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日々をいきる

朝起きて朝から仕事をする。
そして、迷惑だろうが早い朝からあちこちに連絡を送る。ハガキを書く。起きてる奴からは早い朝から返事が来る。便利な世の中になったと思うが「おっ、あいつも起きてるな」と互いに思い、なんだか互いのプライベートをさらし合ってしまったようでようで妙にバツの悪さを感じる。そんなことを考えているのは私だけだろうからそこまで思う必要はないだろうが、なんだか妙にバツが悪いのである。

そこでやおら立ち上がり、二階から降りて冷蔵庫をのぞくが玉子しかない。茹でながらNHKのニュースを見る。テレビはほとんど見ないが早い時間のニュースは見ている。サンドイッチを齧りながら「ああ、また玉子サンドを食ってるな」と、独り言ちた。そろそろ違うのも食わなきゃな、と思いながらも最近は買い物に行く時間も無い。ある物で文句無く食事を済ますことが出来る人間である。
でも時々どうしても食べたいものが出てくる。なんだか急に『日清焼きそば』が食べたくなったのである。

調べればなんと1963年から販売しているとのこと、私の記憶は小学校の低学年である。1960年代の最後あたり、夏休みに兄は入院して私一人まだクーラーの無い社宅にいた。父が昼休みに帰って来て『日清焼きそば』を作っていってくれたのだが、料理を全くしない、解さない父、出されたものを黙って食べる父にインスタントラーメンに焼きそばなどがあるとは考えることはなかったのであろう。母の言伝で父が作ってすぐに仕事に戻って行った。残されたのは焼きそばならぬ『日清ラーメン』だったのである。泣きながら私は一人『日清お湯足し焼きそば』を食べた。今でも焼きそばにお湯を足したようなその味を憶えている。
当時から、これを焼きそばと呼ぶのはおかしいのではないかと考えていたので、父を責めないでおこうと思う。ラーメンじゃなくて、焼きそばじゃなくて『汁無しそば』だと思っていた。今でこそ『汁なしそば』なるものがあるがまだ食べたことは無い。食べる勇気が無いのである。

朝、玉子サンドを食べていたら日清焼きそばが食べたくなった、そんなことを書こうと思っていたのではなかった。

朝は私に力をくれる。
朝という、ただそれだけでいいのである。
朝目を覚ますと太陽が顔を出し、鳥たちが私に囁き、樹々の緑はざわざわとその生を伝えてくる。
まだ誰も起きていない朝がいい。
仕事を考えるのも朝。
手紙を書くのも朝。
朝が全てを浄化してくれるようである。
そして私は朝メシを準備する。
今日生きる自分の生を私は準備する。
こんな毎日の繰り返しを私は飽きることなく繰り返す。
どうして飽きることが無いのだろうか。
私には分かっている。
それは朝がやって来るからである。
昼ではない夜ではない、まずは朝がやって来るからなのである。
私はその朝に感謝することもなく日々を生きるのである。


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