記憶
『思い返すことも無かったからなあ』
友人の台詞を思い出す。
傘の下で雨音を感じながら、
両耳から五月蝿くて心地のよい音楽を身体全体に流しこみながら、
白い息を吐いて、
今年はあと何回見られるのかと考えながら。
受験期に、自称進学校の熱血教師が叫んでいた。
「わからない問題をそのままにするな、復習すること」
またある冷静教師はこう言っていた。
「忘却曲線がこうであるから、何回も問題を解くことで忘れにくくなる」
どうやら人間は自分の意思で思い返さないと、長くは物事を覚えていられないらしい。
『だから私、あの人がどうだったとか全然覚えてない』
そう、友人は続けた。
そして今の私とは真逆だということに気がついた。
あの頃の情景は鮮明だった。
空の色とか、澄んだ空気とか、
紡がれた一つ一つの言葉とか、
与えられた感情とか、
もう、何もかも手元に無いのに、
全てが鮮明だった。
そして幸福を実感した。やはり敵わなかった。
何度も何度も思い返したい日常であったことを思い出して、
また感謝してしまう私は完敗だった。
もうすぐ春がくる。何度季節が巡ったのだろう。
桜を見て、思い出す。
きっとまた思い出すのだ。
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