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長安の秋、鑑真の秋

 その平舟の底は、異空間だった。
 盲目の僧と、楊貴妃が対峙している。
 753年、第12次遣唐使第二船、帰りの船の中だ。
 鑑真、時に65歳。不動の精神がそこにあった。実に六回目の渡航だ。
 「……呉越同舟とはこの事かえ?」
 その楊貴妃は、扇で口許を隠して微笑んだ。膨大な妖気が立ち上る。
 「幻術か」
 嵐の平舟の底の筈だった。だがここは唐の長安、しかも宮城の中だ。
 「……なれ合いは好まぬ故――」
 楊貴妃は、ぴしゃりと扇を閉じると突如、左手で電撃を放って来た。
 「――死んで下さいまし!」
 だが鑑真は錫杖で、見事に受け流して、アースした。
 「……流石に法力は高いようで」
 紫電が床で散る。楊貴妃は扇を口許に当てて、微笑んでいた。
 「不惜身命。日本に渡るまで、私は死なない」
 魔との戦闘経験は豊富だ。駆け出しの修行僧ではない。
 「……剛の者ですか。では柔らかく行きましょう」
 不意に違和感を覚えた。手足、身体がおかしい。自分でないようだ。
 「……よい月が出ております」
 静かな夜だった。満月の光が、二人を照らしていた。
 「……ああ、今宵は何を語らいましょう」
 気が付いたら、玄宗になっていた。楊貴妃が目前に迫る。
 「九尾の狐だな」
 鑑真が喝破すると、楊貴妃がドロンと消えて金毛九尾の妖狐が現われた。
 「……いけずなお人。たぶらかしがいがない」
 九尾の狐は口を尖らせて、不満そうだった。ちょっと可愛い。
 「妖魔如きに遅れは取らない」
 鑑真は錫杖を構えると、素早くZの形で、印を切り始めた。
 「……可哀想なお人。そなたの旅は、最澄という僧が台無しにする」
 九尾の狐がそう言うと、鑑真は祓う手を止めた。
 「……わらわは悪魔ではない故、未来が分かる」
 悪魔は未来が分からない。だが妖魔は別だ。未来が分かる。
 不意に未来のビジョンが、脳裡に展開された。
 鑑真の死後、最澄が現われて、受戒の手順を省略するため唐に渡る。
 「……だから、日本に行っても無駄なのよ。諦めなさい」
 自分が日本で教えた弟子までが、最澄と共に唐に渡っている。
 「……受戒しに日本に行くのでしょう?でも彼らは望んでいない」
 だが朝廷から、私度僧の問題を解決するために、日本に呼ばれた。
 「それでも私は行く。何ぞ身命を惜しまん!」
 鑑真は錫杖をシャリーンと突いて、幻影を打ち払った。
 「……呆れた。馬鹿なの?これを見なさい」
 また風景が変わった。唐ではない。どこか?
 「……これが日本よ。ちょっと未来の世界だけど」
 そこは日本の宮廷のようだった。上皇がいて、女官がいる。
 女官は、異様にちやほやされていた。ふさふさとした狐の尾が見える。
 玉藻前(たまものまえ)(注149)と言った。上皇の寵姫だ。
 「……宗教なんてすぐ堕落する。一目瞭然」
 上皇は女官を抱いていた。袈裟を着た法皇であるにもかかわらず。
 「不惜身命。それでも私は日本に行く」
 鑑真は錫杖をシャリーンと突いて、再び幻影を打ち払った。
 「……これはほぼ確定の未来。なぜ無駄な事を?」
 「一切都是必然」
 鑑真が日本に行かなければ、この未来もまたない。
 故にこの未来は、鑑真が日本に行く事を前提に、成り立っている。
 「……でもこの有様。堕落」
 「その先がある。未来の日本がある。仏国土が見える。故に私は行く」
 鑑真の眼差しはどこまでも透徹していた。千年先、二千年先の眼差しだ。
 「仏法のため、真理のため、何ぞ身命を惜しまん!」
 鑑真が大喝一声すると、不意に周囲が大きく揺れた。
 平船の舟底だった。遣唐使だ。幻影が破れて、元に戻った。
 「……剛の者、好きになさい――それよりも」
 十二単を来た女官は、視線を転じた。
 「――この嵐を乗り切らないと、船が沈む」
 大波を被ったのか、船が大きく揺れた。
 「……まさに呉越同舟。仕方ない」
 怪しげな陽炎が立ち上る。九尾の狐は、妖力を高めた。
 鑑真は、その場に結跏趺坐(けっかふざ)すると、瞑目した。
 金毛九尾の妖狐は、妖力を使い始めた。この舟を日本に渡らせるためだ。
 嵐は酷かった。鑑真は瞑想し、妖狐は平舟を守った。
 そして鑑真は753年、六回目の航海で、念願の日本に辿り着く。
 両目は、もう殆ど見えなくなっていた。妖狐も何処に立ち去った。
 754年、平安京で、鑑真は、最晩年の聖武天皇(注150)と面会した。
 聖武天皇は直ちに受戒して出家し、最初の上皇となった。
 とうとう日本の天皇が、仏弟子になったのである。外国の宗教だ。
 朝廷の公卿たちは大騒ぎした。日本神道の敗北と捉えた。
 だがこの事は、聖徳太子の飛鳥時代から、予測された事だった。
 民族神は仏より下位存在である。より上位存在の仏を信じるのは当然だ。
 
 事の始まりは、733年にまで遡る。第10次遣唐使だ。
 日本では、税金逃れの出家僧、私度僧の問題が起きていた。
 僧の授戒には、少なくとも、三師七証の十人の僧を必要とした。
 だが日本では、省略化の流れが起きていた。改めなければならない。
 栄叡(ようえい)(注151)、普照(ふしょう)(注152)は、伝戒の師を求めた。入唐していたインド僧ボーディセーナ(注153)を説得して、日本に連れて行った。彼は梵字(サンスクリット語)を教え、奈良の大仏の開眼式の導師まで務めた。
 平安時代、7~8世紀の日本には、インド人、ペルシア人がいた。国際的だ。ただこれでも足りなかったので、二人は鑑真にも声を掛けた。時に742年である。
 「誰か行く者はいないか?」
 揚州大明寺の住職であった鑑真が、周囲の弟子たちに尋ねた。
 誰も手を挙げる者はいなかった。むしろ渡海の危険性について語った。
 「何ぞ身命を惜しまん!」
 鑑真は大喝した。そして渡航の決意を猛然と語った。
 だがそれからの12年間が大変だった。とにかく弟子が師の足を引っ張る。
 一回目の渡航は、弟子の密告によって、当局の圧力で潰された。
 二回目の渡航は、船で航海に出たが、激しい嵐に遭い、唐に流された。
 三回目の渡航は、鑑真を惜しむ者の密告で、栄叡が当局に逮捕された。
 四回目の渡航は、弟子が鑑真の体調を気遣って、当局に訴えて止めた。
 五回目の渡航は、船が台湾よりさらに南、海南島に行ってしまった。
 鑑真は海南島に一年滞在し、数多くの足跡を残した。今でも寺がある。
 海南島からの帰路、珍事が起きた。鑑真もヤケを起したのかもしれない。
 急に揚州からインドに行くと言い出したのだ。弟子たちが止めた。
 この間、水先案内人だった栄叡が死去し、鑑真の目も見えなくなった。
 だが753年、明州にいた鑑真に、遣唐使の大使が来て、渡日を約束した。
 しかしここで意外な人物が現れる。唐の皇帝、玄宗だ。
 鑑真の仏像を彫る才能を惜しんで、渡海を許さず、阻止に回った。
 やむを得ず、遣唐大使、藤原清河(注154)は、鑑真の乗船を拒否した。
 遣唐副使、大伴古麻呂(注155)が、密かに第二船に鑑真を乗せた。
 753年、帰りの第12回遣唐使は、運命的だった。
 第一船の阿倍仲麻呂は流され、第二船の鑑真は日本に辿り着いた。
 日本史は、陰陽師の祖より、仏教の興進を選んだ。六回目の渡航だった。

 晩年、奈良の唐招提寺で、鑑真は義真と中国語で話をしていた。
 義真は鑑真の弟子であり、後に最澄の通訳僧となって、唐に渡る。
 鑑真は、受戒の手順を尊重し、最澄は受戒の手順を省略する。
 義真は異なる二師に仕えている。だがこの時は運命を知らない。
 「……お師匠様、何で私にばかり中国語を教えるのですか?」
 義真が不満を言うと、鑑真は答えた。
 「遠い未来のためだ。お前は唐に行き、日本に帰って来る」
 義真は沈黙した。唐に渡るのは良い。折角の語学を生かしたい。
 「……だが今の処、入唐する理由がございませぬ」
 「時が来れば分かる」
 鑑真は静かに言った。妖狐が見せた映像が鮮やかに蘇る。
 第二船に乗る時見た、753年11月の秋月が忘れられなかった。
 それが長安の秋、鑑真の秋だった。秋の空の雲が美しくたなびいていた。
 
 注149 藤原得子(ふじわらのとくし)(1117~1160年)がモデルとされる。
    鳥羽天皇の皇后
 注150 聖武天皇(701~756年) 
    天然痘流行後、国分寺、奈良の大仏を建立した。
 注151 栄叡(ようえい)(不明~749年) 僧 日本→唐
 注152 普照(ふしょう)(生没年不詳) 僧 日本→唐→日本
 注153 ボーディセーナ(704~760年) 僧 南インド→ヒマラヤ→唐→日本
 注154 藤原清河(ふじわらのきよかわ)(生没年不詳) 
    第12次遣唐大使 日本→唐
 注155 大伴古麻呂(おおとものこまろ)(不明~757年)
    第12次遣唐副使 日本→唐→日本 

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺034

大唐の夢 5/5話 大唐の夢、傾国の狐

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