見出し画像

『東京奇譚集』村上春樹

 今、村上春樹の東京奇譚集を読んでいる。
新潮文庫の今年の「夏の100冊」で限定プレミアムカバーになっていたので
何週間か前に買ってみた。


 奇譚という言葉に初めて出会ったので、辞書で調べてみると…

世にも珍しく面白い物語・言い伝え


という意味だそうだ。
集とあるとおり、これは世にも珍しき話の短編の集まりである。

今、半分くらい読んだところ。
もうちょっと、あとほんのちょっとで読了。

まだ途中ではあるが、ちょっと気が付いたことがあったので、今日はこれを書き留めておきたいと思う。


 短編集のなかには、「ハナレイ・ベイ」というお話がある。ハナレイ・ベイというのは、ハワイの地名のこと。
このお話は簡単に言うと、このハナレイ・ベイという海で息子を事故で亡くした日本人女性が、悲しみに耐えているお話である。

 サーフィン好きだった19歳の息子は、この海でサメに襲われて、片足を食いちぎられ、突然に亡くなってしまった。
その事故を境に、主人公である母親は毎年のようにその海を訪れ、息子を忍ぶようになった。
 そうしてハワイを訪れることが恒例になった数年後。
彼女はヒッチハイクをしていた息子と同じくらいの日本人の少年2人と出会う。サーフィン好きだけど、世間知らずで危なっかしい。
辛口でぶっきらぼうながらも、彼女は二人にハワイ滞在についてあれこれ助言をしてあげ、滞在中話す仲になった。
 ある時2人は「海で片足の日本人サーファーをみた」という話を彼女にした。
絶対にそれは私の息子だ…と確信がある。幽霊なのか。けれども、どうして私には見えないのか、と彼女は嘆く。


 あまり、メッセージも起承転結も見えてこないお話。
ただ淡々とありのままの現実を切り取ったような印象。


 たまにこういう話あるよね。
せっかく読んだのに、感情の波もあまりなくて、よくわからん、みたいな消化不良を起こす話。


なにがいいたいかはわからない。
もしかすると、言いたいことなんてないのかもしれない。

しかし、そういう今まで会ってきた、「よくわかんない話」とは一線を画していると思う。

なぜか面白い。その境目に何があるのかは、もうちょっと考え込んでみないことには、理解できそうにないけども。



おもしろいとかんじたことの一つに。
「物語の中には書かれていないことを想像する」という、今まで体験したことがない楽しみがあった。

これは確かだ。


 映画でも本でも、「おお!面白い展開!」とか「ドキッとする展開」というのはいろいろあるけれど、そういうものを作り出す技法は、一つ例を出すとすれば、

「まったく予測していなかった出来事」を演出することじゃないだろうか。

そして、その予測していなかった出来事は、ある程度の全治全能みたいな「神の視点」を観る側なり、読む側なりの、物語を楽しむ側の人間に与えたうえで、
「じつはね」と不意打ちをくらわす時に出来上がる。

 たとえば、AとBが戦っている。
お話を楽しんでいる側は、決戦に至るまでの両者の道のりをあらかじめストーリーだてて、理解させられている。
何の戦いかはともかくとして、Aがどんな切り札を持っているかとか、Bがどんな作戦を立てているかとか、AとBはお互いに知りえないことを、物語を楽しむ者は全部把握しているという環境だ。

鑑賞者はすべてを知っているうえで、AとBの攻防戦がどうなるのか、かたずをのんで見守っているのだけど、

 ここにとつぜん、まったく存在を知らされていなかったCの存在がいきなり現れたとすると…全部把握していたと思っていただけに、とても驚くことになる。

「そんな展開ってあり? 嘘!!」
みたいな、感情を巻き起こす。
こちら側からしてみれば、その世界にはAとBしか存在していなかったはずなのだ。


ストーリテラーはこちら側に語り掛けて、友達のふりをしているけれど、実は「はなさなかったこと」も存在している。
何事も順序立ててわかりやすく説明することが大切な世ではあるが、ストーリーテリングにかけては、ここのバランスのとり方が、面白さを生み出すのだと思う。後出しに見えないことも大事。

漁夫の利みたいな話しを思い浮かべたら、わかりやすいかもしれない。




映画や本を読んでいると、たまにこういう「神様の視点」に落とし込まれて、そのうえで、すっかり虚を突かれることがある。

オーシャンズ11とか大好きなんだけど、あれがまさにそうだな。


 ところで、村上春樹のこの話の場合、ちっともそんなことはない。

え、うそ!という展開は起こらない。
じゃあ、なんでこんなことを、この文脈で書くのかと言えば。

ただ書かなかっただけなのではないか、という気がしてくるからだ。
つまり、話の最後まで読者に「神様の視点」を提供し続けて、終わらせたということ。
でも、なんとなくだけど、ここにも「はなさなかったこと」は隠されているような気がする。


 というのも、2人の若者が「片足の日本人サーファーを見かけた」という証言をしたことに、どれほど信憑性があるだろうか、と思うからだ。
もしかしたら、どこかで「昔の海難事故」の話を聞いていた可能性だって考えられるし、誰かが二人に、「毎年ここにやってくる日本人女性の身の上話」をしていたかもしれない。

そうして、お世話になったから励まそうとか、反応が見てみたいとか、何かしらの動機を持って、「片足の少年をみた」という話をしてみたのではないかと…そんなことをふと考えた。

英語ができなかったことを考えれば、その線は薄いかもしれないし、
書いていて、あ、やっぱ考えすぎかも、とは思うのだけど(笑)

でも、やっぱりそういう「はなさなかったこと」を考えてしまう。考えさせられる。

そうではないと、証明することもできない。

もし、そういう外角の出来事が存在していたのなら、悲しみに耐える女性のお話も少し様相が変わってくるような気もする。

幽霊話でもなくなる。

どうだろ。

こういうのを邪推というのかな。

でも想像力を掻き立ててくれるので、やっぱり村上春樹はすごいなと思う。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?