見出し画像

自分への期待値を下げたら、もっと幸せになれるはず-「『誰かのため』に生きすぎない」

過去のことをふとしたときに思い出して、「できなかった」と自分に腹を立てたり、失望したり…
ダメ出しをし続けるクセがやめられません。

本当に些細なことをいまだに思い出します。
高校のときの文化祭でクラスのとりまとめ役だったのにうまくできなかったとか、
大学のサークルで後輩にきちんと教えられなくて顧問の先生に迷惑かけたとか、
新卒で入った会社で、任された仕事を中途半端なままで退職してしまって、引継ぎの人は大変だっただろうなとか…

あと、両親に対するモヤモヤをその時にぶつけられなかったこと。リアルタイムで言いたいことを言えてたら、いま消化不良の思いを抱えなくて済んだのに、とか。

お風呂に入っているとき、掃除をしているとき、ぐるぐる考えてしまいます。「ダメダメ、もう済んだこと」とその場では自分を落ち着かせるのですが、忘れたころにまた始まってしまいます。

完璧主義で、自分が納得できる「合格レベル」が高いこと。
周囲の目が気になって、ほかの人が関わる場合に「みんなに良く思われたい」と思ってしまうこと。

この考え方のおかげで、自分のキャパよりちょっと上のこともやってこれたんです。自分に厳しく接して、周囲も見ながら、求められていることは何だろう?と必死で考えて
いつでも自分のできる最高を提供したかった。

でも、そのせいで自分へのダメ出しをやめられなくていつまでも落ち込んでしまうのが苦しい。
最近になって、やっと「完璧主義な考え方を手放したい」と思うようになりました。

精神科医・藤野智哉先生の著書「『誰かのため』に生きすぎない」のなかで、自分への戒めと励ましにぴったりの言葉がありました。

自分に対して一番期待値が高いのは自分で、叱るのも、責めるのも、落ち込ませるのも自分というパターンってすごく多いです。 だからまずは、「自分はスーパーマンじゃない」ってことを認めることからだと思います。

人って「私ができないのは、がんばっていないからだ」「努力が足りないから、ダメなんだ」って思いがちですが、人間には限界があります。それを認められないから、「がんばりが足りない」「努力が足りない」と自分を責めてしまう。

本書より引用

私が「がんばりが足りない」と思うときは、相手から求められている基準を勝手に想像して、それに合わせようとしていることが多いです。
実体のない誰かの期待を無意識に背負う…これは空回りに近いですよね。

「こうしたほうがいいよ」「あなたのために言っているんだよ」と母からの干渉が多かったことも影響していますが…親の言う通りにすれば失敗しないのかも、と自分の意志がゆらぐのは親への依存の一種。いいかげん親離れしないと。
もう、私は私の人生を歩んでいい年齢なんだから。

自分でつくり上げた自分への期待値をちょっとだけ下げられたら、ずいぶん楽になれそうです。

もうすでに、幸せになる準備はできているんです。
ごはんが美味しく食べられたとか、素敵な本に出会えたとか、好きな香りの入浴剤やハンドクリームを毎日使えてうれしいとか、
そういう小さな幸せを数えると幸せな気分になる、そんな私にもうなっているのだから。
あとは、自分で自分を苦しめることを手放せたら御の字です。


・疲れたときほど「ちゃんと生きてきた自分」をぶち壊すチャンス
・いろんな「設定」「ごっこ」を試してみると、日常の自分から距離をとることができて、変えられないと思っていた考えや行動を変えるきっかけになったりする

このあたりにも勇気をもらいました。

半年後に控えた出産、そこから始まる子育て。
これまでの私のやり方では通用しないことだらけでしょう。

私にも限界があるんだから、そんなに期待しないように。無理して頑張りすぎなくても幸せになれる。
好きなように振る舞って、私は私の道を行こう。

辛くなったときのお守りに、この言葉を未来の私に贈りたいです。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?