言葉の違いから

「おかげさま」という言葉は、もともと「ご先祖さまの手助けによって」という意味らしい。今日はじめて知った。よく「亡くなった人たちが、草葉の陰から私たちを見守っている」という言い方をするが、そのときの「かげ」が「おかげさま」の「かげ」なのだそうで……。全然知らなかったよ、と思った次第。

「おかげさまで」という言い回しを英語に訳す際、thanks to you(あなたのおかげで)になると習った気がするけど、そうじゃなくて正確にはthanks to my ancestors(私の先祖のおかげで)なのか。翻訳っていうのは、本当に難しいなあ……。言葉だけじゃなく文化を訳すことを強いられているわけだから、世の中の翻訳者の人々が何かと苦しむのも無理はない。

一応、翻訳機に「おかげさま」と打ち込んでみると、ドイツ語と英語のいずれも「神様のおかげで」「神々のお力添えによって」というニュアンスの訳が返ってきた。西洋ではそういうことになるのだろう。神様や神々のおかげ。彼らにとって、生者を守るのは神様の仕事であり、先祖のやることではないのだ。死んだ後もやることの多い日本のご先祖様たちは、なかなか大変だと言える。

基本的に「西洋は一神教、日本は多神教」と雑に語られることの多い宗教観も、実際にはもっともっと複雑だ。キリスト教は一神教だけど、12聖人みたいに複数の人々を祭ることがあり、多神教的なニーズはある。そして日本も、すべての神様の地位が同じわけではなく、神道のトップは太陽神アマテラスであり、一極集中的な傾向はこちらにもある。言うほどキッパリとは分けられないのだ。たった一人の神様を志向する一方、多くの神的存在にもいてほしいと願う、その傾向はどこでも同じなのだろう。

人はどこの国でもよく似ていて、根本から違うことのほうが珍しい。自分の体験から考えると、留学先のドイツでもいじめはあったし、いい人はいい人で、冷たい人は冷たかったし、頼りになる人がいたり、外国人に怯えている人もいれば、物おじしない人もいて、いろいろだ。そんなのは日本もまるで変わりない。細かい事情は違うだろうけど、結局ひとが生きて生活していることに変わりはない。私たちは食べるし飲むし、人に興味を持ったり怖がったりするし、生活が苦しくなれば誰かに八つ当たりしたくなり、陽気になったときには冗談を飛ばしたくなる。何も変わらない。

そして、だからこそ差異が目立つ。似ているからこそ、違う部分が目について仕方ない。そういうものなのだと思う。私たちがタコと恐竜くらい異なる存在だったら、なんの争いも起きないだろうけど、お互いに二本足の人間だから闘う場面も起きる。

私たちは似ている、私たちは異なっている。どちらも間違いじゃない。同じ人間だから仲良くできることもあれば、同じ人間だからこそ許せないこともあるだろう。その相似と差異を、丁寧に見つめていくこと。できることなら、それを対立や憎悪を煽るのに使わないこと。相手は理解不能なエイリアンではないけれど、完璧に理解できる他者でもないのだと知ること。

「汝の隣人を愛せよ。されど、垣根を取り除くなかれ」。聖書の有名な一節を思う。自分と他者の間に境界線はあるけど、それは常に曖昧で更新されていくべきものだ。私たちが同じであることは、他者を理解するために、違うところは、ものの見方を広げるために使われるのであってほしい。そんなことを思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。