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双極性障害Ⅱ型の私

アラフォー、独身、無職、双極性障害Ⅱ型の緑です。
最近、なんだかよくわからない体調なので精神科通院はじめる前あたりからの体調などをメモしておくことにします。
(双極性障害がどういう病気かご存じない方はググってから読むことをおすすめします。)


・10代から23歳まで

10代の頃からやや不安定でほとんどうつ状態だったように思う。楽しいと思える時期がたまにあったがそれが軽躁状態だったのかなと。

18歳の時に同居していた祖母とお世話になっていた塾の先生が亡くなりうつ状態になった。なんとか文系私大に合格するが不安定さが続き数ヶ月学内のカウンセリングに通っていた。

なんとか不安定さを乗り越えてバイトしながら通学を続け、長期休みに格安航空券を買って海外に行くのが楽しみだったが旅行していた時期は軽躁だったかもしれない。大学の研修旅行も含めて在学中に4カ国旅した。

大学4年時、就職活動をしていたがパニック障害のような症状(激しい動悸と不安感)が出て電車に乗れなくなり、内定が出ないまま卒業が決まった。好きな授業は積極的に勉強したが興味がないものはひどい成績だったしこんな体調で4年で卒業できたのは奇跡だった。卒業パーティーで会った必修の教授には「卒業できたの?!」と驚かれた。

卒業後はフリーターになり新卒で就職できなかったことで親との関係悪化、不毛な恋愛と失恋、バイトのストレスなどが重なり軽いうつ状態がメインで混合状態もあったと思う。親戚の紹介で就職の面接に行ったがその場で断ったり、派遣バイトをはじめてお金を貯めて海外旅行(イギリス)もしたので軽躁状態の時期もあったかもしれない。

この時期にやった派遣バイトは主に倉庫内作業でとても大変だったけれどいい経験になった。朝、バイト先の最寄り駅に集合して派遣先に向かうのだがアマゾンの倉庫で梱包やピッキング、輸入キッチン雑貨を扱う倉庫で商品管理やお店に発送するために梱包作業、衣料品を扱う倉庫で1日商品を検針器に通すバイトもした。

倉庫系派遣バイトで生活している30代から40代くらいの女性と知り合ったが喫煙してい歯が変色しいたり虫歯で前歯もボロボロだったり、携帯料金を踏み倒して逃げていることを当たり前のように笑って話していて衝撃だった。このときに「派遣バイト続けたらやばいし、歯は一度悪くなったらどうしようもない」とわかって倉庫系派遣バイトは辞めて、今も定期的に歯科検診に通っている。

スキーもスノボもできないのになぜか冬のリゾートバイトもして寮生活をしながら某スキー場で簡単な事務職も経験した。両サイドに2m以上の雪が積もった道を歩いて通勤して、会議の資料制作や郵便物のあて名書きなどの雑用をして、午後には仕事がなくなりExcelの勉強するフリをして時間をつぶすのが苦痛すぎて3ヶ月の契約を2ヶ月で辞めてしまった。毎日何を食べていたか、休みの日は何をしていたか思い出せないくらいつらい日々だった…。飲み会に行ったりしたが陰キャの私は楽しめず、リフト券が無料で道具も安く借りられたので初心者向けのスノボ教室で体験してみたがまったく上達しなくて1回で諦めた。

・24歳

慣れない雪国でのリゾートバイトの寒さとストレスで完全にうつ状態となり1ヶ月以上希死念慮続いてこれはやばいと思い精神科通院開始。今考えると寒いのが苦手なのに雪国でバイトしたのはバカだなと思うがおそらく軽躁だったのだろう。

最初はうつ病として治療していたが軽躁転したりうつになったりを繰り返して双極性障害Ⅱ型に診断名が変わった。
うつ状態は2年ほど続いたがその間はほぼ毎日実家で飼っていた犬の散歩に行っていたので体力が落ちずに済んだし、いい気分転換にもなった。犬の散歩中によく会っていた方が無職の私を心配してくださり、農場で簡単な作業をするのバイトに誘ってくれて行ってみたが数日で辞めてしまった。

体調がよくなってから販売系のバイトに応募して採用され、勤務が始まる前に海外旅行に行った。おそらく軽躁状態になっていたのだと思う。格安航空券を買って友人が留学していたバリ島へ行って楽しく観光してきて現地でトラブルは起きなかったし、物価が安かったのでお金もあまり使わなかった。(旅費は航空券含めて5万円くらいだった)主治医が性的逸脱行動を心配していたがそれもなかった。

今現在、お金はないが軽躁のおかげ(?)で海外旅行が行けたことはよかったと思っている。高校時代の短期留学を含めると7カ国に行くことができた。

・26歳

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