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JAT2016年「翻訳者の目線」より~訳文の前に、普通の文章できちんとした日本語を

 執筆者、編集者としての顔も持つわたしは、翻訳ではない文章を書く機会も多い。
 もちろん、同業者であるプロの書き手の文章も大量に読んでいる。
そんな生活が半年ほど続いて気づいた。文章そのものよりも、文章の中身で勝負するのが作家や著者という職業だ。文章が上手いかどうかよりも、重要なのはその内容である。しかし翻訳者は違う。「文章の中身」についての責任は原文の書き手にあり、翻訳者には「きちんとした文章、破綻のない文章」が厳密に求められる。物書きの中でも、翻訳者だけが負う宿命だ。
 きちんとした訳文を書くためには、「普通の文章がきちんと書ける」ことが前提である。
 原文を正確に読みとった上で訳文を組み上げていく、特殊な高等作業が翻訳だ。メールやSNS、ブログなど、普段の文章が破綻していては、訳文が書けるわけはない。さらに「普通の文章」の土台は、揺るぎないまでに固めておかねばならない。これが弱いと、訳文のときだけに使いがちな「不自然な日本語、ありえない日本語」の脳内洪水に襲われて、すぐに決壊してしまう。よって、まずは日常的に書いている普通の文をきちんと書くことが基本トレーニングとなる。具体的には以下のとおり。
 まずは、「誰が」「何を」「どうする」という、文章に必要な要素を抜かさずに書く。気軽なtweet のときほど気をつける。書き手である自分だけがわかっており、読み手は知らないかもしれない情報が不足していないか。特に、140 字程度から「何を」の内容が読み取ってもらえるかどうかを検証してから、投稿ボタンを押す。こういうところから、書き言葉の土台を突き固めていく。
 スタイルについては、自分なりの基準を決めておき、それに従って漢字や表記を統一する。ソースクライアントやエージェント支給のスタイルガイドでもいいし、特になければ、日本翻訳連盟の「JTF 日本語標準スタイルガイド」https://www.jtf.jp/pdf/jtf_style_guide.pdf が役に立つ。同連盟のweb サイトから、誰でも(会員以外も)無料で見られるのがありがたい。自分の書く文章すべてに、このスタイルを当てはめる。気分次第で「なに」と「何」、「とき」と「時」を使い分けるのは、ひとつの表記スタイルを完璧に身につけた後の話だ。
曖昧な表現を避ける。「~と思われる」「~したりしている」「~って」「~とか」など、言い切らないぼかした表現は、友人宛てのカジュアルなメールにすら書かないと決める。文章を曖昧に書く癖がつくと、それに引きずられて訳文のシャープさも失われてしまう。
 敬語レベル(丁寧レベル)を統一する。お客様宛ての硬いメールで「~していただき」「存じます」「承ります」といった語を使うなら、同じメールに「どうでしたか」は不釣り合い。
 英語は、長文ならば敬語レベルを揺らして動きをつけていく言語だが、日本語はそうではない。敬語レベルを変動させるのは上級者が使う技。まずは一定のレベルを保って書くことが大事である。
 同じ文末表現を続けない。ブログで「~です」「~ました」ばかりが続く文章を見るが、同じ文末が3 文続くのは多すぎる。連続してよいのは2 文までと決めて、工夫しながら文を締める。少しレベルが高い分、非常に力がつくトレーニングになる。
 もうひとつ、訳文作成に直結する話を書いておく。「~し(て)、」「~で、」と文をつなげていくスタイルを多用する翻訳をときどき見る。こんな感じだ。
「シンプルさに根ざして、ひとつひとつのディテールを大事にして、誕生した製品です」
「さまざまな演出も満載で、世界的な有名人と相並んで、このよう
な一流人が多く見受けられました」
 こうした文は、「~し(て)、」「~で、」の連続が終わるまで内容の予測がつかないため、読み手に負担をかけてしまう。だが、この癖からも同じ方法で抜け出せる。訳文ではない文章からトレーニングを始める。すべての文章において、「~し(て)、」「~で、」を連続では使わないようにするのだ。最初からいきなりそういう文を紡ぎ出すのは難しいが、一度書いた文を自分でリライトしていけばいい。
 「代表者会議を開催して、本プログラムの成果を共有し、組織間の連携を図っていきます」と打ったとしたら、「代表者会議を開催し、会議の場で本プログラムの成果を共有した上で、組織間の連携を図っていきます」と書きなおしてみる。常にこのように注意して文を書いていくということだ。
 こうしたトレーニングを積んでいけば、普通の文章が上手くなる。それに伴い、訳文レベルもぐんと向上していく。繰り返すが、訳文作成はかなりの高等作業。それ以前の土台ができていないならば、いったん戻って構築し直す。それが苦にならないほど書くことが好きならば、翻訳者としての適性をひとつ備えていると言える。

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  昨日に続いて、7年前の2016年に業界誌に寄稿した記事をアップした。媒体名は、JAT(日本翻訳者協会)アンソロジー「翻訳者の目線」である。
 このときはフリーランスとして、あちこちから仕事をもらいながらも、時々ある出版社でオンサイト(形態はフリーランスだが自宅ではなく得意先に出向して働くやり方)勤務をしていた。
 自分の人生のなかで、いちばん「種々雑多」な仕事をしていた時期である。JATのアンソロジー委員も務めていて、大量に翻訳者の日本語文章を読んではため息をついていた。
 この人は文章が上手い!と思う人は、SNSの書き込みひとつであってもきちんと仕上げてある。その逆も真なのだ。それを思いながら、翻訳者が少しでも文章が上手くなればいいなぁ、文章の上手い翻訳者が少しでも多くなればいいなぁと思いながら書いた。

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