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目の前の人を診る【書評】発達障害は治りますか? 神田橋條治, 岩永竜一郎

発達障害本ばかり集中して読んでいたので、すっかり退屈していたのだけれど、久しぶりに楽しい本に出会った。私は神田橋先生という人を知らなかったのだけれど、知る人ぞ知る精神科医で名医と呼ばれる人だ。この人のスタンスは、巷の精神科医とは全く違っていて、民間療法のような、整体のような方法で、患者を治していく。発達障害でさえ「治す」というのだ。

怪しさ満点なのだけれど、意外にも精神科領域では神田橋先生人気は高い。豊富な臨床経験に裏打ちされた、外れっぷり(既定路線を外す)がいいんだろうなぁ。でも、神田橋先生によれば、とにかく目の前の患者を楽にすることしか考えていないのだそうなんだけど。

この本は神田橋先生と、お弟子さんの愛甲修子氏、作業療法士で感覚統合という方法で発達障害児の治療で成果をあげている岩永竜一郎氏、アスペルガー障害を持つ患者である藤家氏、(株)花風社の社長である浅見氏の対談という形進んでいく。会話の中からエッセンスをつかみ取る感じで、楽しく学べる。発達障害に対しての柔軟なアプローチ(まずは、考え方から)を学びたい人に最適の一冊だと思う。

「発達障害は発達する」

神田橋先生の名言だ。発達障害は脳の機能障害なので、治らないと言われることがあるけれど、大間違い。神田橋先生のところに来る発達障害の方は、大いに改善しているのだという。主な治療は、身体の調整(整体)でなんと診療時間は5分前後だという。(ほんと~?と思っちゃう)

神田橋先生の独特なメソッドは別にしても、発達障害が発達するというのは、間違いないことだろう。成長しようとしている発達障害の人は、ゆっくりだけれども、だんだん成長し、生きやすくなっていく。いろいろなスキルの積み重ねだと思うんだけれども、だんだん生活のコントロールを学び、対人コミュニケーションを学び、変わっていく。

私自身、20年前と今じゃ別人だし、多くの人が、少しずつでも発達しているという。だから、希望は持っていいんだと思う。栗原類君の本を読んだ時も、そう思ったけど、神田橋先生の断言っぷりを聞いて確信したね。(参考:ADHD/ASDは「治る」のか?【書評】発達障害の僕が輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類

精神科医療の問題

徐々に発達し、生きづらさが解消していくのであれば、放置していても問題ないはずなのに、発達障害が大問題になる一つの原因は、残念なことに精神科医療そのものだろう。この辺は、下記の本が激しいんだけど・・・残念ながら、告発のほとんどが「事実」だと思う。それほど、ひどい現状がある。

まずもって、「発達障害という診断は粗すぎる」と神田橋先生は言う。

「本来、千人千通りの病態が大雑把にくくられている。大事なのは鑑別診断ではなくて今この人に何をすればいいかという視点です。そういう視点が粗い今の診断にはない。友人である黒田洋一郎さんに言わせると、今の発達障害の学問が遅れたのはいっぱい分類したからで、これとこれが何とかとか、これとこれが重なっている場合はこっちのほうとか、もう実にくだらん。」(発達障害は治りますか? 神田橋條治, 岩永竜一郎 (株)花風社 P180)

精神科医は、DSMを使って、発達障害を診断していくけれど、本来は、そんなに簡単に患者を分類できるものではない。そして、だいたいが精神科医の主観で診断されるのだ。まあ、この辺は、精神科医療そのものの問題だ。特にADHDは、近年、投薬治療が効く!と喧伝されるもんだから始末に負えない。

精神科領域では「三次障害」が問題になる。薬によって、ハチャメチャになってしまうことだ。残念ながら、こんなのばっかりだ。ADHDで生きづらいと感じて、精神科の門をたたいた人が、投薬でさらにめちゃくちゃな人生を歩むことになるのは切ない。でも、これは一つの現実だから、ちゃんとわかっておかなければならない。(ADHDと薬については、また別記事でしっかり書こうと思っている。)

できることの喜びを奪わない

最近は、発達障害に偏見を持たないように、マークをつけて、自分が発達障害であることを知らせようというような風潮があるんだけど、あれもできない、これもできないと言い続けているとかえって自尊心が下がっていく。

できないなりに、発達障害は発達するから、できるところをちょっとずつ伸ばすという関わりが大事ではないだろうか。

「ほめられてセルフ・エスティーム(自尊心)が上がるのは二歳児くらいまでだね。・・自分で何かをできたと自覚することで育つセルフ・エスティームは、外側から価値観を植え付けられることなく、生理的な快感につながっていく。」(P146)

「みんな間違えていると思うのは「CAN」という言葉ね、これほどのサポートはないんですよ。どんなに人が親切にしてくれるより何よりも、「これができるようになった」という感激以上の喜びはないもんね。」(P242)

何かができるようになったという感覚は、いつになってもうれしいものだ。

発達障害は、普通の人に比べてできないことが多いけれど、それは、いつまでたってもできないという意味ではない。工夫をしながら、努力すれば、少しずつできるようになっていくのだ。誰かと比べてではなく、自分がちょっとでもできるようになったと思ったとき、人は、とてもうれしいのだ。その喜びを奪っちゃいけない。

「気持ちがいい」ことの先にあるもの

神田橋先生の治療は、一言で言えば体にとって「気持ちがいい」ことを行ってあげることなのだけれど、これは心身が治るコツだ。自らもアスペルガーと診断され、うつ病などの病気を患っている藤家氏が、この本の終章で「気持ちがいい」について語っている。

藤家氏は、治療が進むにつれて、いろいろな困難にチャレンジすることが「気持ちいい」と思えるようになる。例えば、仕事場で不機嫌な人と一緒に過ごすのは「気持ち悪い」ことなんだけど、一歩積極的に人のミスをフォローしたり、場の雰囲気を和ますことで、さらに「気持ちいい」を作れることに気づいていく。

ここらへんの話はかなり観念的だ。でも、私はよく分かる。今から20年前に私は心理学から、一時期、ボディワークに走り、最終的には「操体法」にたどり着いた。ちなみに神田橋先生も操体法について語っていて、この辺から、センスが合うな!と思いうれしくなった。

操体の気持ちよさも、快楽的な気持ちよさではなく、長い目で見た気持ちよさを求めていく動きだ。痛む動きの真反対の動きが気持ちよいはずと言われるけれど、実際に体を動かしていくと分かるんだけど、痛む動きを追求して、そこからちょこっと逃げた瞬間の動きが気持ち良いのだ。ただ、逃げているだけでは気持ちよさは生まれない。

発達障害と生きることも、これと似ている。

ただ、その場、その場の「気持ちいい」だけを追い求めると、本当の「気持ちいい」経験はできない。発達障害の弱点をかばい続けて、あらゆる困難を避けようとすると、広い視座に立つとそれは「気持ち悪い」人生に向かうことにならないか。チャレンジして成し遂げていく時に「気持ちいい」と思えるように、人間はできているんじゃないかな。

障害ではなく人を見る

神田橋先生は発達障害を「障害」と見てはいない。そもそも、どんな精神疾患も「疾患」とみていないだろう。見ているのは、目の前の人だけ。その人の苦しい状態をどうやったら楽にしてあげられるか。その人の困りごとをどうやったら解決してあげられるかだ。

「困りごと」さえなければ、発達障害と診断されようが、何だろうが、幸せに生きていけるだろう。まあ、普通の人もたくさん、困りごとはあるので、その困りごとをひとつずつ、解決できるようにちょこっと努力しながら、少しでも「気持ちいい」生き方ができれば、それでよいのだ。

神田橋流の発達障害のとらえ方と治療の仕方は奥深きものがあるよね。面白い本だったよ。

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq