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『当事者研究』ってよく聞くけど何? 改めて学んでみた(2)

私の大好きなケアをひらくシリーズの本!当事者研究について改めて学んでみました第2弾。
第1弾はこちら。

第2章は哲学者河野哲也先生による、障害者教育/リハビリの分野における当事者研究の優位性について。
河野哲也先生は失礼ながら本書の中で私が唯一知らない先生だったが、文章を読んでみると、(哲学者なのに)文章が読みやすい!!!!!!(哲学者の書く文章は概念の難しさも相まって、私はかなり不得意。)
それなのに、哲学者らしく、哲学的な(≒物事の根本から問い直すような)疑問を提示してくれていた。

私がはっとしたのは以下の2点。

【はっとポイント(1)】 障害者はどこを目指せばよいのか?

熊谷晋一郎先生の『リハビリの夜』を読めば分かるように、従来型の障害者に対するリハビリは、「身体の鍛錬を積んで健常者に近付こう」というものであった。
しかし、「障害」というものの性質上、訓練を積んだからといって治るものではないのである。(精神障害は障害と疾病の両側面を持つので例外的ではあるが)

ではなぜ、現在でも療育などの取り組みが存在しているのか?

それは、「自立」を周りも本人も望むからである。

しかし、ここで「自立」を誤解してはならない。
「自立」とは、一人で孤独に誰の助けも借りずに生きていくことではない。
「自立」とは、本書の言葉を借りれば『自分にかかわる物事を自分で決定し、さまざまなことを自分で選ぶ自由』なのだ。すなわち、人格や尊厳の問題なのである。

では、障害者が自己決定して尊厳を持って自分の好きなように生きていくためにはどうすればよいのか?

その答えの一つが『当事者研究』なのだ。
少し飛躍してしまったが、つまり障害者が自分のことを自分の言葉で表現して相手に伝える、ということは自立に直結しているのである。
こうして、「自分の言葉」を作り出す当事者研究は当事者にとって最も今必要なツールといえるだろう。

【はっとポイント(2)】当事者研究の「研究」としての説得性について

これは当事者研究に限らず、全ての質的研究・事例研究によく言われる批判であるが、
「果たしてその研究に(科学として)普遍性・客観性があるのか?」
という問題がある。
この疑問に著者はわかりやすい答えを提示してくれている。

それは、当事者研究という当事者同士の話し合いによって生まれる研究ならではの「自己対象化」の2種類の効用である。

1つ目は「連続性」
全然違う疾患でも、実は症状をスペクトラム上の強度として理解することが可能になることがある。
例えば、健常者でも不安を感じることはあるが、不安障害などではその不安が様々な場面を侵食し日常を脅かす。ここで、不安障害を持つ人が不安について研究すれば、それは健常者にも役に立つことなのではないだろうか。
このように、連続性があることを理解すれば、当事者研究のある種の普遍性を主張できるかもしれない。

2つ目は「差異」
もちろん全ての症状について連続性を用いて普遍性を主張することには無理がある。
そこにあるのは「差異」である。
ある種の障害について研究することは、逆に「健常とはなにか」ということを浮き彫りにする、というのは医学の研究に従事するものにとっては馴染みのあることだ。
そのように、当事者研究においても、困難を生じさせる実存のあり方を記述することで一般的な実存のあり方について大きな発見をすることができるかもしれない。
いわゆる図と地、的な話である。

ただ、この章には私の理解を超える話もたくさんあった。

例えば、脳性麻痺者に対する「間身体的な交流」について。著者によると児の志向性(ex. クレヨンを持ちたい)を利用して、まさに志向している最中に、児の体に繊細に介入することによって上手な身体運動を促進することができる、というものである。
私には実経験がないのでわからないが、そのような方法で動作改善することができることに驚いた。

神先生、池田喬先生による第3章についてはまた今度。

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