「哲学、難しいんだけど」って人に

哲学に興味はあるけど、どうにも難しくて取っ付きづらい!という人はいて、確かにそうだと思う。自分が哲学に関心を持ったきっかけは「人間、いかに生きるべきか」を考察した、セネカの『生の短さについて』だったので、ある意味では身近なところから入って行ったと言える。セネカは明快な文章を書く。生き方に迷った人は、読んでみてもいいだろう。『怒りについて』に収録された「賢者の恒心について」は、短いながらもわかりやすいので、初めての人にはこちらのほうが読みやすいかもしれない。

「幸福とは何か」も、身近な問題のひとつだろう。これを考えるときは、ついでにいろんな哲学者の幸福論に触れてみてほしい。ラッセル『幸福論』は、けっこう実践的で、何事か熱中できることを見つけて没頭せよと説く。アラン『幸福論』は、日常を気分よく過ごす方法を見つけろと言うし、ショーペンハウアーは、苦痛がなければそれでよしとする人だ。上に挙げた三冊は、どれも平易な文章で書かれている。エッセイとして読んでもいいくらいの気軽さで堪能できる。

既に哲学に踏み込んでいるけど「出てくる用語の意味がさっぱりわからない」という人は、一歩進んで、それ専門の辞書(メジャーなのは『岩波 哲学・思想事典』、特定の哲学者に絞った『カント事典』なども存在する)を調べてみるといいと思う。買うと高いが、公共の図書館に大体置いてある。最近はハンディ版も充実してきているので、買って家に置いてもかさばらないものが多い。学問界隈も、それなりに進化しているのだ。

あるいは哲学に関係なくても「日本語に興味がある」「この漢字の成り立ちをもっと調べたい」という人には、「漢字は日本語である」の理念を掲げた、新潮社の『新潮日本語漢字辞典』を手に取ってほしい。白川静の『字統』もよかった。

余談だが、哲学を勉強していると、辞書を引く頻度がすごく高くなる。言葉の定義を知っていないと使えないからだ。よく考えたら、普通の人はここまで辞書を引く生活をしていないんだろうな。もっとも、翻訳者は別である。今日もポール・オースターを読んでいるが、訳す作業は楽しかっただろうなと、翻訳の過程にも思いを馳せてしまう。「親父がついた嘘の中でも、それは一番イカしたやつだった」とか言いそうなオースター、日本語にするのも(大変だろうけど)至福のひと時に思える。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。