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長安の冬、朝衡の冬

 「日本に帰りたい」
 その初老の男は、そう言った。
 「……帰ればいいじゃないですか」
 女の童は答えた。他の人に、彼女の姿は見えない。
 「もう歳だ。航海に耐えられそうにない」
 その男は、苦しそうにそう言った。57歳だった。
 「……そうなのですか?まだ元気そうに見えますが?」
 「船が流されて失敗した。あんなのはもう二度と御免だ」
 すでに一度航海している。帰りの遣唐使だ。
 「……私が安全に送りましょうか?」
 女の童は言った。どんな旅でも道案内できる。
 「本当か?そんな事ができるのか?」
 その男は、朝衡(ちょうこう)と言った。唐の官吏だ。
 「……長安から奈良までどれくらいありますか?」
 「分からない。来る時、半年かかった」
 18,000km以上ある。飛行機でも6時間だ。
 「……海があるから?大秦国より遠いですね」
 女の童は漢の時代、ローマまで旅している。
 「大秦国?西域の果てか?」
 女の童は頷いた。シルクロードをキャラバンした。
 「私は日本に帰りたい」
 深く嘆息した。755年、長安の冬、朝衡の冬だった。

 716年、第9次遣唐使の留学生として、唐の長安に来た。
 阿倍仲麻呂(注128)、19歳の春だ。唐名を朝衡と言う。
 主に経書と史書を学んだ。他に天文学、音楽、兵学も学んだ。
 同期に、吉備真備(注129)と、僧の玄昉(注130)がいる。
 734年、第10次遣唐使の帰還に伴って、735年、二人は先に帰国した。
 この時、一緒に帰れば良かったが、唐で出世を期待して留まった。
 同期の二人は、日本の朝廷で昇進を重ねたが、乱が起きて、左遷された。
 だが吉備真備は752年、第12次遣唐使の副使として再入唐した。
 「……帰らないのか?」
 吉備真備は尋ねた。長安、西市の酒家の二階だ。
 「陛下の許しを得ないとな」
 阿倍仲麻呂は曖昧に答えた。最後の機会だった。
 「……今帰らないと、次いつ来るか分からないぞ?」
 「それは分かっている」
 楽師が弦楽器を鳴らし、胡姫が舞っていた。
 ソグディアナ風だ。胡姫の貌(かお)は、花のようだった。
 遠く西域(さいいき)の香りがする。酒も白葡萄酒だ。
 「……陛下に重用されているな」
 吉備真備がそう言うと、阿倍仲麻呂は苦笑した。
 正月の挨拶の席次で、新羅と揉めた。753年、年始の話だ。
 結局、玄宗(注131)への朝賀は、東では日本が一番となった。
 これは阿倍仲麻呂の功績によるところが大きい。
 「だが今度ばかりは、帰らせてもらう」
 もう55歳だ。最後のチャンスとなる。
 「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」(注132)
 和歌まで詠んだ。唐の友人たちと別れを告げた。玄宗の許可も得た。
 「銜命還国作」という皇帝の命令で、日本に帰国する文章も作成した。
 だが今回、鑑真(注133)という僧も来る事になった。五回も失敗している。
 嫌な予感がした。鑑真は密かに、第二船に乗る事になっている。
 阿倍仲麻呂は第一船、吉備真備は第三船だ。第四船はその他大勢だ。
 753年、第12次遣唐使の帰国は第二船と第三船のみで第四船は行方不明。
 第一船は、沖縄まで行ったが、座礁して、北ベトナム経由で唐に帰った。
 
 755年、阿倍仲麻呂はやっとの事で、長安に帰ると、乱が起きていた。
 安史の乱である。節度使の安禄山(注134)が、反旗を翻した。
 安禄山はソグド人で一説にはその名はアレクサンドロスの音写だと言う。
 かなり太った武将で、上半身裸でよく踊っている姿を、宮廷で見た。
 なぜか楊貴妃(注135)の義理の息子となっていて、気持ち悪い感じがした。
 どう考えても、楊貴妃と安禄山の関係は異常だった。悪い噂が立った。
 楊貴妃は、義理の母だが、息子の安禄山より、16歳も若かった。
 楊貴妃と安禄山で、玄宗を追い落とそうとしたのかも知れない。
 だが玄宗は、楊貴妃を疑わず、乱が起きると、長安から落ち延びた。
 阿倍仲麻呂は、楊貴妃が殺された馬嵬駅の悲劇まで付き合わされた。
 ハッキリ言って関係ない。迷惑だ。やむを得ず、同行しただけだ。
 だが後世、『長恨歌』で、比翼の鳥が歌われるなど、話題になった。
 当事者として、現場にいた阿倍仲麻呂としては、辟易しただけだった。
 玄宗と楊貴妃は、大恋愛したと言われるが、ただの醜聞だろう。
 盛唐は終焉を迎え、757年に安禄山は死んだが、唐の領土は縮小した。
 だがそれ以前に、751年タラス河畔の戦いでアッバース朝に敗れている。
 唐は玄宗の代で、潰えた。大唐の夢は、楊貴妃と共に消えた。
 こんな結末になるなら、さっさと日本に帰ればよかったと思う。
 
 770年1月、安南(北ベトナム)の節度使の任務を終え、長安に帰った。
 結局、玄宗→粛宗→代宗と三代の皇帝に仕えた。軍司令にまでなった。
 阿倍仲麻呂は事実上、唐の官吏、朝衡として、生きたと言ってもいい。
 だが阿倍仲麻呂は、日本を求めていた。帰りたい。帰りたくて仕方ない。
 「第二船と第三船は、日本に帰ったと言うが、秘密がある」
 阿倍仲麻呂は妓楼で花茶を飲みながら言った。女の童がお相伴を預かる。
 「……12回目の遣唐使の件ですか?」
 痛恨の753年だ。第12次遣唐使の帰国だ。阿倍仲麻呂は第一船だった。
 「ああ、そうだ。第三船の吉備真備は、お守りを持っていた」
 「……お守り?」
 女の童は首を傾げた。今夜は月が出ている。美しい。
 「仏像だよ。あとお経か。それから道教の秘密の経典を持ち帰った」
 吉備真備は陰陽道の祖となる。安倍晴明は阿倍仲麻呂の子孫とされる。
 「実は第二船には、九尾の狐も乗っていた。奴は楊貴妃を見限った」
 女の童は鋭く反応した。アレは妖魔だ。不俱戴天の仇だ。
 「……なぜ九尾の狐が乗っていたのですか?」
 「鑑真だよ。僧をたぶらかそうとしたのだろう」
 阿倍仲麻呂がそう答えると、女の童は頷いた。さもありなん。
 「だが九尾の狐のお陰で、鑑真は日本に渡れた訳だ」
 九尾の狐も、船が沈んでは叶わないので、妖力で船を守ったらしい。
 「皮肉な話だよ。全く。私も第二船か第三船に乗れば良かった」
 花茶に口を付けた。なぜ帰れなかったのか?誰かに呪われたか?
 
 「……どうぞ、こちらへ、日本まで案内します」
 女の童が手を取ると、阿倍仲麻呂はふわりと宙に浮いた。
 「私は死んだのか?」
 寝台の上に横たわる、自分の肉体を見下ろした。
 「……そうです。あの世に帰る前に、日本に行きましょう」
 唐で作った家族の者が泣いている。自分の姿は見えていない。
 「そうだな。魂だけとなれば、帰れるか」
 阿倍仲麻呂は、それくらいの認識はあった。霊力もあった。
 「……飛ばしますよ。手を離さないで下さい」
 一瞬で、吉野の里まで来た。桜は咲いていない。季節は冬だ。
 「ああ、日本だ。夢にまで見た日本だ」
 はらはらと涙が落ちる。阿倍仲麻呂は泣いていた。
 「私は、私は……もっと早く……帰りたかった」
 唐での53年間は一体何だったのか?生きてこの土を踏みたかった。
 「……私ができる事はこれくらいですが、気が晴れましたか?」
 女の童がそう言うと、阿倍仲麻呂は顔をくしゃくしゃにして頷いた。
 「……冬の里もまたよいですね。見渡す限り雪景色です」
 死んで魂魄と成り果てても涙は出る。不思議だ。
 「ああ、私は帰って来た。やっと帰って来た」
 冬の大雪原だった。しんしんと雪が降り積もる。
 「……冷たくて気持ちいいですね。雪になりそう」
 女の童は、雪の精霊のように宙を舞った。
 「私自身が、この冬の大雪原になれたらいいのに」
 阿倍仲麻呂は言った。この風景そのものになりたい。
 それが死んで日本に帰った男の魂だった。
 
 注128 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)(698~770年) 官吏 日本→唐
 注129 吉備真備(きびのまきび)(695~775年) 官吏 日本→唐→日本
 注130 玄昉(げんぼう)(不明~746年) 僧侶 日本→唐→日本
 注131 玄宗(げんそう)(712~756年) 唐の第九代皇帝
 注132 百人一首
 注133 鑑真(がんじん)(688~763年) 僧侶 唐→日本 753年来日。
 注134 安禄山(あんろくさん)(703~757年) 節度使  757年大燕皇帝
 注135 楊貴妃(ようきひ)(719~756年) 玄宗の妃 傾国の美女として有名。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺031

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