翻訳の格闘Ⅱ

ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ
(ホ・ビオス・ブラキュス、ヘー・デ・テクネー・マクラー)
人生は短く、芸術は長い
──ヒポクラテス

有名な一節なので、知っている人も多いだろう。「人生は短く、芸術は長い」。簡潔にまとめられたゴロのいい訳で人口に膾炙しているが、この和訳が正しいかというと、これはそうでもない。分解して見てみよう。

まず、最初のὁ βίος(ホ・ビオス)は、アルファベットに直すと ho bios である。英語で訳すとlife。つまり、人生とか生命に関わる単語である。「bio」という部分はだから「生」の語感を持ち、現代英語でも「biology(生物学)」「biography(バイオグラフィー:伝記、経歴)」というときに使われる。ここでの「bios」の訳が「人生」なのはいいだろう。その後のβραχὺς (ブラキュス)は形容詞で「短い」。これもOK。

問題は、その後に続くτέχνη(テクネー)である。これを「芸術」と訳すのは、実は少し無理がある。理由は大きく二つあって、ひとつは「テクネー」には「技術」「技」という意味があり、どちらかというと芸術家よりも職人の仕事をイメージさせるからだ。靴職人が靴を作るのは「テクネー」だが、それは「芸術」とは違う。

もうひとつは、ヒポクラテスが医者であり、ここでは「医術」というニュアンスで使っている可能性が高いこと。「テクネー」は、人間がなすことを広く含意する言葉なので、もちろん医術の意味で使うこともできる。根本には「人間の手が加わっている」「自然のままではない」という語感がある。それは、アルファベット表記にしてみるとよくわかるだろう。
「techne」──見ての通り、英語の「technique(テクニック:技能)」「technology(テクノロジー:科学技術)」の語源だ。

以上のことを思えば、「芸術」という訳は、かなり「外している」感が否めない。ヒポクラテスに従って「医術」と訳すべきか、それとも日本語で「○○道(茶道とか柔道とか)」というときの「道」の意味で取って、「道のりは長い」と訳すべきか……。

「テクネー」はその後、ラテン語で「ars(アルス)」と翻訳され、同じく「芸術、技術」の意味を持った。「人の手が加わる」というニュアンスは、現代英語の「artificial(アーティフィシャル:人工的な、わざとらしい)」という言葉に生きているし、「art(アート)」は、まさしく芸術という意味だ。

古典語の翻訳の楽しいところは、現代まで脈々と流れる言葉の意味の変遷に触れることだ。それは、時を超えて誰かをわかろうとする、果てしない道のりなのだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。