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「Vegan(ヴィーガン)」と「肉を食わない」の違い。

毎度他人のふんどしでソースを得ているYahoo!ニュースを読んでいると、アメリカでヴィーガンだった女性が、肉を食べ始めたら、それまでの疾患や自身の大腸炎が治ったという記事。きっとある筋からその元ソース屋さんにお金が出たのでしょう。個人的には「おっ、そこまで広告に困り始めたか!?Yahoo!JAPAN(笑)」と思った訳であります。政府や企業の損益になるようなネタは自社の損益となるために載せないいち企業のサイトのYahoo! JAPAN なので、真偽も含めそこはストレートに読まないのがYahoo!ニュースを読むお作法であります(苦)。

さて、この手のネタもそうですが、なぜか『ヴィーガン』というモノは一種の圧力団体、政治結社のように扱われ、まるで目だけ開いている白い三角頭巾を頭から被った人々ばかりが在籍しているような集まりみたいに肉を食わないボク自身までもが頭に浮かんでしまいます(苦)。
しかもボクの知らないひと、いろいろな話だけに出てくるヴィーガンの方々というものは、自分だけが正しく、頑なまでに対立構造を作り出そうとしているようにしか表現されていません。そして実際に動物愛護クラファンやっても無関心なヴィーガンを名乗っている人物、闘争本能剥き出しに争いを始める方もヴィーガン、根も葉もない噂話を広めようとして蹴落とすのはヴィーガンの方という情報しか入って来ない。日本のヴィーガニズムってなんなん!?という目に見えない人々だったりしております(苦)

「肉を食うな」vs「植物だって生きている」

Twitterなどでもなんども見るこの論争、しかし「あんたらバカなの!?」といつも思って眺めています。だってこの論争、お互いに言っていることの接点がひとつもないことに気がついていない!?のです。ヴィーガンの方の「肉を食うな!」というひとに対抗するならば「植物だって生きている(から食うな!)」ではなく、「水も電気も、そもそも道路工事も動物に危害を加えて作られたりして得ているのだから、お前自身は何ひとつとして食すな生活するな生きていくな!」が筋ではないでしょうか!?。
ボクにとってこれらの対決、実はヴィーガンか否かではなく、「雲か霞だけ食し、雨水を口にし、ほかは何も食わない人」vs「なんでも食う人、牛も豚も鶏も犬も猫も人間も分け隔てなく。そして勿論健康の為に植物だって食う人」という対決の方が正しい気がしてなりません。

しかし肉食者からもよく非難される(であろう)中国、韓国の犬肉食、実際には日本でも普通に動物肉を食べている人は知らず知らずのうちに犬猫肉を食べているということを肉を食べる立場の人として、必ず知るべきなのです。それは調べたら輸入品の記録からも読むことが出来ます。ですのでお肉大好きの方は、ネズミやミミズいろいろ含めて知らぬが仏のなんの肉でも美味しく食べている方なので、せっかくならば人間肉も食べてしまえばいいじゃないでしょうか!?というご提案をさせて頂きたいのです。なぜ食べないのでしょうか?、食べてみようと努力をしないのでしょうか?! ザクロの味がするらしいのですぜ!確かめてくれませんか!?(苦)。

倫理的!?それが犯罪になってしまうから食わないのですか?! 大丈夫、大丈夫、刑法190条を中心としたあやふやな日本の法律の隙間を突いていけば真面目に食べれますから(爆)。映画業界の映倫みたいに、肉倫という団体が出来て、そこが認めた人肉ならば食べたいですか?
しかしね、肉を食べる方は有無も許さずすでに食べてしまっているかもしれません(苦)。ただ残念なことに、食べる相手は直接には選べないけれども、すでにあなたが買って来たその食材にもすでに入っているかもしれないですよ(笑)。そこで成立する完全犯罪に関与しているかもだったりしてますよ(爆)

合法で牛や豚、鶏や羊、馬を殺すことと違法としてひとを殺すことの違いがボクにはあまり良く理解できません。合法として戦争の産物として出た遺体や犯罪者として裁かれた者を殺して食べた場合は良いのでしょうかね!?・・・苦

また脱線し始めましたが、ヴィーガン(Vegan)の名前の由来はべジタリアン(vegetarian)のvegan、頭とお尻から採ったモノらしいです。しかし本来ヴィーガンとは食事のことだけではなく『人間による動物からの搾取に抗議し、動物性食品(動物由来の食品)一切を退ける=食べないこと、および、そのような主義をもつ人のことである』とされてはおります。そもそもこの造語ができた1944年の背景とか協会とか考え方とか知れば知るほどそれこそ前出の宗教や団体みたいなものに感じてしまいます。これまでもいろいろな「協会」というものの本性や中の人々はどんな人かを体験して来たボク自身だからこそ個人的に毛嫌いしてしまうのでしょうかねぇ(苦)。

そもそもこのヴィーガン、よく一般的に出回っている討論の主人公になっているものは牛、豚、鶏を中心に動物を殺すな!食うなというもの、肉食からすると「押し付けるな」ですよね。しかし調べるとヴィーガンは3種類から成り立っているようです。
「ダイエタリービーガン(dietary vegan)」という健康志向の肉を食べる食べないだけの問題(考え)のひと。そして最近増えているのか日本でも知られるようになった「エンバイロメンタルビーガン(environmental vegan)」という畜産動物が地球環境を破壊している、畜産をなくして環境改善しようというひと(考え)、牛のゲップがぁーというやつ。そしてこれはほとんどの反対派はないであろう犬かわいいね、猫かわいいね、馬かわいいねとともに保護犬、保護猫活動も含まれる動物愛護系の「エシカルヴィーガン(ethical vegan)」。じつは昨今大企業が金儲けのために政治と組んでやってるマーケティングSDGsにもこのエシカルは入っているのです。だからなのか?というネタもありますが、ただそしてここに加わる論争の「牛や豚、鶏を殺すな!」ではあります。ただどうしても牛豚鶏羊、うさぎやら犬や猫の違いがわからない方々は「植物も命ガァー」という話になっちゃうのかもあまりにも低レベルで読ませて頂いている身としては残念なのです。

こんな風にヴィーガンと括ってはみてもそれぞれ違うし、日本古来の食生活は欧州のそれとはそれはまったく違うところにあったし、肉など食べない時代から黒船、そしてGHQによって入ってきた外来の食文化、肉食、無理からの脱脂粉乳=牛乳によって変えられてきました。だから日本人同士でのこの論争は成立しないのも当たり前なのかも知れません(苦)。

是非一度ヴィーガンってなんなん!?と読んでみて下さい。

「髪の毛生やすのに髪の毛は食べない」

ただいろいろと問題なのは、そんな独特の素晴らしい食文化を持っていた日本人ではありますが、SNSという匿名の責任を持たない世界が出来てしまい、もう一人の自分が好き勝手にヴァーチャル空間で生きれるという勘違いを得て、理性?自分自身そのものを無くしてしまった人としてのモノが、自ら知識のない中で新しい知識や学びをする意思もなく、おバカアピールをしてしまうことで議論を軽くしてしまっております(長い!笑)

ボク自身も以前から動物は好きでしたが、悪気も後ろめたさもためらいもなく動物園にも水族館にも行きました。肉も普通に食べておりましたが、きっかけとなった伴侶から実際に知識を授かり、それを元に情報も習得し、学びも得てみてからというものは頭を使って考えるようにもなり、動物園や水族館には行かなくなりました。そしてペットショップへの認識も変わりました。肉を食べなくなるのは強制でもなく自らでしたが、食べなくなってみると肉を食べるそれ自体は義務や権利ではなく、特に食べたいものでもなかった動物の死体であったと気付きました(爆)。
もともとボク自身はそこまで望んでまで肉好きでもなかったために「肉食べたい」という女子が肉を食べない女子に変わっただけのこと(自爆)。もしくは安く一人で食事を済ませるために行っていたクズ肉のお店や大衆食堂さんでのクズ肉料理を選ばなくなったことくらいでした。当時はその肉も栄養として食べているつもりでしたが、それこそが育ったままの知識というか、自分の噛み切れない歯の作りでわかるべきであったこと、目から鱗の知識、気付きは伴侶からでした。

「タンパク質を得るのにタンパク質を食べるというのは、髪の毛を生やすのに髪の毛を食べるということ」
こんな名言が吐けるうちの奥様は天才です!

実際に肉を食べなくなって気がついたことは、日本で一番安い食事、エンゲル係数を下げる食事は必ずと言って良いくらいに選択が肉食になるということ。しかもボクのnote原稿でもよく出てくる「和牛券」でもわかるように、政治家癒着が凄いのが畜産業、要するに自分の命は差し出せない汚い奴らが牛、豚、鶏の命を奪い、利益多大で保護されている実態であったということ。賞味期限切れた肉をエサとして動物に与え、それをまた肉にして・・・繰り返すか、運良くどこかでひとに食わせて利益になるかの食品業界。いろいろな業界筋の力が働いていた一昔前、伴侶に出会う前はこんなことすら情報としてでも出て来ませんでした。しかし今ではSNSの台頭とテレビ局衰退でパワーバランスも崩れ、畜産業界やペットショップ業界の裏が明らかになったりするようになって少しずつではありますが、出てくるようになってきております。

しかしこれまたおバカキャラなのか、その筋からの利権絡みな利益を供与してもらっているのか、反対のいろいろ事なる虚偽情報を主張される方々も確実に台頭しています。何が正しくて何が間違っているかは月日の経過とともに明らかになりますが、こと健康問題に関しては、その時になってしまったら遅かったということになります。昨今のお注射問題もそこに含まれてますが、事実癌は確実に増えています。ですので、自分の知識、認識、学びを吟味しながら行動、実行するべきことが重要だと思います。

過激環境保護団体、過激ヴィーガン、過激なんとかとともに陰謀論、陰謀論だと叫ぶ奴ら、皆どこからかの利権で動いていると思っても過言はないと思います。「何かの出来事の裏では何かが確実に動いている」要するに自分がそれまで生きて来た中での得て来た知識、経験は何事にも変えがたく、そしてその中で得て来た人材もまた同じくです。肩書きがヴィーガンであろうが、そんな肩書きを世間に主張しなくても「動物を愛し肉も食わない」ということは出来ます。少なくともそれはそれで良いと思います。健康のために肉を食わない菜食主義の生活をしているひとが、街中で連れられている犬、繋がれている犬を蹴って歩くでしょうか!? 答えは言うまでもありませんが、犬や猫をペットとして飼っているひとが牛や豚、鶏やうさぎ、馬、羊、そして知らず知らずのうちに犬猫の肉まで食べていると言うことはどう言うことかも考えなければいけないと思います。それは動物愛護とかではなく、考えないと人間の肉を食べると言うことでもあるからです(極論すぎる!?w)

『動物』って、「動く物(もの)」、物扱いだと批判して言うひとがいます。しかし『人物』ってひとの形をした物(もの)、何が違うのだろう。

昔の世界情勢はどうあれ、つい最近でも「北朝鮮では食糧不足になり、ひとまで食っていた」という話もあります。突き詰めると一番安く食事をするには動物より安く食うには人を食うということに結論づけられてしまうのはないでしょうか。でもその倫理観を出す前にボクら日本人、日本国に暮らす人々は、他の世界の国々に比べて緩い食品添加物問題、農薬問題というものが存在しています。マクドナルドに代表される腐らないものを食べている日本人は死んでも腐らないから保存食としては最適なのかも知れません(添加物に関しては長くなるので別に書きます・苦)。

「肉を食いたいから食う」というひとの話もよく聞きます。

しかし「動物を食わないということは、生きている植物を食う代わりに人間自身を食わないと言うこと」ではないでしょうか。

いや、是非肉好きなあなた自身はひとも食べてみて下さい。肉を食べたくはないボクの代わりに。

そしてそんなことを言うと匿名のあなたはきっと「あなた(ボク)を食べたい」と言ってくださるでしょう。それはボクを好んで食べたいという方であると思うことにします。そんな方がきっといらっしゃることと期待して・・・(笑)

ただボク自身「ボクはあなたの癌細胞の素、アルツハイマーの素になってボクを食した後も生き続けるであろうあなたを苦しめたくはないです。ボク自身の最後の意思として」とだけ申してお断りしておきます(汗)。

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