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僕にとっての走ること

こんにちは!まるです

うつ病の経験についてまとめた時にも書いていましたが、僕は中学から陸上競技(長距離)を始め、その時からずっと走ることをやっています。
うつのきっかけにもなった走ること。

競技歴も20年を超え、一応エリート市民ランナーのカテゴリーに分類されるところでやっています。
長くやってきていますが走ることに対して、多くの葛藤、迷いがあります。
自分の生活に密着していて、今までの多くの時間を費やしてきたので人生とも密着している。

そういうものだから自分を理解する上でいい加減整理、付き合い方を腑に落としたいなと思ったところでした。

そこで今回「僕にとっての走る意味」というテーマでジャーナリングしました。
自分のジャーナリング公開記事として、一つ形にしてみました。

「僕にとっての走る意味」
いつの間にかアイデンティティになっていて、うつのきっかけにもなった辛いものでもある。
異常に手放しきれない、あきらめきれないというか執着している。
大切かというとそうでもない。
辞めたいなと思うときが多い。
楽しいかと聞かれたら、うーんどうなんだろう。好きでもない気がする。
ランチューバ―やってる人見て、僕はそんな人みたいに走ること自体を純粋には楽しめていないと思うし。
やっぱりアイデンティティとして確立されてる部分があるかな。
自分だけでなく家族としてのアイデンティティでもあったかな。
父親がランナーで近所でも知られてたから、息子の僕も走るだろうっていう期待みたいなのあって、幸い(なのか?)そこそこの素質があった。
「〇〇家はランナー一家だもんな。」
そんな周りからの見られ方があって、アイデンティティに縛られている感じはあったかな。
今更辞められない感、走らなかったらアイデンティティを喪失するような感じ。
久しぶりに会う人には「まだ走ってる?」って聞かれること多いし、それで覚えられてるところある。
走っていることで一目置かれている面もある。
そういう面で取り組んで来て得したことは多いかなと思う。
就活、職場での評価、興味持ってもらえる部分多い。
結果出た時の達成感、優越感、なかなか日常では体験できないもの。
瞑想状態で走れている時の静かに心の高揚感がある感じとか、自分の世界に没頭できてる感じとか、
朝ランのスッキリ感とか、自分時間を満喫、自分時間を贅沢に使ってるなとか、体形維持できてる
ただ走っていることは承認欲求であったり、マウントとりたいって気持ちが強いことを感じていて、なんかそれが自分自身いやらしいなと思っていて、抑制していたところある。
そういう承認欲求で行動してるところ、器ちっさいなと思う。そこが自己否定してしまう部分。

でも、そういったことをモチベーションにする力ってすごく強いものが自分の中にあるなと思う。
承認欲求に結びついた自分の情熱、行動力なんかすごい、自分でも恐いくらい。
そこのパワーを最近肯定できるようになってきた感じあるけど。
それが自分だからしょうがないかなって思うところ出てきた。
タイム遅い人を見下してしまうところもあるし、そういう自分嫌だなって思うところあるけど、そういう自分に開きなおった部分もある。
それが自分なんだしなって。

走るので身体無理するよりも身体を大事にしたい。
走る時間を少なくして、ヨガとかそういう心身ともに整えていく運動に時間使いたいとも思うけど、運動として走ることに慣れているから、身体動かすのは走るのが手っ取り早くてヨガ習慣化しないんだよな。
最近はメリハリつけることの大切さというか、走る日走らない日をはっきり作ることで、競技力的にも上手くいくことを知ったところある。
走らない日は別の運動、別のやりたいことに時間使っていこうとしてる。

自分を「ランナー」っていうことすごく抵抗ある。
Xでもプロフィールにランナーって書きたくない。
その肩書とはなんか違う、客観的にみると完璧にランナーなんだろうけど、自分でそう認めたくない?「ランナー」っていう言葉で済ませられないというか、なんかそれじゃ薄い感じがして。
走ることにもっと求めているものがあるとか?
生きることに密着しすぎてる?自分のアイデンティティと癒着しすぎてる?
「ランナー」が薄く感じる、自分の生き方がその言葉だけでまとめられてる感じがするからかな。
そういう意味で肩書が定まらないのは、それなんだろうな。
Xでの肩書、まとめきれてないし。
自分は何者?何を目指して活動していく?
ライフワークっていうのなんだろう
ふと浮かんだ言葉だけど、走ること=ライフワークって結構しっくりくるな。
 ライフワーク:生涯を通じて取り組む活動や仕事のこと
自分は「ランナー」っていうより「走ることをライフワークにしている人」。うん、結構腑に落ちる。

やっぱり簡単に辞めようって切り離せるものじゃないけど、走ることに執着している部分での苦しさは軽減していきたいなと思う。
執着することの苦しさは内観してすごくよく理解できてきた。
走ることはすぐには自分から切り離せないものだけど、今は「それだけじゃない」って広く自分を見れている部分ある。
苦しいと思えたら離れていい。やらなくていい。
あくまで走ることは自分の一つの側面でしかない。
アイデンティティは走ることだけじゃない。自分にはこれしかないって思考に縛られたら相当きついってことを理解している(うつになった経験からも)。今はそんなに走ることに情熱ないってのもあるけど、、、
やりたいことをどんどん広げていこうとすごく今は思えてる。

今回、自分の中できっぱり答えが出たというものではなかったけど、このテーマで自分と向き合えたことが、とても嬉しく感じたんですよね。
自分というものを考えるうえで、一番長くやってきた、執着していたものがこれだからかな。
自分をすごく深堀りできてる感じ、心の絡まりをほどいている感じ、そして新しい自分に出会えてる感じがして。

今の自分が「それだけじゃない」ってこと、そこに気づけていることがすごくいいと思えた。
自分の可能性にワクワクしている。

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