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機能不全家庭で育った中学時代3⃣

前回からアップするまでに少し時間が掛かった。過去の”キツイ”思い出たちは、やっぱり封印しとくべきだったのかもしれない。それでも私の39年間の人生全てを書き残したら何か見えてきたり、何か変化があるかもしれない。
とにかく今は、ゆっくりでも良いから書いてみようと思う。

私の中学時代は”テレクラ”が流行った話をしたが、その頃から先輩達ともよくつるむようになり、他校生徒も知り合うようになっていく。
そんな中、出会った女の子一人が《ゆっ子》家出少女のヤンキーで、教護院上り、私の地域とは別で、もっとヤンキーが多い地区の子だった。
そんな彼女とも、仲良くなるには時間は掛からなかった。

よく家へ遊びに来ていたし、なんなら家によく寝泊りしていた。ゆっ子は私の地元の先輩と付き合っていたし、彼女の地元ではなく、私の地元でほぼ暮らして居た。私達はよく先輩の家で”溜まったり”していた。必然的にお酒は先輩宅で覚え始めた。あの頃は年齢確認など無かった為、”酒たばこ”は簡単に手に入る。親父の酒もよく買いに行っていたぐらいだ。

タバコも中学校2年生ぐらいには吸い始めて、中三にはヘビースモーカーの出来上がり。酒は体質的に弱く、先輩の家でおもいっきり吐いた覚えもある。なので定期的に飲んでは居たが、弱いので直ぐ気持ち悪くなる。そうなると自然と飲まなくなっていった。

そんなある日、突然私は”先輩とゆっ子”から呼び出しを食らった。全く身に覚えもなく、面を食らった。確かその時はゴトウ宅に居た気がする。そこから地元の有名な大きい公園へ呼び出された。自分が何かしたか?身に覚えもないが、ソワソワしながら公園へ向かった。

結果、ゆっ子が私に切れていたのだ。理由はハッキリ覚えていないが、私がゆっ子の彼の悪口を言っただとか何とか?身に覚えのない言いがかりだった。結果身内の裏切りで、《私が○○の悪口を言ってた》と親友と思っていた彼女達に吹き込まれているようだった。私は髪の毛を弄りながら聞いていて、その姿が先輩達やゆっ子を余計にイラつかせた。

そんな時、公園へ巡回中のお巡りが現れ、私達は公園から土手へ場所移動した。昼は散歩の人やマラソン、犬の散歩など人は居るが、夜は人気が全くない。幹線道路からも人が居ても見えないだろう。そんな場所へ”切れたヤンキーの集団”が”むかつく奴”を目の前にしたら、やる事はひとつ。

そう《集団リンチ》が始まった。何時間続いただろうか…ほぼ記憶に無いが、私はボコボコにされ、血まみれのまま自宅には戻れず、ゴトウの部屋の前で倒れこんでいた。そこからまた記憶が飛んでいて、思い出せる限りの記憶では、学校にはもちろん行かず、自宅にも私は居ない。病院に居るのか?いや、病院にも居ない。

思い出せる限りでは、何故か《地元の親戚の家》に居た。何故自宅で療養してないだろうか?何故親戚の家で寝てるんだろうか?そうなった流れが全く思い出せない。怪我の程度と言えば、肋骨にヒビが入り、鼻は曲がっていた。肋骨にヒビが入ると、起き上がるのも勿論辛い。咳やくしゃみなんて出来ない。とてつもなく響くし、激痛だ。そんな療養中の私の励みは当時大好きだった《L'Arc~en~Ciel》の3枚同時リリース。シングル「HONEY」「花葬」「浸食 ~lose control~」の3枚だった。特に好きだったのは”花葬”次に”浸食”。

昔からやっぱりバラードが大好きだった。大体の人間は”HONEY”が好きと言う。同級生のラルクファン達も”HONEY”派だった。
私は一日中、リピート再生で花葬を中心に聞いていた。私を支えてくれたのは大好きな”hydeさん”だった。ありがとう、hydeさん、ラルク。

また記憶を辿っていくと、どのぐらい親戚の家で過ごしたのか分からないが、自宅へ戻っていた。そこへ兄貴が手を貸したのか?記憶が曖昧だが、親父、兄貴、私をボコった先輩が居る。何故そんな事になっているのかも、全然記憶にない。だけど親父が先輩達に言った言葉だけは覚えている。
やるなら殺すまでやれよ』その言葉はハッキリ覚えている。
私なりにショックだった。娘を庇う訳でもなく、先輩達に”檄を飛ばしている”ようにしか、私には見えなかった。

こいつは自分の娘を殺せと言っているんだと。中途半端に怪我させるぐらいなら”殺せ”と。どういう意図でそんな事を言ったのか、分かりたくもないし勿論分からない。大人になった今もそれは変わらない。

この件で、ゆっ子とは縁が切れた。先輩とも別れていたゆっ子は地元に帰ったのか、その後の事は知らない。ただ一つ、置き土産も残した。
私の親父に犯されそうになった》という事。

まだ仲が良く、家で寝泊りしていた頃に、ゆっ子は寝ていて私だけ出掛けるという事も、勿論あった。なので実質”親父と二人”の空間は出来る。だけど私はそんなことを言われても信じられなかった。信じたくもなかった。
これを思い出すとキーボードを叩く指にも力が入ってしまう。
大人になった今も信じたくはないし、真相は誰にも分からない。ゆっ子と仲が悪くなってから”言われた言葉”なのだから。
でも、幼少期のある事柄も頭をよぎる(幼少期編参照)。
何十年経っても、トラウマ級の出来事や人間の言動は人を苦しめる。こんな記憶消せればいいのに。


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