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射撃の効果音を口ずさむ自衛官、共産党の母

 髭もじゃの真っ黒な大男がいて、夢の中で泣いていた。滂沱の涙を流している。
 意味が分からない。その若い自衛官は、首を傾げながら、宿舎で目を覚ました。
 壁時計を見た。ちょっと早かったが、起床して、訓練に備える。彼は陸上自衛隊北部方面隊、第1〇旅団、第1〇普通科連隊に属していた。駐屯地は北海道だ。札幌近くの真駒内にいる。
 実は、若い自衛官は予備役で、年間5日の訓練義務のために来ていた。だから普段は、札幌の市内で自営業をやっている。雪かき業者で、あとは灯油の仕入れとかやっていた。
 真駒内では、予備役も招集されるのではないか?という噂が流れていた。昨今の世界情勢なら、在り得ない話でもなかったが、まだ若い自衛官は楽観視していた。だが声が掛かるなら、招集には応じるつもりだった。元々、母に辞めさせられただけだ。戻れるなら、戻りたい。
 今日は訓練4日目で、屋内戦闘を模した訓練をやる。紅白で班分けして、家屋を奪い合う。
 「バン!」
 89式5.56mm小銃を構えたその隊員は、射撃の効果音を口で発した。
 「バン!バァン!」
 自衛隊の主力小銃「ハチキュウ」を構え、また別の隊員が、射撃の効果音を口ずさんだ。
 訓練を監督している上官が、鋭く何か発した。発音が独特過ぎて、聞き取れない。専門用語のようだが、意味不明だ。職人とかが使う不明瞭な発音の日本語に似ている。だが撃たれたと思われる隊員が、地面に倒れて、横たわった。被弾して、負傷したという設定らしい。
 若い自衛官も、訓練に参加した。今日も射撃の効果音を口ずさむ。乗ってきた。射撃の効果音を口ずさむ自衛官たちだ。全力で駆け回り、全力で停止する。屋内戦闘の醍醐味だ。
 紅組とばったり鉢合わせたら、その場でお互い小銃を構えて「バババババッ」と早口で叫び合う。そしてお互い、ばったりと倒れるのだ。無論、子供の遊びではない。正規訓練だ。
 装備は全て本物だ。ずっしりとした重さがある。だが小銃には、実弾は入っていない。屋内戦闘の訓練で、実弾を使う訳にはいかないという理由もある。だが模擬弾もない。本当に実弾を撃つ訓練はまた別にやる。だからこんな事をやっている。だが最近は、実弾を撃つ訓練が減ってきた。射撃する事が稀になってきた。とにかく撃たないのだ。ちょっと変だった。
 しかしこのやり方は経費を抑えるため、現場で生まれた智慧だった。旧軍からの伝統で、実は全国的にやっている。あまり大っぴらに言えた事ではないので、国民の皆さんには内緒だ。だが時々、あまりの恥ずかしさに、この機密を外部に漏らす不届き者がいる。厳罰ものだ。
 曰く、陸自はサバゲ―よりケチで、口先だけの戦争ごっこをやっていると。
 だが実弾は高いのだ。経費を抑えたいという要求は常にある。特に今、国会が空転し、来年度の予算が決まらない可能性がある以上、どこの部隊も経費節減に走っている。今年度は、在日米軍の経費も全部負担する事になったので、日本の軍事費はとんでもない事になっていた。
 民間人が河原とかでやっているサバゲ―の方が、幾分マシではないかという声もあったが、やはりそれでもプロの軍隊は違う。たとえ訓練でも、それが口先の射撃音であったとしても、本気度が異なる。あくまで一部の訓練で、小銃を撃った振りをするだけだ。
 米軍も最近、小銃の先端に付けた光学装置で、屋内戦闘の当たり判定をする。訓練用に取り付けた装置が反応して、判定を出すのだ。アナログか、デジタルかの違いだけだ。自衛隊もDX化が進んで、いずれ合衆国の警察や軍隊みたいに、バーチャル訓練になるかもしれない。
 「タマ撃ちたいなぁ」
 若い自衛官は呟いた。もう4日目だ。今回は一発も撃っていない。このまま訓練終了か?
 「……上の方は、戦闘に備えて、タマを溜めているらしいぞ?」
 隣の隊員がそう言った。初耳だった。まさか北海道で、実戦を想定しているのか?
 「だったら余計、実弾で訓練しないとダメじゃないか」
 このまま5日間を終えるのは嫌だった。若い自衛官は色々考え始めた。
 「……今まで一発も撃たないで終えた事はないな。この5日間の訓練は一体何だったんだ?」
 その隊員も言った。彼も年間5日間の訓練で来ている。二人は頷き合った。
 この予備役の年間5日の訓練義務は、国が義務づける年間有給休暇5日取得と、連動しているという噂があった。ただの偶然の一致という意見が大半だが、案外そうでもないかも知れない。日本を戦える国に変えるために、密かに打たれた布石かも知れない。企業は迷惑だったが。
 だが国は、年間有給取得義務5日の件と、予備役の年間5日の訓練義務を矛盾なく重ねた。そこに意味はない。意味はない筈だ。だがこのまま行くと、その5日間の訓練でさえ、一発も実弾を撃たないで終わってしまう。何のための5日間か?有休消化のための5日間か?
 「タマを撃たせて下さい!」
 5日目、若い自衛官は同じ班員と連れ立って、上官に訴えた。
 「ダメだ!ダメだ!ダメだ!余分なタマはない!」
 上官は叫んでいた。驚いた。そこまで経費を節減しないとダメなのか。
 「タマは一切無駄使いしません!一発、一発数え上げます!」
 若い自衛官は言った。小銃を撃つ毎に数字を叫ぶ。旧軍からのアレだ。日本人は数え上げる、読み上げるのが大好きだ。レジ打ちの読み上げから、小銃の発射まで。物は大切に。
 「いいか。今は非常時だ。何があるか分からん。だから上も備えている」
 上官は穏やかに言った。諭そうとしている。本当に何かあるのか?これはちょっと期待した。
 5日目の午後、上官から食堂に集まるように指示があった。何やら、国から重大な発表があると言う。隊員は全員テレビ前に集合という事になった。予備役も同じ指示だった。
 海上自衛隊の護衛隊群が一個喪失していた。政府から発表があり、衝撃が走った。そしてウラジオストクから、ミストラル級強襲揚陸艦が二隻、出港したと報じている。これは何だ?
 その内閣総理大臣は、マスコミに向かって、穏やかに答えていた。
 「……ええ、ですから、自衛隊は戦力ではございませんので、外国とは戦争を行いません。これは皆様が御存じの通りです。憲法です。我が国は、陸・海・空の戦力を保持しない」
 そんな事は言われなくても分かっている。だがなぜ今、このタイミングで言うのか?食堂には怒りの渦が発生していた。隊員たちの心から発せられる。声が上がった。
 「俺たちが戦力でないって、どういう事よ?何のための訓練だ?」
 「……だから口先で、射撃音を呟かされていたのか?」
 「戦力ではないから、小銃を構えて、射撃音を呟けと?」
 「……書類上は訓練した事になるからな。タマは一発も撃たないが」
 「お役所か?」
 「……いや、俺たち公務員だし、まさにお役所さ。どんな戦闘でも、死ねば殉職扱いだ」
 「二階級特進はするぞ。警察官と同じ扱いだ」
 「……そもそも自衛官って、警察官・消防士の延長線上の存在なのか?」
 食堂はざわついていた。上官たちも特に止めなかった。だが不意に、全員が敬礼の姿勢を取る。連隊長が食堂に入って来た。皆、何事かと思ったが、連隊長は皆の顔を見て言った。
 「道知事の要請で、北部方面隊は決断した。我が連隊も出動する――」
 二隻のミストラル級強襲揚陸艦が、北海道に迫っている。これに対する対応か?
 「――ついては、予備役も招集する。復帰可能な者は名乗りを上げよ」
 通常の手順と全く異なる。これはおかしい。だが誰もそんな事は気にしなかった。これは明らかに戦闘を想定している。しかも短期間に起きると考えている。若い自衛官も挙手した。
 その場で、若い自衛官は上官から赤い紙を貰った。見た事がない。急ごしらえの書類だ。とりあえず、5日間の訓練は終わり、一度自宅に帰って、再度、基地に戻る事になった。
 「……非常招集が来た。明日から原隊に復帰するよ。母さん」
 若い自衛官は、母に招集令状を見せた。まさか本当に、こんな日が来るなんて。だが嬉しい。
 「戦争に行って、人を殺すなんてとんでもない。直ちに辞めなさい」
 母は言った。テレビを見ていたらしい。今、どこの家でも騒ぎになっている。
 「……人を殺しに行くんじゃない。人を守りに行くんだよ。北海道を守るんだ」
 母は泣きそうだった。その手には岩波文庫の『日本国憲法』が握られている。付箋だらけだ。
 「何て情けない子だろう。皆そう言って、戦争に行くんだよ。そんな事も分からないのかい?」
 母は泣き崩れた。若い自衛官は黙って立っている。
 「日本は絶対二度と戦争をやってはいけないよ。これは国際社会との大切な約束だよ」
 「……でも母さん、これは国防だよ。戦わないと守れない時もある」
 「国連があるじゃない。憲法9条があるじゃない。国際社会はきっと支援してくれる筈」
 それはある種の夢だ。戦後、日本が走った軽武装・重経済という方針のための言い訳だ。
 「日本は先の大戦で大変な事をした。外交が暴走し、ちょび髭の独裁者と手を組んで、国際社会の敵になってしまった。二度とあんな事をしてはいけない。だから戦争は絶対にダメ」
 「……別に外国に侵略しに行く訳じゃない。あくまで守るだけだ。別途、外交・交渉もやる」
 今も二隻の強襲揚陸艦が近付いている。少なくとも、押し返さないといけない。
 「だからそのための国連よ。じっくりと話し合えばいいじゃない。解決しない問題はない」
 国連は機能しない。いつものアレだ。お互い拒否権を投げ合って終了する。因みに日本は拒否権もない。常任理事国でもないからだ。非常任理事国とは何か?ただのにぎやかしか?
 「……じゃあ、家に強盗が来たら、どうするのさ」
 「警察を呼ぶよ」
 「……外国の軍隊が来たら、どうするのさ」
 「国連を呼ぶよ。国際社会に訴えるよ。憲法9条を唱えるよ」
 「……そんなに憲法9条が大切?そんなに日本国憲法に価値があるの?」
 アレは法律を勉強した若いアメリカ人たちが集められて、短期間で作ったものに過ぎない。
 「ああ、これより尊い教えはないよ。日本はもう戦わない。戦ってはいけないんだよ」
 昔、自宅で戦艦大和のプラモデルを作った事がある。TAMIYAの1/350だ。75cmもある。筆塗りで塗装した。だが速攻で母に捨てられた。とんでもない事だったらしい。教育方針を間違えたと言っていた。もっと平和で、戦わない、穏やかな子を望んでいたらしい。
 若い自衛官の母は共産党だった。毎朝、仏壇の前で、日本国憲法を唱えている。特に9条は、彼女の中では、一種のお経と化していた。だが無神論者である筈の共産党員が、神仏に祈る行為を、どう内部処理しているのか謎だった。そもそも憲法9条はお経ではない。偽経か。だが彼女は日本人だったから、そんな細かい事は、気にしていないかも知れない。日本特有のシンクレティズムで、様々な様式が折り重なって、現在の姿が出来上がったのかも知れない。だから9条を唱えた後、近所に機関紙を配る姿は、宗教活動と大差がない。共産党はアヘンだ。
 これが、射撃の効果音を口ずさむ自衛官、共産党の母の物語だ。
 「人殺し!何て情けない子だろう!そんな子に育てた覚えはないよ!」
 母は最後までそう言っていた。筋を曲げない人だった。無論、子も筋は曲げない。
 若い自衛官が原隊に復帰すると、早速移動が開始された。早くも隊内で、戦闘に備えてか、異変が起きていた。なぜか階級の呼称が、旧軍のそれになっていた。北部方面隊まで、戦力自衛隊という呼称を使い始めていた。これは異常事態だった。だが異論を唱える者は少ない。
 若い自衛官は思った。そもそも、自衛隊という呼称自体、腰が入っていない。逃げがある。だから国際基準に合わせて、アーミーと名乗るべきだし、階級呼称もそれに合わせるべきだ。だが今はまだその時期ではない。射撃の効果音を口ずさむ自衛官たち、戦力自衛隊の誕生だ。
 ふと、今朝見た夢は、一体どういう意味だったのだろうと、若い自衛官は思った。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード81

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