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神保町

神保町を歩くと、素敵な気分になれる。

プライベートで遊びに来たことはない。
ただ仕事のために、歩く機会がちょこちょこある。

街自体はなんてことない。
遊びに出かけるメインになるというよりは、どこかに向かう時の通り道って感じ。

水道橋みたいに若者が遊べるような遊園地があるわけでもない。
お茶の水みたいに落ち着いた雰囲気もない。
車の通りは多いし、ガヤガヤしている。


ちょっとしたカフェや飲食店やドラックストアのチェーン店があるくらい。


だけど、行くたびにちょっと気持ちが上を向く。


なんだかすごく居心地がいい。


なぜなら、神保町には本屋さんが沢山あるから。


本屋さんの隣に本屋。そのまた隣に本屋。

大通りにいろんな書店がいくつもいくつも連なっている。
出版社の本社もあるみたい。


 本はスマホに置き換わり、読書離れが叫ばれ、本屋さんも減っているというけれど、ここだけはまだまだ本が主役!って感じがする。

 都営新宿線の神保町駅のホームの壁は、青と茶色と朱色と白の、細長い四角のレンガがひしめき合っていて、なんとなく本棚みたいに見える。

きっと意識しているんじゃないかな。

初めて駅に降りた瞬間にそう思った。
こういう何気ないところも好きだ。



 通りに並んでいる本屋さんも変わっていて、そういうところが扱っている本というのは、普段書店で眺めているようなものとは、様相がまったく違う。
かわいい絵本だけの書店とか、岩波文庫だけを置いているおしゃれなカフェとか、見慣れた三省堂書店とかもあるけれど、

いつの時代からあるんですか?

と問いたくなるような歴史の深そうな本屋さんが沢山ある。
むしろこっちの方が多い。

そして、そういうところにある本というのは、全然馴染めない。
読書が好き!本が好き!と本好きであることを長年、アイデンティティに据えている私ですら、どこかよそよそしい気持ちになってしまう。

全体的に黄色くて、茶色くて、パサパサしていて。
化石みたいな本ばかり。
どんな本かなって手に取って開いてみる気にもならない。

開いても全くわからないだろう、という気持ちが一つ。
恐れ多いというのが一つ。


 本離れが著しいこのご時世に、こういうところに本を買いに来る人って、どういう人なんだろう。

大昔からある本屋で、流行り廃りに拘らず、扱っている本にも変わりがないということは、どの時代にも一定数、こういう古書を求める人がいる、ということだと思うのだけど。

本がどれだけ古くなっても、欲しいっていう人がいて、私にはちんぷんかんぷんのどうしようもなく古い本が、誰かにとってはやっと見つけた宝物だったりするのかもしれない。

どちらかというと古いものが好きで、昔のcd探しが趣味だった時期のある私には、本は理解できなくても、そういう気持ちはすごくよくわかる。

これは雑多に見えて、実は誰かにとっては宝の山なのだ。








3月ごろこんなことを書きつけて、なんとなく公開しないまま放置して、忘れ去り、数ヶ月が経ったころ。

北村薫のヴェネチア便りという短編集を読んだ。

たった2ページの「白い本」というお話に、神保町が出てくる。
主人公は神保町の古書店で見つけた貴重な本を買おうかどうか迷っている。



読まれることなく、ここにきた本なのだ。
美しい言葉の並ぶ本なのだ。
読んでさえもらえれば。
間違った人のところに行ったんだね。
私は読むーー私が読む。



言葉の数々が、ひどく胸に響いて落ちてきた。
そうして、こんな記事を書いていたことをふと思い出した。


化石の山から宝を見つけ出す人に、私は会うことができたみたいだ。


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