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インド旅行記②デリー~ハリドワール編  インドのカオスを五感で体験

昨夜ベッドに入ったのは日本時間で夜中の2時くらい。
飛行機の中では寝ずにひたすらドラマを観続けていたし、昨日の朝起きたのは朝の4時半くらい。空港のトラブルなどいろいろあってクタクタに疲れていたから寝られないはずはないと自信があったが、旅先でよく不眠になる私は結局ほぼ一睡もできないままデリーで朝を迎えた。



せっかく良いホテルに泊まっていて申し分のない環境だというのに、少しでも脳への刺激が取れないと眠れない自分の神経質さにうんざりする。寝る前にヨガもしたし十分リラックス出来ていると思ったのに。まぁ仕方ない。

デリーの近代的なホテル

再びデリーの空港へ

朝、6時半ごろホテルのフロントで車を呼んでもらい、再びデリーの空港へ。相変わらず迂回路を通るため時間がかかる。3月は比較的少ないと言われているそうだが、噂通り大気汚染の靄があり驚く。

今回はホテル専属の運転手だからか、昨夜のドライバーのような無礼なことは言われなかった。色々また雑談していると年齢の話になり、幾つに見えるか聞かれたから自分より少し年下かなと思い35歳と言ったら25だった。気まずい。インドの人たちはだいたい年上に見える。

今日のフライトは国内線だから楽勝だろと思っていたら、セキュリティーチェックが厳しく、やたら時間がかかり融通の効かない感じがロシアにも似ているなと思った。

私はインドのドラマに一時期ハマっており、1年で10本(×だいたい10話)くらい見ていたことがあったが、だいたいお気に入りの登場人物は自立していてキリっと美しいが、社会の不平等さやマイノリティーの生きづらさに心を痛める、優しさに溢れた強い女性警官である。ドラマで見たインドの警官はいつもベージュの制服を着ていたが、空港のセキュリティにいた警官たちも同じものを着ているのを見てついにインドに来たという実感が湧いてきた。

そして、感動して見惚れていると、早く前へ進めとキリっとした女性警官に促され、自分もドラマの一部に入り込んだような気分で嬉しくなった。

完全に変な日本人。

空港でいちいち列に並ぶごとに昨夜のフードコートでの件を思い出す。ほぼ寝ていない割に思考がはっきりしていたので、割り込まれないように前の人にお腹がくっつくくらいの距離で並ぶ。それでも横入りしようとする輩がいたから肘でブロック。私も一日で成長した。

小型機に外の階段から乗り込む

1時間ほどの短いフライトの間に、慌ただしく飲み物と、予約時に注文しておいた機内食が出てきた。ここで食べたベジサモサが今回のインド滞在中で一番美味しい食べ物だったかもしれない。

デラドゥーンからハリドワールへ

サモサを食べているとあっという間にデラドゥーンという空港に着いた。欧米人が半分くらいだった機内からどっと人が降り、手荷物受取場所でみんな待機。私は昨日の件を反省し、スーツケースにスカーフで目印をつけておいたから、今回は誰にも間違えられることなく無事に受け取り。

待ち時間が長かったのでなんとなく人の観察。乗客の半分くらいを占めていた欧米人たちは、いかにもヨガをやってる感じか、ヒッピーっぽい雰囲気の人ばかり。デラドゥーンはインドのヨガの聖地と呼ばれるリシュケシュ最寄りの空港なので想定内であるが、思った以上に外国人が多く驚いた。

デラドゥーン空港の壁画

予約したハリドワールのホテルに依頼した車が来るのを待っていると、1台のオートリキシャ(トゥクトゥク)からヒッピー風の男性が颯爽と降りてきた。先ほど機体から空港に向かうバスで隣に座っていた、タトゥーのたくさん入った似た雰囲気のヒッピーお姉さんのお迎えだったよう。おそらくドイツ人カップルだ。またオートリキシャで身軽に去っていく二人。絵になるな。

ようやく私の頼んでいた車が空港に来たが、運転手は車から降りると他のドライバーたち(おそらく初対面)と長話すること10分以上。(これ、プエルトリコでも何度かあったパターンだが意味不明) あの、そろそろ出発しませんか?と声をかけると、No English!!と言われる。理解してるじゃん、と思いながらOKと言い車内へ。

車の中ではここはクラブか、と思うくらいの大音量でインドのポップスのようなヒップホップのような演歌のような音楽が流れている。私に対してはNo English!!宣言をして寡黙であったが、先ほどは現地の言葉で饒舌に話していたし、明るい性格なのだろう。首を振りながら全身と手で音楽に合わせてリズムを取りながら踊るように運転する姿が面白かった。

ハリドワールに続く田舎道にインドの音楽がマッチし、なんだか私も楽しい。時速100キロほどで進みながらエアコンをつけず窓を全開にしているから、風がびゅーびゅ―入ってくる。もはやオートリキシャと同じような環境だ。日本にいる時は風が苦手でそれに関して文を書いたくらいであるが、なんだか今は気にならず、むしろこの刺激が心地よい。環境に身を委ねてみたら、どんどん心がゆるんでくる

窓の外にはいかにもインド、という感じで1台のバイクに3~4人の人が乗っていたり、よく見るとその運転をしているのが10歳くらいの子どもで幼い兄弟を後ろに乗せていたりする。そして、人々の顔や髪がカラフルな粉に染まっている。そうか、今日はホーリー祭だったのだ。

カラフルピープル

途中、渋滞を抜けてホテルに到着するとまだ10時前。早いフライトにしたから1日が長い。

私が数日かけてリサーチし、最終的に選んだ100年以上の歴史があるヴィンテージのホテルは、内装や家具などとても素敵で、なによりバルコニーの真下がガンジス川という最高のロケーションだ。しかし、設備もヴィンテージ感が満載で、予想はしていたが水回りなどは日本と比べてはいけない。

実際、夜シャワーを浴びていたら10分ほどでお湯が出なくなり、冷水をどうにかしなきゃと思った矢先に停電。素っ裸で暗闇の中、バッグから懐中電灯を持ってきて対処、という流れが2ターン続いた。もはやこれも日本では体験できないエンターテイメントとして楽しめる人にはこのホテルはおすすめだ。

バルコニー付きのホテルの部屋

まだ午前中だが、ホーリーがどんどん盛り上がってきている様子で、外はお祭り騒ぎ。天気が良く、すぐ乾きそうだと思ったので、昨日着ていた服を洗面台で洗濯。バルコニーに干してから散歩に出かけた。

紫外線が強そうだし、防犯の面からも目立たない格好をしようと思い、サングラス&帽子で外に出たら、そのような見た目の人はおらず、かえって目立ってしまった。空港にはたくさんいた欧米人たちも、この日のハリドワールでは1人も見なかった。

ホテル近くの道

目立ちすぎると思い、サングラスを外して道を歩いていると、それでも私の外見が珍しいのか、女性たちによく声をかけられた。中年~年配の女性たちはあまり英語を話さない人も多いが、一緒にいた10代の子どもたちは学校の教育で学んでいるためか、英語が達者なので母親の通訳も兼ねてどんどん私に話しかけてくる。今は世界的にKポップがブームであることもあり、私のいかにも東アジア系という薄い顔立ちと肌の色は、彼女らから見ると羨望の的らしい。

まるで韓国のアイドルであるかのように「超キレイ!!」「かわいい!!」のようなことをこんなに短時間でいろんな人に言っていただけたのは、人生で最初で最後の出来事であろう。そして、一緒に写真を取って欲しいとほぼ毎回切実に頼まれるが、私の顔がそのままSNSに拡散されるのは抵抗があったので、サングラスをつけてから撮影に応じる。

私から見ると10代のインドの少女たちは目鼻立ちがはっきりしていて睫毛が長く、それこそ「超キレイ!!」で「かわいい!!」と思うが、彼女たちは自分たちの濃い顔より、のっぺりした平たい顔に憧れるのは不思議だった。お互いに、ないものを欲しいと思うのは人間に共通なのかなと思ったり。

ハリドワールには延々と続く商店街があるが、この日はホーリー祭だったため、通常の商品の代わりに祈祷用の道具が売られており、楽しみにしていたショッピングはあまりできなかったが、ある小さな衣料店ではいつも通りにたくさんの服を売っていたから、そこに入り、店を手伝っている店主の娘さんたちと長話をしながらスカートを1枚買った。

インド女性のファッションは、それをテーマに道を観察していたら何時間も過ごせるほど楽しい。20代前半くらいまではTシャツにジーンズ、のような服が多いが、民族衣装と組み合わせてみたり、カジュアルとエレガントの度合いにグラデーションがあって面白い。ハリドワールではほぼ見なかったが、ドラマに出てくる都会の女性たちは日本や欧米のような「洋服」を着ている人も多かった。

中年以降はサリーを着ている女性が多く、その色の鮮やかさや美しさがそれぞれ素晴らしい上、日本ではあまり見ないような派手な柄同士の組み合わせも個性的でとてもおしゃれ。ここではもちろんTPOはあれども、それぞれの人が他の人の目や恰好を気にせずに、自分の感性で自由に服を選んでいるように感じる。日本のように「〇〇系」といった系統や、「NGファッション」のように他人を貶めるような言葉に縛られることなく、堂々と個性を活かした着こなしをしているのが素敵で楽しくてずっと見ていられる。

撮影に応じてくれたサリー姿の女性たち

女性たちのサリーの彩りと同じくらいカラフルだったのが、ホーリー祭のカラーパウダーをつけた人たちの顔や髪。道を歩く牛までもがカラフルだったのは笑った。本来はクリシュナ神のお祭りということだけれど、なんだかの音楽フェスのような雰囲気もあり、若い男性たちは爆音で音楽を流しながら道で踊っていたり、バイクに3~4人に立ち乗りし、叫び狂っている。

カラフルな牛さん

最初、私には刺激が強すぎて恐く感じたが、危害を加えてくるわけではないし、しばらく街を歩いていると見慣れてくる。どの文化でもお祭りというものは、本来の神聖さと異常さ(非日常の刹那と狂乱、興奮)の混ざり合ったある意味不気味で独特な雰囲気がある。

ハリドワールの道は狭く、日本だと一方通行になるような幅の道に、車、オートリキシャ、バイク、人、そして牛が行き交う。歩道などない場所が多いので、ただ道沿いに歩きたくてもかなり注意しないと轢かれそうになる。スリや盗難の類よりも交通事故の可能性の方がずっと高いと思う。信号機もなく、道を渡る時はタイミングが難しいので、誰かが渡る瞬間にパッとついていくしかない。

腐ったゴミの山の横に牛が歩いていて、臭いも強烈だけれども、近くにホームレスの人が寝ている。そのすぐ横でなにかテイクアウトしたものを食べている人までいるし、自分の周辺360度で常にすべてがごちゃごちゃガヤガヤと動き回っている。まさにカオス。

とても非日常な異世界がとても楽しかったが、HSPな私には2時間ほどの散歩とショッピングで刺激が限界。お腹も空いてきたが、街でお昼を食べるのはハードルが高く感じたため、いったんホテルに戻り、中のレストランでランチをした。ハリドワールは宗教的な聖地であるため、基本的に出てくる食事はホテルであってもヴィーガン。パニールという、カッテージのようなチーズの入った、トマト系のバターたっぷりなカレー(バターチキンの鶏肉の代わりにチーズ)をいただいた。

部屋に戻ってコーヒーを飲みながらバルコニーの椅子に座り休憩。習慣化している日記を書いたり、ガンジス川沿いに行き交う人々をぼーっと観察していたら、いつの間にかそのまま寝落ちしていた(昨夜ほぼ眠れなかった)。

大好きになったバルコニー

夕暮れ時の儀式

目を覚ますと先程まで強かった太陽の光が少し優しくなり、夕方の爽やかな風が気持ちよく感じる。朝、洗った洗濯物が乾いていたから中に入れた。

17時から毎日行われる、Artiという儀式を見に行こうかなと思い、再び外出。まだ時間があったから、ガンジス川沿いを歩いてみた。沐浴することで有名な川だけれど、私のイメージよりも流れが速く、深さがあり、水量も多い。体格の良い男性たちが、下着1枚で川に備え付けられたロープのようなものを掴みながら、流されないように注意して沐浴していた。流れるプールみたいだ。女性たちは少し人通りの少ない場所で、サリーのままズブズブと川に入り、その後は大きなタオルで身体を隠しながら着替えたりしているようだ。

川で沐浴する人々

私も足の先を少しだけつけてみた。夏の夕方、まだ熱気が残るなか、ひんやりする水が冷たく気持ち良い。全身沐浴する勇気があればなぁと思う。

いつの間にか、昼寝をする前の祭りの狂乱はどこかへ消えてしまい、街の空気には騒ぎの後のけだるさを感じる。先程までカラフルだった人々も消えており、シャワーを落として着替えたのか、さっぱりとした様子でゆったり歩いている姿を見る。

川沿いの道

17時からのArtiの儀式では、仕組みのよく分からない有料席に座るのは嫌だったので(靴を預けて水でびしょびしょの地面を歩き、そこに座ることになるし)、橋の上(本当は禁止だったらしい)から見物することにした。現地の人々に混ざって前から2列目ほどの場所に座っていたら、私の泊まっているホテルの隣の施設に滞在していると思われる中高年女性の団体さん(巡礼?)がやってきて、また例のごとく割り込まれる。こういう時でも隣の人の腕とか脚に触れる距離が普通らしい。気が付いたら5列目くらいの場所にいた。もう動けないし、どうにか見えるし、まあいいや。

どんどん人が集まってくる
儀式直前の川の様子

Artiは火を灯す道具そのものを表す意味も持っているが、神に火を捧げ、聖なるガンジス川に祈りを届けるというヒンドゥー教の宗教的な儀式である。参加者たちは鐘やホラ貝、読経の響くなか、数々の炎が踊り、ゆらめく様子を見ながら、川の持つ浄化作用と聖なる力を得られるということである。

祈りの内容はわからなかったけれど、カラフルなサリーを身に纏ったおばあさん(おばさん)たちと身体をくっつけ合いながらその場にいたことで、私もその儀式の一部になったかのような不思議で神聖な一体感を感じる瞬間になった。

同席したカラフルな女性たち
ここから更にぎゅうぎゅう詰めになった
火の儀式

先程まで祭りの高揚感でいっぱいだった街が、今度は聖なる祈りで満たされている。がちゃがちゃした雰囲気も一瞬消えて、それぞれの人が心の内側に持っている凛とした静けささえ感じることができた。

夜まで大騒ぎの街

儀式が終わると、帰路につく人々の大移動でまた街が動き出した。ホテルに戻るには5分ほどのはずだが、混雑で前に進めない上、また色々な人たちに話しかけられ、写真を取られ、30分ほどかかった。

インドの子どもたちはとても好奇心旺盛であり、私にいろいろなことを聞いて来るが、6歳くらいの女の子に、真面目な面持ちで北朝鮮が好きかどうか聞かれて苦笑した。

神聖な儀式の余韻を感じながら静かに過ごしたかったので、夕食はホテルのルームサービスを注文し、バルコニーに座って食べることにした。今回は野菜のビリヤ二とトマトスープ。ボリュームが凄かったが美味しかった。

結局外の喧騒は絶えずやむこともなく、静けさは到底望めなかったが、五感でインドを感じることのできる貴重な経験であった。

バルコニーの目の前のガンジス川沿いの道では、夜になっても先ほど一緒に儀式を見た団体のような女性のグループが輪になって座り、大きな声で歌(祈り)を歌っていたり、朝からずっと座ったり寝たりしながら2~3分に1回ほど絶叫する女性(病気でどこか痛みがあるホームレスの方?)がいたり、バイクのけたたましいクラクションの音が頻繁に鳴ったり、鈴を鳴らしながら歩き回る人がいたりして、相変わらずのカオスっぷり。

22時過ぎ、寝ようと思い、窓を閉めても様々な音が耳に入ってくる。日本で受ける3か月分くらいの刺激をたった1日で受け取り、脳が完全に覚醒してしまいその日も寝付けそうになかったので、緊急用に持ってきた睡眠導入剤の助けを借りてどうにか寝る。インドにはHSPの人はいないのかなと思う。


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