記念写真を撮って支給されたお弁当を食べる。100%の力が出せなくたって、それでも挑戦した人たちへのご褒美だ。

手前の黄色いのは豆腐干(トウフガン)と言って豆腐を固く絞って圧縮させたもの。普段食べる中華料理にはほとんど入っている、ポピュラーな食材だ。右上、日本ではキュウリを炒めることはめったにないけれど最終的には結構好きだった。

帰り際にほかの日本人グループの男の子とすれ違って、「さっき出場してたろ!」と声を掛けられた。「すごい歌声、会場の外まで丸聞こえだったぞ」と苦笑されて初めて、頭の中で音程の外れた鐘がキンコーンとふたつ、寂しく鳴るのが聞こえた。

あの時から、高校時代合唱部だったことはなるべく公言しないようにしている。

#2009年 #中国 #とは #エッセイ #思い出 #留学 #音痴

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