耐える時期に【エドワード・ホッパー】
「今は耐える時期です」
職場の偉い人が言う。
「宇‐露戦争の影響で物資が値上がりしていて、いまはどこも厳しい。すぐによくなるという見込みもないでしょう。各自いまのうちに勉強するなり休みを取るなりして、力を蓄えておいてください」
耐える時期、か。世界的に見てもそんな感じがする。物価高、感染症、エネルギー不足、そして冬が来る……。
こんなときに思い出すのは、文豪カフカの晩年だ。
1924年没。その数字を見れば、第一次と第二次の世界大戦に挟まれた、不穏な時期なのがわかる。カフカが最後に住んでいたのはベルリンで、当時のドイツはひどい有り様だった。史上最悪のインフレと食糧不足に見舞われ、政治暴動も起きていた。
それでもカフカの生活は、生涯ないくらい穏やかだった。恋人と暮らし、散歩に出かけ、公園で泣いている女の子がいれば慰めてやる。その慰め方も一風変わっていて、女の子が失くした人形に成り代わって、彼女に手紙を書くというものだった。
世間が暗いときに、個人まで暗くなる必要はない。とりわけまだ人の心が残っているうちは、文化を楽しむのがいい。もちろん生活のそこここに、社会情勢が影を落としはするけど。
最近、エドワード・ホッパーの画集を買った。エドワード・ホッパー、アメリカの画家。アメリカを代表する画家。
ホッパーの作品は、私たちが知ってるあの国のイメージとちょっと違う。ハリウッドの喧騒も聞こえてこないし、白い歯を剥き出しにして笑っている陽気な人々も出てこない。ホッパーが描くアメリカは、どこか哀しい。
寂寞とした都市に住む人々の「ぽつん」とした感じ。夜のオフィスで働く人々。対外的にイメージされる「いわゆるアメリカ」ではなくて、この国で普通に暮らす人々が描かれる。それから生活につきものの、夕暮れと溜息と孤独。
ホッパーはもともとフランス文化に憧れて留学し、フランス風の絵を描いていた。アメリカは伝統のない若い国として、歴史あるヨーロッパにずっと鬱屈した憧れを抱いていた。いまでもそんなところがあるけど、当時はもっとそうだった。
帰ってきたホッパーは、ヨーロッパ風の絵をいくつも描くけれど売れない。売れないどころか酷評される。大国への地位を駆け上がるアメリカが求めていたのは、「アメリカの」美術だった。「ヨーロッパの」じゃなかった。
だからホッパーは、成功を求めて自分の国の絵を描く。これが私たちの国、そう言えるような風景。パリではなくニューヨークの街角を描かなくてはならない。文化大国フランスへの憧憬は消えなかったけど、ホッパーは国で成功するために「アメリカ」を描く。
ヨーロッパへの追従をやめろ、アメリカ固有の文化を作り上げていくんだ……この文化的ナショナリズムがホッパーを後押しした。結果的に、押しも押されもせぬ「アメリカの」画家となったのだから、すべては成功だったと言えるだろう。
だけどホッパーの絵にただよう哀愁や、どことなく冷淡な感じからは、どうしても複雑な心境を感じてしまう。アメリカは永遠にヨーロッパにはなれない。歴史と伝統の重みが違い過ぎる。それでもなお、アメリカはアメリカとして美術史を紡いでいく必要があった。
ナショナリズムの生贄のような絵。でもだからこそ、その不穏さが人目を惹く。
冷たい視線で描かれるアメリカは、どうにも手放せない雰囲気をまとっていたので、本屋で手に取った画集をそのまま買ってきてしまった。耐える時期だから勉強するつもりだったけど、耐える時期だから絵を眺めるのもまたいい。
派手にお金を使えるくらい景気のいい時代が来たら、アメリカまでホッパーを観に行こうね。誰にともなくそんなことを言う、2022年の秋。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。